新たな地平を切り開いていった後期のArt Pepper (3)::Fishermanの辣腕
- 前回までのメモはここと、ここにあります。
- Art Pepperの名盤:「Blues for a the Fisherman」盤(右掲)は、一介のレコード店主に過ぎなかったPeter Bouldがレコード制作に手を染めることを決心した処女作、「Mole 1」として取り組んだ録音でした。当初4曲入りのLPで出した所、一部で熱狂的な支持を受けました。続編の「True Blues」盤(MOLE 5)を直ぐに出した所、これも熱心なファンが擦り切れるまで聴きまくったと言います。Nelsonが持っているのは、後にそのLP2枚を合冊・編集したCD(CDMOLE 1)です。そのレーベル「Mole Jazz」(モグラの意)は、この盛り上がりを奇貨として、マニアの希望に沿ったリイッシュー盤を含めて、数十作品を発売するまでに至ったそうです。
(「Mole Jazz」のロゴ)
- 当時のArtは、シナノンを退院してシャバに戻り、「The Complete Village Vanguard Sessions」盤の発表等でジャズ界への復帰を明確にし、Cal Tjader名義の日本公演でも成功を収めた勢いを駆って、訪欧ツアーに挑んでいました。その途上、ロンドンでのギグを録音した上記ライブ盤が好評を博したというわけです。先日入手した4枚組完全版のライナーに、このツアーの実現には一寸した裏話があったことが述べてあったので、紹介しておきます。
どうも「The Fisherman」じゃなく、The無しの「Fisherman」らしい・・・
- 交通事故を起こして車内を調べたらヤクが出てきたので・・・ということは日本でも時折あることですが、訪欧直前のArtにもそれが起こりました。それまでの薬禍がつとに知られていたからでしょうか、車内のガサ入れで一本のストローから、コカインの微かな痕跡が見つかりました。当然ながら、Artはそのまま収監されてしまいました。裁判のために法廷に引っ張り出されると何日もかかりますから、ツアーに出発できません。すると訪欧ツアーでジャーマネをする予定のChris Fishermanが面会に来て、「ビータには行けるようにするから、心配するな。」と言います。彼は、起訴準備をしている地検の検察官女史のオフィスに出掛けて行って、一芝居打ちました。日頃の彼とは打って変わって、そんなの持ってたのかと思えるブラック・スーツを着て、アタッシュケースを抱えて颯爽と登場した彼は、弁舌爽やかに「そんなストローに付いていたゴミなんて・・・」とか、「Artはジャズ界最高の芸術家で、欧州の各都市で、多くの観客に米国の生み出したジャズの素晴らしさを披露するツアーに出かけようとしている所で・・・」とかまくし立てて、女史をケムにまいて釈放を勝ち取りました。「さぁ、こんなとこ、早く出ようぜ。」とArtを促して地検の門を出るや否や、彼はLaurieに小声で「俺は一度も、自分が弁護士だとは言って無いんだぜ。」と囁いたと言うから、かなり芝居っ気があったんですね。このChris Fishermanこそが、上記名盤のタイトルになった「the Fisherman」、その人だったと言うから愉快な話ですね。
(右から順にArt、Laurie、そして件の「Chris Fisherman」)
「The Fisherman」じゃなく、「Fisherman」だったと言うオチらしい・・・
- この名盤の元テープを全部発掘したCD4枚組完全版を手に入れる前に、Nelsonの手元にあったのは右掲のCDだけであり、Chris Fishermanなんてジャーマネが猿芝居をしたなんてことは知りません。先日この逸話を読んだので、あらためて元CDを見直してみましたが・・・あぁ、ありましたねぇ、これかなぁ・・・ライナー解説の片隅に一か所だけ「The Producer wish to thank Ronnie Scott's Club, Laurie Pepper and Chris Fisherman for all the help they give.」という謝辞を見付けました。つまり、盤の標題にある「Fisherman」とは漁民とか、漁師ではなく、固有名詞だったようなのです。Chris Fishermanは、Artの訪欧ツアーに殆ど付いて回っていて、ジャーマネ役をしていました。そして、興業に伴う色んなゴタゴタを、手練手管を駆使して治める手腕があったと言い、そのツアー直前にも上記のような活躍をしていたと言うのです。
何故、Milcho Leviev名義にしたのか・・・
- 「Blues for a the Fisherman」盤は見れば判る通りに、Art Pepperではなく、Milcho Leviev名義で出ています。しかし中味の演奏を聴けば、この盤のリーダーはArt Pepperです。全編で真っ先にアルトがアドリブを取り、また一番長くアドリブをするだけではなく、前説もアルトがやるんですから、これでピアニスがリーダーのカルテット盤である筈がありません。こうしたことには、必ず理由があるものであり、それはArtの専属契約から来ることなのです。こういった例は時々あることで、大名盤である「Somethin' Else/ Julian Cannonball Adderley」も、内容的にはMiles Davisのリーダー作です。しかし、当時の御大はCBSの専属でした。それ故にBlue Noteからはリーダー作を出せなかったので、この盤はCannonball名義となったのでした。そうした事情は、「Blues for a the Fisherman」とも共通します。このように、専属契約では多額の契約金が払われる代償として、様々な制約が付随します。自分の盤だけど無理をして手下名義の盤にしてまで出したい盤ですから、演奏するジャズメンにもリキが結構入ります。「Blues for a the Fisherman」はそれ程では無いのですが、「Somethin' Else」盤などはBNレーベル中でも屈指の売り上げを誇るヒット盤になったのです。
専属契約の制約
- こう言った制約の中のもう一つのものが、録音する曲の取捨にあります。Artの専属先のGalaxyとの契約では、同レーベルで録音・発売した曲は、その後5年間は他レーベルでは録音できません。これは、ジャズと言うよりもポップス界での慣行に根ざすもので、人気歌手が唄ってヒットした曲は、TVなどで唄うのは宣伝になるから良いとしても、他のレーベルでそのヒット曲を自分でカバーして録音することは禁じられます。レーベルとしては、その歌手にヒットを出させるため、著名な作曲家、作詞家、ビッグバンドなどの入念な仕込みをした上で録音に臨んでいるからです。そうしてやっと出したヒット曲を他のレーベルでも唄われたんじゃあ、立つ瀬がないのです。そのために著作権での縛りを懸けたりもするのです。
そこを何とか・・・
- ArtがRonnie Scott'sで予定した2日間のライブ録音では、バンドが演奏する曲はいつもだと下記のようなものですが、これらの中にはMole Jazzに録音できない曲が多くあります。ライブでうまくバンドの気が合ったので演奏の出来がグンバツだったとして、録音のセッティングも上手く行き、回していたテープに良い音で録れた・・・としても、それをライブ盤に収録して発売することは出来ません。
(Art PepperのSong Bookは、ミディアム、スローなどとテンポで分類してあり、このうち専属先のGalaxyで録音した曲は他のレーベルでは5年間は出せない。)
Fishermanの再三にわたる貢献に応えて・・・
- 「Blues for a the Fisherman」のように、ジャーマネの名前を取り入れた曲を献呈することは良くありますが、かてて加えて盤自体のタイトルにおいてまで敬意を表したのは、このライブ盤を発売するに当って解決すべき諸々の制約を、Fishermanが何とか丸く収めた功績によるものでした。彼は上記の釈放交渉等も含めて、この辺の制約をゴニョゴニョとかいくぐるのが上手だったようで、Laurieはそれを傍で見ていて大いに勉強になったと言います。その腕は、録音禁止条項の問題でも発揮されたようで、禁止曲をチャンと収録して売り出しています。
- Artに限らずどのジャズメンも、ある時期に、ある曲を始終演奏します。そういう曲はGalaxyでの「Trip」盤や「Landscape」盤等で録音したばかりですから、同時録音しているライブ・ギグでもその禁止条項を気にしてArtは演奏を控えていました。しかし、やはりどうしてもそれらの曲がやりたくなって、ArtはこのRonnie Scott'sでの週末のライブで客の入りが良かったせいもあるのでしょうが、前説で「今日はちょっと乗って来たから、冒険をする・・・」と言って、堰を切ったように「Landscape」、「Patricia」、「The Trip」等を演奏しました。そしてMoleは、このうちの何曲かを2枚のライブ盤に録音禁止曲と知りつつもを、ヌケヌケと収録しました。Laurieは、Fishermanがどう言う風にこの件についてGalaxy社とナシを付けたのか・・・は書くのを控えています。「他人の盤にサイドメンとして参加した時のことじゃないですかぁ。他レーベルでの再録音禁止条項には触れないんじゃないのぉ・・・」等と粘ったに違いありません。
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