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1964年4月某日のEric Dolphyインタビュー

  • ミンガスの64年訪欧楽旅の途上、アムステルダムの有名な会場であるコンセルトヘボゥで、4月10日にギグがありました。この会場でのライブ盤が他にも結構出ていますし、その名を冠した交響楽団もありますから、音楽会場としてはこの国でも屈指の会場なのでしょう。
    金曜日夜のコンサート
  • コンセルトヘボゥでのコンサートは、金曜日の夜に行われたようです。かなり熱が入ったのか、コンサートがはねた時には、もう土曜の朝になっていました。ラジオ制作者で、ジャズファンのMichiel de Ruyterは、この機会を捉えて、Eric Dolphyにインタビューしました。RuyterはオランダにおけるLeonard Feather的な存在だったそうで、まぁ、わが国での油井さんのような位置にあったのでしょう。Ruyterは、同僚のKees SchoonenbergやAad Bosと共に、 隔週の番組「Radio Jazzmagazine」をVARAで制作していたので、特にこのインタビューを企画したのです。このインタビューは、オランダの公共ラジオ放送であるVARAによって、11日後の1964年4月22日に放送されました。熱烈なファンが居て、このインタビューに感激したそうで、その話がジャズ仲間に広がっていったようですが、ラジオのこととてもう一度聞くことはできません。
    筆記録
  • その後、P.K.というファンが、Ruyterの共同制作者であったAad Bosの私的なファイルに、この放送の録音テープがあると知ります。そしてそこに目を付けて、その夜のインタビューのテープ起こしをして、完全なテキストを提供する役割を買って出ます。それが、今ではネットで誰でも読める状態になっていたのです。
    もうひとつの驚きと、拙訳の試み
  • それだけならば、まぁ、無い話ではありませんが、この話にはもうひとつ、Nelsonにとっては驚きがありました。Eric Dolphyの名盤「Last Date」の最終トラックには、ファンならご存知のように、彼の肉声が入っており、「音楽は宙に消えてしまって、二度と捕まえられない」という彼の肉声での発言は有名です。しかし、これは録音前後にスタジオで収録されたものではなく、まったく別個の音源であり、このインタビューから持って来たものだ、というのです。これは、寡聞にして知りませんでした。インタビューの中での発言で、その大事さに気付いた制作者が、放送局のインタビュー・テープから正にその部分だけを取り出して、彼の音楽性を象徴する言葉として、「Last Date」盤末尾に挿入したというのです。Nelsonと同様に、「そういう背景があるとご存知ない人もいるだろうなぁ。」と気付くと、翻訳してみる気が起きました。それが、この拙訳です。この場合の「拙」は、自分についての謙譲語ではなく、ヘタッピ即ち「拙(まず)い」という意味ですので、読み難さはご容赦ください。
    ボックスマン・小山説
  • 手元の「Last Date」を見直してみると、小山さんのライナー解説では、少し違った説明がされています。小山さんは、この肉声は、夭折のニュースがオランダに伝わった死の翌日、7月1日にVARAが急遽、追悼番組を組んで、その締めに使われたのが最初だ、と書いておられます。これは「Last Date」の発売以前ですが、まぁ、そうかも知れません。第2に、元インタビューの時期についての記述が違います。時期については、「4月にアムステルダムでのギグ直後に採った」という現地の方の上記した証言があります。でも小山さんは、その3か月近く後にVARAが放送用の演奏を収録するために、郊外の放送局スタジオに招いた時にインタビューしたものだと書かれています。これは、どうでしょうか。上記したような多くの事実からすると、これは少し違うんだと思います。
    訳出許可
  • いずれにしても、その日のうちに、NelsonはそのP.K.という権利者にメールを出し、「我がサイトに和訳を載せたいが、、、」と打診しました。直ぐに、「商業利用でなく趣味のサイトに載せるのならば、許可するよ。」と返信がありました。その結果が、上記の拙訳です。もうひとつ、。このやり取りの中で面白いことがあったので、それも別にメモしておきます。
    「Last Date」盤
  • Michiel de Ruyterは、訪欧したEric Dolphyが今後どういう方向を目指しているのかについて、インタビューを試みたようです。そして、「Last Date」盤の制作者は、結果的に長い間彼の最後の録音と認識されてきた盤の発売に当たって、そのインタビューの中から、最もジャズファンの耳目を集めるだろう、この発言を抽出したのです。ご存知のように、今ではこの盤よりも後の録音が一杯発売されており、またそれらは高い評価を受けていますが、当時としては相当の見識ある判断だったといえます。

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