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ジャズと書(しょ)


能筆の方々のかかれた書(しょ)を見る機会があり、こりゃぁジャズだわ、と思ったと言うお話です。

    書(しょ)
  • 書でなくとも、別に水墨画でも良いのかと思いますが、とりあえずNelsonが見たのは中国及び本邦の書道の作品でしたので、書です。ご存知のように大体が矩形の種々のサイズの和紙に、短いのはそれこそ一字から、長いのは連綿たるお経までを、太さの様々な筆で描いてあるものです。和紙は縦長のものから、横長では巻紙まで多様です。色彩的には白から黒までのモノクロで、濃淡にはそれなりの言い分があるようです。ある種の鍛錬を経た人が丹田に気合を集め、精魂込めて書くものなのでしょう。
    書の個性とジャズ
  • 全く事情は知らないのですが、書には楷書、行書、草書とあり、筆にはそれこそ面相筆のような細いものから、大の男がやっと描けるほどのブッといものまであり、題材は4字熟語のようなものから書簡、お経のように長いものまで色々あります。どういう文字群を、どういう筆で、どういう字体で、そして(恐らく一番大事なことなのでしょうが)どういう考えに立って書くのかは、書家と言われるレベルの方であれば、全く自由のようです。従って、そこは大いに書き手の個性が発揮される領域のようです。個性と言えば、ジャズの出番です。
    どういう題材で書を書くのか
  • これは、ジャズで言うと、どんな曲を題材に演奏するかということに当たるのでしょうか。「白髪三千丈」なんて漢詩の断片で人口に膾炙した字句を選ぶ人は、古いスタンダード好きに該当するんでしょうか。恋文を選ぶ人は、、、。そして当然ながら、Ornette Colemanのように全くフリーな、字じゃない字を書の題材にする人も居ます。題材で結果が決まるわけではないにしても、題材が結果の大きな要素であることは間違いないでしょう。ジャズでも、良い曲をやるから良い演奏であるなんて保証はありませんが、でもこの人がこの曲をやる、という点に重きを置く人も居ます。題材軽んずべからずと言うところでしょう。
    どういう書体か
    楷書をスィングジャズとすれば、行書がモダンで、草書はフリーか。単純な発想ですが、結構色々考えさせられます。たまにBenny GoodmanやCount Basieのジャズを聴くと(^^;)、おかしい言い方ですが、「ウン、この曲は本当はこう演奏する曲なんだろうな。」と思うことがあります。つまり、ジャズの演奏として弁えておくべき基本形がそこにあると言うことでしょうから、書で言えば楷書に違いありません。そうであるとして、やはりそんなのばっか聴いてられませんから(^^;)、モダンジャズを聞くとして、Miles DavisやStan Getzは「少し崩して」という言い方が適切かどうかは別にして、行書としましょう。まぁ、そう堅苦しいことばっか言わないで、膝でも崩して、というやつです。リズムも、もうブンチャッ、ブンチャッ、ではありません。聞く側からだけ見れば、その書家、演奏家の個性に、より近づいた気がします。確か書の修行も最初から行書をやるのではなくて、先ず楷書をやって、それから行書に入るそうです。無論、俺は好きなもん書くかんね、という人も居て悪くはありません。それで草書です。先ず読めません。ことの成り立ちからして、漢字からどういう風にひらがなが出来ているかを知っていなければ、崩しの「解読」(^^;)は無理なのです。先に、フリーが草書か、と書きましたが、「楷・行・草」と言う漢字文化の流れがあるとすると、ジャズのフリーは一寸成り立ちが異なっていて、書のようにそういう発展と言う目で見るべきものとは思えません。つまり、Albert Ayler、Cecil Taylor、Ornette Coleman等は、「破壊だ」と言ったのですから、これは「発展」のように連続性を前提にしたくない、という意思表明でしょう。
    どういう筆で書くのか
  • 書をものする筆はさしずめ楽器でしょうか。ホーンからリズムまで各種の楽器があり、筆にも色々あります。同じ字を書いても、筆、すなわち書かれた字の太細によって受ける印象は全く違います。昔(いっつもこれですね)、油○さんがRollinsのスパっと切れ味良く豪快なアドリブを「墨痕淋漓(ぼっこんりんり)たる」と表現しましたが、確かに彼の豪放な演奏は太めの筆でガガッと書き上げた躍動感があり、生き生きした書と形容できます。一方細めの筆で連綿と書き綴った書は、抒情的なタッチのピアノトリオものに該当するのでしょうか。二の腕ほどもある太ーい筆にたっぷりと墨を含ませて、弟子の介添えつきで書に挑み、墨がはじけ飛びの、ささくれは出放題の、という前衛的な書は、テナーでやるPianoless Trioの迫力と通じるものがあります。
    どういう紙に書くのか
  • これは無理筋ですが、演奏の舞台でしょうか。恐らく書家といわれる方は、題材、書体、筆等が頭に浮かんでも、それに応じた紙が手に入らないとその書は書かないと言う拘りをお持ちだと思います。いわゆる和紙のほかにも、植物が漉き込まれたもの、厚手・薄手、更には襖や板戸など、場合に応じた素材が採用されるのでしょう。ジャズでも、スタジオ録音、ライブ、夏のジャズ祭、大人数のジャムセッション、はたまたシンセにリズムを任せたピアノやギターのソロ等々の舞台があります。最終的に聴衆にジャズが提示される環境ですから、大事といえば大事です。また人間のやるジャズなのですから、その環境が予期せぬ影響を演奏者に与えて、畢生の名演が出現してしまい、あぁ、あれを録音しときゃ良かったなんてこともある筈です。
    まぁ、そんなことで、、、
  • 書等を見て感動を覚えると、ついそれをジャズに引き寄せて色々と考えて楽しむのがNelsonの悪い癖です。実はこのような夢想をしていると、ジャズのことが対比の中でまた良く分かって来るようでもあり、「そう言やぁ、あのレコードを暫く聴いていないから、久しぶりに取り出して聴いてみるか。」となってまた一日ジャズを楽しめるという余禄もあります。

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