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「是々非々」と「アバタもえくぼ」
-- Rollins/ Miles/ Coltrane/ Pepper/ Chet/ ... --
-- あるいはRobert B. Parker/ Dick Francis --
  • ジャズは人間のやることであり、人は移ろいやすいものです。小野小町の名歌に、「花の色は移りにけりな いたづらに 我が身世にふる(古、降る) ながめ(眺め、長雨)せしまに」とあります。長い演奏活動の間にスタイルが変わってしまったジャズメンも多く居ます。そんな風にご贔屓のジャズメンが変わっちゃった時に「是々非々」で行くのか、「アバタもえくぼ」となるのか、というお話です。
    「是々非々」
  • ジャズの演奏を個別に見て、同じ人の演奏でも、「この時期は良い」、「あの時期は好かん」、という風に感じる事があります。そしてそういう場合に「是々非々」の態度をとって、どうしても好きになれない盤をオクラ入りにしている人は多い筈です。殆どのジャズファンにとって、これは当たり前の事であり、キライな演奏を無理して聴く気にはなれませんし、その必要も無いでしょう。いい演奏だけを聴いてこそ、聴く耳が養われるというものであり、駄作をいくら聴いてもジャズの真髄には肉薄できません。
    「アバタもえくぼ」
  • 一方、「あるジャズメンにぞっこん惚れた」状態になってしまうと、「アバタもえくぼ」でどの盤でもオッケーとなってしまいます。その人の演奏を悪く言う人が居たら食って掛かるとか、その人のCDやLPを断簡零墨に至るまで完全コレクションしたくなるとか、そういうことはありがちです。John Coltrane研究家であり、大阪の呉服屋さんでもある、かの藤○さん等はその極致です。John Coltraneが常連であったレストランに数週間も、毎日通い詰めて、彼の資料を「譲って呉れぇ、譲って呉れぇ」とわめき続けて、根負けしたその亭主から遂に重要な参考資料を譲ってもらった、という話には頭が下がります。
    どのジャズメンにもある転機
  • ジャズメンは色んな演奏活動をしており、その中で自発、他発を問わず、何らかの契機があったのでしょう、その演奏スタイルを進化させています。いくつかの例を見てみましょうか。
  • Rollinsの場合は有名です。Brass and Trioを録音した辺りで、何か自身で感じるところがあったらしく、雲隠れ( Wood-shedding)と呼ばれる数年間の隠遁期に入りました。噂では、。。。橋の上で一人で吹奏練習を重ねていたそうです。それもあってか、再出発した復帰第1作は「橋」と名付けられました。この時期前後では演奏が相当に違い、それまでは豪放磊落、融通無碍に天賦の才の爆発が楽しめた演奏が、復帰後にはそういう天真爛漫さが影をひそめ、引き締まった、あるいは内省的なスタイルに変化しました。そしてその後、十数年をかけて、現在のように本来の自分のスタイルに回帰しつつも、深化して来ています。
  • Milesは、バードとやっていた時期、Walkin'からマラソン録音の頃まで、Kind of BlueからIn the Sky/ In a Silent Wayの頃まで、そしてBitche's Brew以降と変化を遂げています。それぞれの時期に独自の良さがありますが、一番好きな時期は人によって様々です。
  • Coltraneの場合は、いわゆるPrestige期からMilesバンド期まで、Giant StepsからA Love Supremeまで、そしてそれ以降と大きく変化しました。
  • Pepperは、初期からArt Pepper Meets the Rhythm Section頃までの前期と、それ以降の後期でかなり様相が違い、その辺のことはArt Pepperの美ー甘さと苦さに書きましたので参照ください。
  • 次にChetはどうかと言うと、この人はスタイルが一貫しています。無論これだけのレベルの人ですから、モード期以降の新しいジャズのハーモニーについてもそれなりに消化して、自家籠中のものにしていますが、それを含めても、それ程の変化はありません。
  • ジャズメンが研鑚の末とはいえ、このようにある時期を境に演奏スタイルを変えてきた結果を見ると、特定のジャズメンのある時期を支持しても、別の時期は支持しない、というファンが居てもおかしくはありません。
    Robert B. ParkerとDick Francis
  • 話変わって、、、Robert B. Parkerは、ボストンの私立探偵スペンサーものを20作近く書いています。下手をするとマッチョに陥りがちなハードボイルド系探偵を採りあげながらも、ギリギリの所で陳腐に陥らず、「あるべき男の姿」を書き込んだこのシリーズは、良質の探偵小説として定評があります。一方のDick Francisが描く競馬がらみの冒険小説も、30作近くあります。いわゆる英国男児の粘り強さと知性を見事に描くシリーズとして、毎年末の新作発表と同時に書店に山積みされ、売れ行きも抜群のようです。外国物によく見かけるように、この両者共に、書き急ぎをしません。淡々と、一定のペースで新作を発表しており、世界的にも熱烈なファンが多いと聞いております。ところで、前者の私立探偵スペンサーはここ数年のことですが、恋人である精神分析医スーザンが医者として自立する道を進むに連れて、男性らしさとフェミニズムの狭間で心の安定を失いかけており、それは完全なる男の姿を求めるファンを、ある意味で失望させる程にまでなってきています。従って、昔ながらのスペンサーのファンが書店で新作に一旦手を出しつつも、「そうか」と想い起して買い控える、という現象が起きているのでは、と思っています。一方の競馬小説の方は、上記した志向に微塵の揺るぎはありません。昔からの読者も、安心して新作を買い続け、その新しい切り口から見た競馬の世界とそれを巡る人間模様に「納得 ! 」のサインを送っているのでは、と思われます。あるいは、Dick Francisは藤沢周平の如く、着実なファンの支持を誇っている、と言い換えても良いのかも知れません。このように、小説の世界でも、年月が経てば、同一シリーズでもスタイルが少しづつ変化することがありますし、全くペースを変えないこともあります。その辺は、ジャズと全く同じです。
    そこで、、、
  • 一般的に言って、演奏の出来不出来はありますから、良いものは良いし、好きにならないものは仕舞ってしまうか、売り飛ばすしかありません。それで良い、に違いありません。しかし、Nelsonはそこでも悩んでしまうのです。例えば10枚近く持っている「そこそこ」好きなジャズメンの場合、「この人もひとかどのジャズメンなんだから、きっとこの盤では良い演奏をしているんじゃないか」と思って買ってみて、結構ハズレます(^^;)。「やっぱ、あの時が絶頂期だったんかなぁ」ということになります。数十枚持っている御贔屓の人の場合は、やはり「きっとこの盤でも良い演奏をしているに違いない」と買い込みます。ニンマリとなることが多いのですが、ハズレとなることも無きにしも非ずです。この場合は、ハズレても、「こん時は調子悪かったのかなぁ」位の所でしょう。こういう場合に、「キライな時期の演奏は買っちゃダメだ」とか、「そうは言っても、もし良い盤だったら楽しみ損なうことになるから、取り敢えず買わないとマズイじゃん」とか煩悶して、なかなか踏ん切りが付きません。そういう中で、何となく勘が働いて予想が当たるようになっては来ましたが、試行錯誤であることには違いありません。
    世の中に駄盤なし
  • どのジャズメンにも好調、不調があります。駄目な盤は、いわゆる駄盤ということになります。しかし、「世の中に駄盤なし」という主張もあります。これは、言い得て妙です。何度もハズレを食らった人、Nelsonなどもその一人ですが、こういう人なら、「ンなこたぁ無いョ。駄盤はある」と言う筈かもしれません。しかし実は、この「世の中に駄盤なし」というテーゼは、身に沁みるんです。例えば、Nelsonの不案内なフリーあるいはチャカポコ盤の場合です。この場合は、ハズレの確率が高くなりますが、ハズレた盤でも、よーっく聴くと、収録曲の中に一曲位は演奏、音、仕掛け等々が気に入るトラックがあります。これは長年の経験から言って、間違いありません。盤の制作には演奏者、制作者等々多くの人が携わっています。それだけの人がやる気になったんですから、「頭から尻尾まで、ジェンジェン駄目」という盤は、恐らく無いのだと思います。「でも、そこまでして良いところ見つける気になんかなん無いょ」ではありましょうが、そこをもう一押ししてみないと、自分だけの世界の新発見は無いような気がします。定評のある名盤だけを蒐集すれば良い、と仰るのであれば、そりゃまた話は別ですが、、、(おっと、これはThelonious MonkとGiorgio De Chiricoの2番煎じかなぁ)

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