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「HDD式MP3プレイアーによるによるColtrane漬け」と写真の現像


  • 少し前に、どこでもジャズColtrane、Evans、Miles、Chet...漬けを採り上げましたが、そういう風に一人のジャズメンの演奏を立て続けに聴くと生じる不思議な経験を、ちょっととっぴな話ですが、写真の現像作業中にも経験したことがある、というお話です。
  • Nomad Jukebox3に、Chet Baker(57曲)、John Coltrane(72)、Miles Davis(89)、Bill Evans(89)、Stan Getz(82)、Keith Jarrett(69)そしてSonny Rollins(58)といったジャズメンの演奏をぶち込んでいますが、これらの中の誰かの演奏を「アーティスト聴き」でドンドンと何時間も聴いていくと、その人の世界にドップリとひたれます。そのChet Bakerなら57曲、Keith Jarrettなら69曲を、ブッ続けに聴いてみると、Nelsonが演奏という媒体を通じて捉えているそのジャズメンの世界が耳から体感できます。特段の構造も思想も無く、ただ「好っきゃねん」ということだけで選んだ演奏なのに、期せずして、NelsonのJohn Coltraneに対するイメージが、結構正確に具現化されたものとなっている、と感じたのです。そこで、話を写真に大きく振ります。
    写真の現像
  • 昔、卒論か何かの作業中に、白黒写真の現像をやった事があります。焼付けは上手くこなした積もりで、現像に入ります。薄暗い赤色灯の下で、現像液に印画紙を浸して行きます。それなのに、気が急いているせいでしょうか、真っ白な印画紙には何の変化も起こらないのです。「マズったかな」と思うと同時位に、印画紙に変化が現れます。最初は、紙のそこここに、にじみのような黒点が出てきます。パソコンのDefrag画面のように、上から下へ、左から右へというような系統的な動きではありません。色んな所に、色んな速さで、ドンドンと黒点が増えてきます。「これは、何の写真だぁ」と思うのですが、そうこうしているうちに、全体に段々と辻褄が合ってきます。「そうか、この辺が木の葉か」等と、事物の判別が可能になります。そして最終的には、自分の撮った写真が現像液の中に、しっかりと姿を見せてくれます。とまぁ、現像は進行します。
    どこが引っかかったのか
  • 上記した「Coltrane漬け」にも、この現像に似たところがあります。2,3曲聴いたくらいでは耳なじみのある演奏ばかりですし、特にどうと言うことはありません。更に数十分聴き続けた辺りから、何かモヤッとした気分が生じます。現像作業で言えば、脈絡の無かったにじみに、少しづつ辻褄が合い始める頃のようなものです。孤立した点(個別の演奏)の群像が、何となく一定の形状を取り始めた気がします。しかし、まだ多角形程度のものであり、滑らかな形状には程遠い状態です。更に数曲聴き続けていくと、その「形状」の隙間が補完されて、段々と滑らかで、立派な形になり始めます。言い換えれば、「そうだよなぁ、Coltraneってこういうところがあるよなぁ」と納得し始める頃合です。違いがあるとすれば、現像では必ず同じ写真に仕上がるのでしょうが、Nomad Jukebox3による「Coltrane漬け」では、残念ながら必ずしもいつも同じ印象に至るとは限らない点です。つまり、聴く時によって「こういうところがあるよなぁ」であることもあり、「ああいうところもあるよなぁ」である事もあります。つまり、時と場合によって、印象がブレるのです。でも確かな事は、暫く聴くうちにいつも、「何かがそこに現前する」ような気がする事です。こういう経験を他でした事はありません。一つには、「小一時間、問い詰めたい」という慣用句(^^;)がありますが、かなりの時間、そう「小一時間」も、同じ人の演奏を色々と聞き続けるということが、何かを考えさせるのかも知れません。無論、話はColtrane漬けに止まるものではありません。Miles Davisでも、 Evansでも、そしてRollinsでも、話は同じです。
    「Coltraneばっかかけるジャズ喫茶」
  • そうこうするうちに、これは、例の「Coltraneの命日」の定番行事、「一日中Coltraneばっかかけるジャズ喫茶」が、これに近いのかな、という気がしてきました。この行事も、ジャズ喫茶のマスター任せで、ブッ続けにColtraneのジャズが聴けます。年に一回だけ、だから我慢(^^;)してるんでしょうか、お客さんも文句も言わずに、結構神妙に聞き入っています。Nomad Jukebox3に任せて、Coltraneのジャズ数十曲をぶっ続けに聴くのと、状況が似ていなくはありません。そして、恐らく、自分で次のCDを選んだり、自分でCDを掛け直したりしていたのでは、こういうことは経験できません。気が散るからです。別の動作が間に挟まると、集中をそがれてしまいます。そういう意識の集中を妨げる要素を、ほぼ完全に排除できるのが、この「Nomad Jukebox3によるColtrane漬け」であり、「一日中Coltraneばっかかけるジャズ喫茶」なんだ、という気がします。このようにドップリと漬かると、全身にColtrane音楽が飽和してしまうほど充満します。変な言い方ですが、こういう聴き方の場合、Coltraneを「外から聴いている」のではなく、「体の中から聴いている」というような実感があります。普通の状態である「外から聴く」ではなく、この異常な状態下における「体の中から聴く」としか譬えようのない不思議な感覚は、現像作業の進行と共に、徐々に潜像が黒点として現れ、更に姿かたちをとって現われ始める、アノ時の感じに似ていると思えます。

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