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定番と歌舞伎十八番
  • ジャズにおける定番と歌舞伎十八番について考え込んだ、というお話です。
    定番
  • ジャズにおける定番と言えば例えば以下のようなものです。ココはその中身の話ではないので2,3の例示に止めます。 その定番の最たるものが最初に挙げた安藤良人さん(でしたっけ?)の「チュニジアの夜」で、アノ全員が打楽器をめいめいに持って、というスタイルは定着(と言うか、マンネリ化も)しました。世に定番とされるものはそれぞれの分野にあり、Goods関係でポパイが定番特集を出すと売れたものです。趣味と言うか好みの世界の話ですから、議論しだすと甲論乙駁できりが無いのですが、深く立ち入らなければ相場は決まっています。見場の良い襟の曲がりが出るボタンダウンならあそこのシャツ、と言えば誰もが頷くわけです。
    歌舞伎十八番
  • これも定番の一種でしょうが、世に歌舞伎十八番というものがあります。19世紀に名優市川団十郎が同家の伝統を象徴するオハコの出し物18本を特別扱いしたもので、「勧進帳」等の名作を指定しています。この十八番の演目は、脚本が優れているだけでなく、市川家伝統の復古趣味を重んじた演出と、それを演技する演者の技術、この3拍子が市川家には揃っていることを誇示するものと言えます。この後、これらを演じるときには、演目一覧表に「歌舞伎十八番ノ内、○○」と麗々しく書かれるようになっています。
    歌舞伎の妙味
  • その歌舞伎の世界でも、定番の名場面、名セリフがあり、それぞれがジャズの名曲、名演奏と通じるものがあります。例えば十八番ではありませんが、Nelsonは「梶原平三誉れの石切り」(通称「石切梶原」)という演目が殊のほか好きです。話は頼朝の旗揚げを扱う武家物で、平家の武将でありながら源氏を影で支持する主人公の梶原景時が、ある名刀の試し切りにおいて本心を明かす、という物語です。源氏方の老爺が旗揚げ資金調達のため、伝来の名刀を売ろうとし、自分を試し切りの素材にして、その結果が良ければその名刀を平家が買うという皮肉な設定です。名将たる梶原にその役が命じられますが、梶原は一目見て、その名刀の真価を見抜き、しかもどうやら老爺が源氏のために身を賭していることに気付く。老爺の命を惜しむとともに、このような名刀は源氏の役にこそ立てるべきものと気付き、景時はわざと失敗して、その刀が平家の手に入るのを防ぎます。その名刀を持参した老爺と愛娘は、試し切りの失敗が不審であったのですが、梶原は周りに人が居なくなってから二人を呼び寄せ、「実はこれは名刀なのだ」と打ち明けます。「しかし、先ほどの切れ味では」と尚も不審がる二人に、「その証拠には」と傍にあった石の手水鉢をその刀で真ッ二つにしてみせます。そして「今は平家に属しているが、いずれは源氏に馳せ参じる所存。この名刀を譲って呉れれば、いざという時に、この名刀の魂の力を借りて源氏の役に立てたいのだ」と心中を吐露するのです。資金調達に失敗してがっかりしていた老爺が、その石切の妙技を眼前にして、感激の余り「切り手も、切り手」と賞賛すると、梶原も刀の驚異的な切れ味に対して「刀も、刀」と応じます。その時点での舞台設定は念入りであり、鶴が岡八幡宮を模した境内に3人と観衆の意識を集中させる作りとなっています。鳴り物、感涙にむせぶ気持ちを託したセリフ回しも、ここぞとばかりに雰囲気を盛り上げます。そして舞台は大団円、観客はウルウルとしつつも、大いに溜飲を下げる、という舞台です。脚本どおりの舞台進行なのですが、そのクライマックスでは、何度も見ているんですが、思わず胸が熱くなります。これをジャズに引き寄せて考えてみましょう。
    「お定まり」と「即興」
  • ジャズを聴くときに即興性が大事な事は当然なのですが、それに至る「お定まり」ともいえる手順も大事です。テーマの提示、あるいは合奏の見事さ、懸けあいの妙味などがあった上で、素晴らしいアドリブが聴ければ最高です。その事前のお膳立てがもたついては、見せ場のアドリブも盛り上がりません。歌舞伎、あるいは演劇では、即興ということを余り採りあげません。上記の石切梶原でも、見巧者の観客にとっては先刻承知の流れで舞台が進行し、「いざ」という時に「切り手も、切り手」、「刀も、刀」という最高の見せ場が登場して、場内大いに盛り上がる、という手順は何時も同じです。しかし、そこが生身の俳優のやる芸術の面白さでしょうか、その懸けあいの名セリフを待ち、ついにそれが出て、そしてその時にNelsonの体内にはアドレナリンが満ち溢れ、大いに感動するのです。お定まりでありながら、恐らくは微妙なセリフのタイミング、眼差しのブレ、所作の決まり具合が僅かに違うのかもしれませんが、感動は毎回あるのです。このように即興の妙味、お定まりの妙味、そのいずれも甲乙付けがたい魅力です。
    定番と修練
  • このように、定番的である芸術分野は色々他にもあります。定番であった上で、そこでかけがえの無い感動をもたらすには、決まりきった事をつつが無く進行させていくに止まらない、その時々に集中を高め感動をもたらすための修練が必要です。また絶えず見直しを重ね、細かい工夫を重ねて練り上げていく努力も欠かせません。記録に残された録音は数回しかなくとも、ジャズメンはライブなどを通じてもっと多くの回数の演奏を重ねる事により、プレィに磨きをかけ、演奏の定番化を成し遂げているのです。伝統芸術において徒弟制度的な厳しい研鑚が行われているのは、単に封建的なことではありません。そういう枠組みの中で、常時感動をもたらす事が必要とされており、それを一回小っきりではなく、常にその状態を維持し続けることの困難さは想像に難くありません。もっと目を他に向けても、何時も着心地の良いシャツを作り続ける、何時食べてもうまい酢豚を供する、これらの事の裏にはないがしろに出来ない、大事な要諦があるのです。そういう努力を知らずに、漫然と鑑賞するのは、失礼極まりない所業とも言えます。
    、、、と書いてきて
  • この話は、即興演奏が何んぼのモンじゃい -- アドリブと「テーマ聴き」と共通した話題を繰り返しているに過ぎないことに気付きました。でもまぁ、折角書いたんでから、コレも残しておきましょう。

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