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アドリブの取り方
長歌、短歌、連歌

ジャズ、唄う、短歌と連想を広げると、歌の世界もジャズだわ、と思ったと言うお話です。

    アドリブ、即興演奏
  • ジャズの魅力の大部分はアドリブにあり、一定の約束の下に各人の取るソロは、大げさに言えば即興的な作曲であり、個々人のジャズに対する、ひいては人生に対する考え方を吐露するものです。アドリブは順番にやるもの、一人で延々とやるもの、four bars change(4小節交換、とでも言うんですか)、それにBill Evans Trio以来確立されたメンバーの誰が今アドリブしているか、というよりも何時も皆で絡み合ってアドリブしあうという相互作用性の強いものなど、色々です。
    歌道
  • 当てずっぽうですが、歌にも長歌、短歌、俳句、連歌等々と色々ありますが、韻文といわれるように押韻等の約束の下に、しかし自由闊達に思いのたけを綴るとなると、コード進行等に基づいてアドリブを個性的に展開するジャズとは結構相通じるものがありそうです。
    普通のアドリブ
  • CD時代になって様子が少し変わってきたかもしれませんが、まぁ一曲数分として32小節もので数コーラス以下のアドリブが一般的で、一番多いケースでしょう。アドリブと言っても、「突端(とっぱな)」と「受け」とで様子が少し変わりますが、通常はコード進行に沿って少しづつ変化をつけながらも、盛り上げていくものです。ピアノならシングルトーン、ブロックコード等で変化をつけるのが一般的です。SP時代には、全体で3分程度の演奏が収録時間上の限界だったので、別名3分間芸術と言われました。しかし、その中の一分弱のアドリブにおいて、起承転結を付けるメリハリのあるアドリブが良いとされ、皆がその簡潔振りを競いました。確かに今聞いても、「ギッシリ詰まった、その濃密な凝縮度」には頭が下がります。この時代、録音技術はまだその成長過程にあり、今ほど録音が日常化していない中での録音機会を最大限に活用して、自己の全てを乾坤一擲その録音に結実させる気合の凄さは十分に理解できます。そういう意味では、韻文の中でも兎に角短いことからして、この類は俳句に当たるのでしょうか。
    じっくりやるアドリブ
  • 例えば名演と言われるWalkin'/ Miles Davisの中のWalkin'や、Bags Groove/ Miles Davisの中のBags GrooveではMiles、J.J.、Bags、そしてMonkが十数コーラスのアドリブを取ります。内容的にすぐれた、それこそ百回以上聞いてLP盤が白くなった人が多いといわれる「じっくり」型のアドリブです。個々のアドリブの構成が非常に巧くて、基本コーラスが十数回も繰り返されているという印象は無く、徐々に盛り上がっていくのは流石です。時間的にも余裕があり、日頃の手癖や、他の曲の拝借や、アドリブの間に他のメンバーによるリフが入ったりしますが、全体としてダレル感が全くありません。一方、長くて拙いケースもあります。先にも書いたCD時代における今様の十数分にわたる演奏が多くなって、昔かたぎの人は「水増しアドリブ」と言って、蛇蠍のごとく嫌います。確かに、昔の名人上手ほどの技量がなくとも盤が出せる時代になって、演奏時間だけはたっぷりあるものですから、失礼ながらどう聞いても拙いアドリブを、ただダラダラと展開する場合が散見されるのが残念です。少し余裕を与えられていると言う意味で、これは31文字の短歌かもしれません。
    延々とやるアドリブ
  • 色々差しさわりがあるから書き方が難しいですが、半時間、いや一時間は演奏するという機関車みたいな人(^^;)が、たまに居ます。しかし聞いてみると中々に内容があり、決して駄々長いという感はありません。だれる感が全く無い上に、「これをどう短く言えるのか」と考えると他に方法がありそうにもありません。つまり中身がギッシリと詰まっていて濃密な訳です。したがってこの「機関車」さんの演奏は、長くてもオッケーと言うことでしょう。辛口には、「いくら内容があるったって、半時間は異常だろうよ」となるわけですが、「じゃぁ本人に直接言ったら、、、言えるもんなら言ってみな」と言われるのが関の山でしょう。延々とやるアドリブは長歌です。5-7-5-7を延々と重ねていき、最後に5-7-7と締めます。更には、時に「反歌」といって、短歌形式で複数の歌を最後に置く場合もあります。かの「機関車」さんも、一旦「終わったかな」と思わせて置いて、実は中々終わらず、エンディングで更にカデンツァと呼ばれる締めのアドリブをときに短く、時に長くやるところまで、長歌に似ています。
    丁々発止のアドリブ
  • アドリブの変種として、Four bars changeがあります。ドラムス以外の楽器が順番に、ドラムスと4小節交代でアドリブのやり取りをするのですが、4小節に限らず、8そして16もあります。演奏の後半で行われる事が多いのは、ドラムス相手だからだと思われます。この後直ぐに終わりのテーマに入るか、あるいはドラムス自体のアドリブになだれ込む場合が多いようです。これは非常に人気のある演奏形式であり、これが一番好きと言う人も居ます。典型的な例が、Saxophone Collossus/ Sonny RollinsのMoritatにおける5分25秒から始まるものでしょう。何が魅力なのか考えてみると、やはり丁々発止と言う相互作用の緊迫感でしょう。ホーンが出すアドリブの流れをドラムスがそのまま受けてアドリブを展開し、時にはドラムスの叩き方の中でそれに呼応したフレーズを聞かせるのが醍醐味です。Max Roach(上記のもの)そしてPhilly Joe Jones(Meets the Rhythm Section/ Art PepperのYou'd Be so Nice to...における3分48秒から始まる)らのものは、本当にスリルと歌心を感じさせます。これは、歌の世界では「連歌」に当たります。ある人の下の句に合わせて、自分でそれに合う上の句をつける。すると、次の人が自分が今作ったばかりの上の句に合わせて、その人なりの解釈で下の句をその場でつけてくれる、という具合ですから、正にFour bars changeに他なりません。その当意即妙ぶりが何とも機知に溢れた相互作用となって、どんどん連ねていくので連歌と言います。洋の東西を問わず、この手の即興芸術は愛されています。
    それがどうした
  • 実は、わざわざこのような事を書くのは、理由があるのです。世の中には色んな芸術形式があり、国によっても様々な違いがあります。そしてある程度完成された芸術には、その特色が巧く発揮されるような形式が工夫の積み重ねの上で確立されています。それらは、その芸術表現だけを見ていると、独特であり、言ってみればそれがその芸術にしかない魅力です。しかし個別の芸術分野にそのような形式の差異、特色があるとしても、芸術が人間の止むに止まれぬ真情の吐露である以上、何か相通じるものがあり、それは表現自体の他、形式にも現れてくると思っております。そしてここからは持論ですが、ジャズの中だけでも色んな演奏を俯瞰的に見て理解が深まることがあるように、ジャズ以外の分野も含めて人間を見てみると、またジャズの置かれている位置が良く分かるだけでなく、そのことからまた「ジャズのことが更に好きになる」ということもあると思います。現に、Nelsonがそうです。色んな芸術、芸能を楽しむ中でジャズを見直し、更にもっとジャズを聞きたい、と思っている今日この頃です。
    ジャズ馬鹿
  • 「お前さんみたいに、何んでもかんでもジャズのことにこじつける奴は居ないな」と言われるかもしれませんが、まぁそうかも知れませんね。McCoy Tyner、Minimal Musicそして埴谷雄高ジャズと書(しょ)度を越した、しかし愛すべき音楽好きThose Groovy Yearsとスキーの大回転ー面で捉える試みーけものみち、かな等々を見直すと、確かに変かもしれません。まぁ、ジャズ馬鹿でも良いんじゃないでしょうか、本人は兎に角目一杯楽しんでいますから。

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