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Miles DavisのPrestigeからCBSへの移籍とBob Weinstock社長(1)
  • コレを聴きつつ読むと、きっと和める筈です。
    マイナーからメジャーへの移籍はごく自然な流れ
  • 米国でハードバップの勃興の兆しが起きていることを、良い切り口で国外のジャズファンにも伝えてくれたマイナー・レーベル群の中でも、Blue Noteと並んで良盤を出し続けたのが、NYCを根城にしたPrestigeレーベルです。このレーベルを1949年に興したBob Weinstockはその時まだ弱冠21歳になるかならぬかという若さだったと言うことをNelsonが知ったのは、恥ずかしながらつい数年前のことでした。それまでは、良く写真で見るでっぷりとした風貌の印象が強くあって、つまりは「中年の」白人男性だと思い込んでいたのでした。しかし50年代当時のハードバップの勃興を主導した若者群を冷静に見れば、Thelonious Monkが1919生まれで9コ上のまだ30代始めでしかなく、Miles DavisとJohn Coltraneが1926年で、彼らを盛り立てたWeinstock社長は2コ下の1928年、そしてSonny Rollinsはもうちょっと若い1930年生まれでした。マイナーレーベルの制作者だけを横断的にみれば、BNのAlfred Lionが1908年で20コも上、RiversideのOrrin Keepnewsは1023年で5コ上だと言いますから、彼は正に若造そのものでした。この話に出て来るアルメニアン人で、CBSやRCA等のメジャー・レーベルを渡り歩いた名制作者のGeorge Avakianが1919年で9コ上だったのでした。
    マイナーから畢生の名盤を出して・・・
  • マイナー・レーベルの社会的な存在意義とも言えることが、新人の発掘です。BNのAlferd Lionと同じくBob Weinstockも「Thelonious Monk with Sonny Rollins」、「Dig / Miles Davis」、「Saxophone Collossus/ Sonny Rollins」、「Soutrane/ John Coltrane」といった新人発掘盤を世に問い、それが名盤としてジャズ史に燦然と残っています。彼らはジャズクラブに足繁く通ってジャズ界に登場して来つつある新人をその眼で確認し、またクラブでの世間話の中から「これはという新人」に目を付け、自己のレーベルで録音の機会を与えたのでした。無論、そうした新人の全部が全部、Jazz Greatsに成りあがることなど無いのですが、そうして録音の機会を与えられた新人の出世作が、メジャーの目に留まり、多額の移籍金を貰ってメジャー・デビューを果たすと言うのが、ジャズ界を始め、野球、文学等々を問わず、この世ではごく自然なことであります。
    移籍金だけの話、ではなく・・・
  • CBSがMiles Davisに目を付けたのは50年代初め前後からのバードによる抜擢後直ぐだったようで、ライブでの評判も良く、課題だった薬禍からの抜け出しも自分で成し遂げたことも好感を持たれました。自己のグループを立ち上げてからは、ColtraneやPhilly Joe等の悪癖を罷免等の手管で抑え付ける等の指導力を発揮しましたし、Prestigeから出した10枚近いクインテット盤の出来で比類なき実力を証明しました。当時のCBSは、ジャズ分野ではGeorge AvakianにAR(Artists and Repertoire、演奏者の掘り出しと録音企画の立案)を任せており、Milesに初回盤のヴァンスを4千ドル、その後は毎年3万ドルという破格の契約金を提示して、Milesの色気を誘うと、Weinstockにも渡りをつけました。マイルスは、それでベンツを買って乗り回す等の贅沢を覚えたと言います。
  • 更に余談ですが、ARの仕事は大事で、BNではIke Quebecが、RiversideではCannonball Adderleyが一時期やるなどして、台頭してくるジャズメンの掘り出しに一役買いました。Prestigeでも、Ira Gitler(この人は若造のWeinstockよりも更に若く、まだ10代だったと言うから驚きます)もやっていました。Sonny RollinsがRCAに移籍したのは、当時は同社に移ってARをやっていたGeorge Avakianが、上手く誘ったんだと言われています。、MilesにしてもRollinにしても、メジャーが提示する契約金だけでなく、例えば「Sketches of Spain」等の、とてもマイナーでは出来ない凝った、しかも製作費が多額になる良い企画をいくつも持ちかけられてのことだったようです。
  • 例えば、BNならSidney Bichetの「Summertime」、PrestigeならKing Pleasureの「Moody's Mood for Love」等が最初のヒット作と言われていますが、それは未だヒヨッ子の会社だからこそヒットと言える話であり、メジャーには二桁も三桁も売り上げが及ばない話で、一枚の盤の制作に千ドル単位の金等掛けられないのでした。
    まだまだ・・・
  • このメモの続きはここにあります。

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