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Miles DavisのPrestigeからCBSへの移籍とBob Weinstock社長(3)
  • コレを聴きつつ読むと、きっと和める筈です。このメモの前回分は(1)と、(2)にありますから、以前のメモをお読みでなければ、これらを先にお読みになることをお勧めします。
    Gil Evansとの大編成での連作が相次ぐ
  • すこし「’Round Midnight」の話が長くなりましたが、それはCBSへの移籍にはGil Evansとの交誼が少なからず影響した面がある気がするからです。現に、Milesはビッグバンドによる演奏を「クールの誕生」以降で久しぶりに、Gil Evansオーケストラと組んで行い、それ等は「Miles Ahead」(1957)、「Porgy and Bess」(1958)、「Sketches of Spain」(1959)、「Miles Davis at Carnegie Hall」(1961)、「Quiet Nights」(1962)として高い評価を受けました。
  • Gilとの交誼は、MilesがJuilliard音楽院でレッスンを受けていて、西洋音楽全般について幅広い知識を有していたことによると思われ、「アソコでやってるのは、くそったれな白(人、シロ)の音楽だったよ。」と嘯いてそこを中退したものの、Gil Evansと知己となった後は「モノホンのジャズが判っているシロも、何人かは居るってことさ。」と認めたのでした。Gilの方でも、自分がやった編曲を使って「’Round Midnight」が大ヒットしたのに、「あいつには、1ドルも編曲代は払って貰ってない。」とこぼしつつも、「結構ややこしい筈なのに、耳コピで覚えちゃうんだから大した奴だ。」とMilesの才能を認めて、その後も付き合いを深めたのです。下世話なことを言えば、空前の傑作となった「Sketches of Spain」の編曲代で稼いだので、昔の貸しを帳消しにしたのかも知れません。
    メジャーでならではの企画が目白押し
  • 皆さんも既にご存じのように、PrestigeでWeinstockの専属を続けている限り、社長一流の「何度テイクを重ねてみても、ダラけた演奏ばかりが残るだけだ。一発勝負の緊張こそがジャズの真骨頂だ。」という屁理屈を捏ねられて、マスター・テイク一回の金しか払わないのがレーベルの方針なのです。そこには、ジャズメンの将来像を一緒になって構想するなんて発想はありません。だから、大編成のバンドメンを何回も集合させて、凝った音楽を練りに練って仕上げさせてくれるなんてことは、Prestigeにいる限りは望めません。無論、メジャー・レーベルにいて、それだけの投資をしてもらうからには、売り上げに厳しいノルマがあるかも知れません。でも、それだけの時間と資金をかける度量が無ければ、「Sketches of Spain」のようなジャズ史に残る大作を世に問うことなど出来ません。そして、CBSには録音技術にも、録音施設にもそれなりの自負があり、市井のRudy van Gelder技師に録音を場当たり的に依頼することなど無く、上記の大作群を次々と計画的に、しかも着実に発売したのでした。
    移籍前から多量の録音
  • PrestigeからCBSへのMiles Davisの専属の移行については、WeinstockとAvakianとが「専属関係をいつ、どのように終わらせるか。」について話し合いを行ったようで、Weinstockは専属関係の終結には、Milesに義務付けられている4枚分の録音が済むことが必要だと主張しました。御承知のように、専属契約があると自己名義での盤を他のレーベルで制作することは、原則として出来ません。この専属移行期にも、BNから「Somethin' Else/ Julian Cannonball Adderley」が出ています。これの実質的なリーダーはMilesなんですが、名義上のリーダーをCannonballにしてあるのはそういう専属関係のしがらみから逃げるための工夫なのです。当時自分でも演奏活動に自信を持っていて、「BN側に売り上げで貢献できるる。」と踏んだための録音であり、現にこの盤は名盤と評価されて飛ぶように売れたのでした。これでMilesは、録音も出来ずに悶々としていた時期に2枚のLPを出させてくれた、BNの恩義に応えたわけです。
    サイドメン盤も出て・・・
  • この場合のように、サイドメンとして別レーベルの録音に参加する制限は無いか、あってもかなり緩いのが通例です。もう一つ抜け道を潜った盤が、Debutから出た「Blue Moods」盤で、同レーベル主催のCharles Mingusに借金が積もり積もっていたのを返せずにいたのですが、「金が無いのなら、ノーギャラで録音しな。」と言われて録音をしたようです。もう一つが「死刑台のエレベーター」のサウンド・トラック盤です。その頃割無い仲だという噂があったジュリエット・グレコが、友人で、この映画の監督であるルイ・マルに頼まれて、試写された銀幕を見ながらバルネ・ウィラン等と演奏したと言われる録音です。これも言い訳は、「映画音楽はジャズじゃないから、専属契約の条項に触れない。」とでもゴネたんでしょうか。
    録音と発売とが錯綜
  • 上記したように、Gil Evansの素晴らしいアイデアを借用した「’Round Midnight」は時流に乗ったのか、古今東西に屈指の名演として持てはやされることになりました。しかし奇妙なことに、その初録音は何故かPrestigeではなく、CBSの30番スタジオで行われましたが、これは両社間の取り決めに背かないものなのです。と言うのも、「事前に発売したりしないから、録音を先にしておくのは別に良いだろうよ。」というCBSの主張を、Weinstockは呑んでいたのです。専属関係解除後に発売するのであれば、CBSはMilesのリーダー作を何枚でも録り溜めして良い・・・所までPrestigeは折れたわけです。その裏返しに、Prestigeは4枚分のサヨナラ録音も含めた所有の全録音物については、移籍後でも適宜編集をして発売し続ける権利を保持します。だから、移籍が済んでCBSからMilesのリーダー作が何枚と発売されるようになっても、Prestigeには自社なりのタイミングで、それらを発売し続けました。
  • 56年の5月と10月の2回に分けた、4枚分の、いわゆるマラソン・セッションのテープは、曲想やアドリブの展開様式などに関するWeinstock一流の仕分けによって、いわゆる「-ingモノ」4部作としてLPになりました。マイナー・レーベルなので怒涛の如き発売攻勢にはならず、最後になった「Steamin'」が発売されたのは、録音後5年も経った、1961年のことでした。その頃には、CBSでの最初の「’Round about Midnight」盤(57年発売)がとっくに大ヒットとなっていたばかりか、7枚目のリーダー作となる「Someday My Prince will Come」が出る頃でした。
  • ・・・とメモした所で疲れちゃったんで、後は次に回します。

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