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Dark Satin Lyricism --John Coltrane3部作
「Ballads」、「And Duke Ellington」、そして「And Johnny Hartman」
  • John Coltrane3部作「Ballads」、「And Duke Ellington」、そして「John Coltrane and Johnny Hartman」についてのお話です。
    この3部作の位置付け
  • これらは、John Coltraneにとっては中期の作品であり、既に巨人としての名声を勝ち得た後の演奏ということになります。従って、あのJohn Coltrane独特の激しい吹奏があっての、この3部作という事で、「ちょっと彼の路線とは違うンでないの。」という声が聞かれます。録音時期で見ると「Ballads」は最初の録音が61年末で、Village Vanguardライブの直後にあたり、翌年の録音も含まれています。そして名盤Coltraneがあって、その次の「And Duke Ellington」は62年の9月で、Balladsの2回目の録音の頃です。そしてLive Trane等に含まれた欧州ライブがゴッテリあった後の「John Coltrane and Johnny Hartman」が一番最後で、63年の3月です。その年の夏がSelflessness、秋がLive at Birdlandと続くのです。
    Dark Satin Lyricism
  • Dark Satin Lyricismとは、「暗い」「繻子(しゅす)のような(滑らかさと光沢を持った)」「リリシズム」ということでしょうが、「And Johnny Hartman」で解説氏が使った用語であり、他では見かけませんが、「この3部作のような作品の形容として、言い得て妙だなぁ」とNelsonの記憶に残りました。「Dark」というのは無論肌の色ではなく、「浮き浮きした」「浮ついた」の反対の表現でしょう。「Satin」とは、演奏の調和感を繻子の滑らかさに例えたものでしょう。「Lyricism」とは、無機的ともいえる他の盤でのColtraneの強奏との対比でしょう。特に「And Johnny Hartman」では、Johnny Hartmanがクルーナーとして、実に滑らかで落ち着いた歌唱を聞かせ、ColtraneもVillage Vanguardライブ、Live TraneそしてSelflessness、Live at Birdlandで聞かせる圧倒的な迫力のハード・ブローは微塵も見せず、Hartmanの曲解釈を引き継いで、「そうなんだよなぁ」と静かにサポートしています。これはこれでなかなか良い演奏なんですが、世の中には何か勘違いをする人が居るので、少し言いたいことを書かせてもらいます
    マウスピース不調説への疑問
  • 先ず最初にこれをつぶしておきます(^^;)。上記の活動経過を見ると、いわゆる圧倒されるようなColtrane本線から孤立して見えるこの3部作について、一部で言われる事の多いマウスピース不調説は必ずしも信用できません。この説は、この3部作のような平明でいて、心を撃つペーソス溢れる演奏が何故生まれたか、についてのものです。即ち、いつものマウスピースを壊してしまって、しかも良いのが見付からないので、「仕方なく」こういうアプローチの演奏をしたんだ、と主張する人がいるのです。Nelsonの考えは少し違います。このうちの一枚位いには、確かにそういうことがあったのかも知れませんが、足かけ3年にもわたるほど長い期間にわたってマウスピースが不調ということはありえません。その間に数々の傑作を残している事からも確かな事です。それらの名盤では、Coltrane自身が納得した上での良い演奏を繰り広げているのですから。それなのに同じ期間に別の方向での好演盤があるということは、Coltraneはそういう演奏を「仕方なく」ではなく、もっと積極的に「意識して」録音物として後世に残したかったんだ、と考えるのが自然です。
    Ballads最高傑作説への疑問
  • 更には、世に、「Coltraneの最高傑作はBalladsである」という迷説があります。奇を寺った(^^:)、じゃなかった「奇をてらった」物言いで、ネタ臭いのですが、これは直ぐに底が割れてしまう作りネタです。「Coltraneは、Ballads程度の作品がピークの人ではない」と誰でも気付きます。この説を唱えている方は、もっと率直に、「Coltraneの中・後期に当たるVillage VanguardライブやSelflessness、Live at Birdlandそしてそれ以降の作品群が、私は嫌いだ。」とはっきり言えば良いのに、こんな言い方をしてみたのでしょう。中後期作品群がキライだという好みは、それで別に普通の事です。確かにかなり体臭の強い演奏ですから、万人が認めるというものでもありません。しかし、それをBallads最高傑作説に刷り代えるのはどうも奇を寺い過ぎです。この3部作のような演奏は確かに後期では、この3枚位しか残されて居ませんから、それだけに注目すると「傑作」説はありうるか、と考えたのかもしれません。でも、ジャズの常識があれば、直ぐにこの説は否定されてしまいます。Nelsonも、「Coltrane程の偉大なジャズメンにとっては、これ位の演奏はいつでも出来るし、毎日やっていた筈だ」と思います。レコードか、ライブかなどでも述べましたが、録音物だけがその人の作品ではなく、ライブではその何倍も演奏しています。そういうライブギグで、こういうバラード演奏は必ず演奏の合間に挟まれていた筈です。だから、決して「一張羅の、よそ行き」の演奏ではなく、普段からやりつけている演奏です。むしろ偉いのは、それをワザワザ記録に残そうとしたColtraneや制作者のBob Thieleの判断です。この判断は正しいと思いますし、確かに良い盤に仕上がっています。それは認めた上で、だからと言って、これらを最高傑作と言ってしまったら、それは実態とはやはり違うんじゃないでしょうか。Standardものだけを集めた盤が他に余り無いから、それをネタにしたくなるのかもしれませんが、本線物の盤にも、NaimaI Want to Talk about You等の良い演奏があります。これらの演奏にも、同じDark Satin Lyricismが見られるし、それらは上記3部作の演奏と同様か、あるいはもっとそれ以上に高いレベルにある演奏です。
    Prestige期の演奏との違い
  • Prestige期にも、バラード演奏は多くあり、例えば「Violets for Your Fur(コートに菫を)」等は愛されています。後期の演奏と較べると、やはり中・高音部に固執している事は共通しています。まだコードによるアドリブをしているので、曲自体の曲想がしっかりしているPrestige期に比して、後期は旋律を塊として捉えるアプローチが印象的で、マッコイのピアノがそれを更に強調する感があります。その音群重視のアプローチを意識してか、口汚く言う人は、「後期のバラード演奏は、金太郎飴だ」とこき下ろします。Nelsonが、圧倒的に違いとして感じるのは、やはりまだ音が揺れる感じが残るPrestige期に比して、後期では自己の路線に強固な自信を持ちえた巨人の自信溢れる演奏をしている事です。
    ということで、、、
  • これら3部作を最高傑作に数え上げるのには抵抗がありますが、良い盤である事には異論はありません。時に取り出して聴きたくなる演奏の一つです。

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