Dolphyインタビュー(全文)
- 以下に、1964年4月10に、オランダのラジオ制作者Michiel de Ruyterが、Eric Dolphyに行ったインタビューの拙訳を掲載します。このインタビューは公共放送VARAによって、11日後の1964年4月22日に放送されたものであり、そのテープを共同制作者であるAad Bosが私的に保有していたものを、DolphyのファンであるP.K.氏が、テープ起こしを施したものです。Nelsonは、先日、同氏にメールで日本語訳の許可を求め、非商業利用を前提に許可されました。「拙訳」と称したように拙(まず)い訳ですから流用など考えられませんが、許可条件にあるように商業利用はしないでください。
インタビューの内容
- Michiel de Ruyter(MR): この前、61年後半に当地に来られてからのこと、Coltraneとのことについて、少し話して下さい。
- Eric Dolphy(ED): 一緒に活動した人たちのことかな。
- MR: 何が面白かったですか。
- ED: 確かにColtraneやそのグループと演奏したのは良かったな。あのグループ全体がかなりのものだった。知ってのとおり、記憶に残る音楽が展開したし、あらゆる機会を捕らえて、どこかで何かやると聞けば、ボクは出掛けて行って、演奏した。
- MR: あなたはMingusさんとも長く演奏して来ていますから、彼の音楽も好きなのに違いないですよね。
- ED: あぁ、勿論だ。Mingusと共演するのは好きだ。これは、つまり、二つの違うバッグだってことなんだ。ColtraneとMingusは別のタイプの演奏をするけど、それぞれに非常に面白いし、追求べきものがあるってことだ。 どう言えば判りやすいのかな。
- MR: 無論、あなたは自分自身であろうとするし、、、
- ED: 当たり前さ。
- MR: どんなグループなら、それがやれそうですか。
- ED: 判らないなぁ、どんなグループにもその可能性が有るし、ボクはしばらく欧州に滞在するつもりで、演奏して回ったり、そんなことがしたいんだ。沢山演奏したいんだ。
- MR: しばらく欧州に居られるんですか。
- ED: しばらく居るよ。
- MR: どこに居られるつもりですか。
- ED: どこかは決めていないんだけど、ここに居るよ。
- MR: このツアーの後、ここにとどまられるんですね。
- ED: そう、そう。
- MR: パリとか、その辺ですか。
- ED: そう、考えているんだ。パリに居るつもりさ。
- MR: あなたは、まだ何かを模索しているように見えますね。
- ED: 間違いないね、そうさ。
- MR: あなたには、まだ目指すものがある。
- ED: そう、ボクは別のグループとも演奏するんだけど、興味があるだろうね。ボクは、John LewisのOrchestra U.S.Aと演奏する。彼とは何度か一緒にやったけど、えぇーっと、今、彼は休暇中なんだ。いずれにしても、彼らはもう一回コンサートをやる予定で、ボクも参加したい、今月中だ。知ってのとおり、彼らは良いコンサートをいくつかやった。彼らはジャズとクラシックとが融合した演奏をするんだ。John Lewisが監督で、Gunther Schullerが指揮をする。どんな融合になるのか楽しみだし、そのオークストラはソロイストをゲストに迎える。Coleman Hawkinsが参加するし、Modern Jazz QuartetやGerry Mulliganもだ。他に誰が居たっけ。今判っていることは、これ位だ。誰が他にソロイストになるのかなぁ。
- MR: 自由にやれるんであれば、あなたも参加したい筈でしょうねぇ。
- ED: そう、しばらくはそうするつもりなんだ。つまり、こういうことだ。いろんなやり方で演奏するのが楽しい。自分を表現する大きなチャンスが得られるし、演奏の幅が広くなると感じる。でも、幅広く演奏すると僕が言うのは、一寸そういうこととは違う気がする。多くのジャズメンと演奏すれば、それは役に立つと感じる。それは自分を発展させる。というのも、音楽自体は、どんなものであれ、どんなラベルが付けられたものであれ、それは基本的に音楽であり、基本的に創造なんだ。音楽について考えている時、音楽を聴いていて、それが終わったら、音楽が終わったら、音楽は宙に消えてしまう。音楽をもう一度捕らえることはできない、そういう意味で、音楽は純粋な創造なんだ。BeethovenやBrahmsを聴く時、Mingus、Coltrane、Stravinsky、Ravel、Duke Ellington、Sonny Rollins、Roland Kirkであれ、何であれ。Oscar Petersonも、Ella Fitzgeraldも、そうである筈だ。それに、実に面白い演奏をした経験があるんで、聞いてくれ。Guther SchullerがOrchestra U.S.A.のために編曲したものを、Leonard Bernsteinが気に入ったんだ。 レニーは、それをPhilharmonicで演奏したがった。それで、我々はPhilharmonicとそれをやることになり、この曲でボクがソロイストになる機会を得たんだ。これは、素晴らしい経験になったよ。皆が偉大な音楽家で、そういう人たちと演奏できたことは素晴らしい経験だった。名前があろうが、なかろうが、参加するあらゆる音楽家は偉大な音楽家だ。強い個性をもった人が目立ってしまうことは、良くあることでけど、聞いたこともない音楽家が偉大なことをやったり、その音楽で感動させることだってよくあるんだ。
- MR: だから、堂々と演奏すれば、偉大な音楽家だということかな。
- ED: まあ、判らないけどね。時が来れば判るさ、時が来ればね。
- MR: そう思いますよ、感じます。
- ED: 時が来れば判るさ、時が来ればね。ボクはまだまだ変わりつつあるんだ。
- MR: どうも、ありがとうございました。
以上が、インタビューの全容です。
肉声が抽出された部分
- 別にメモしたように、このインタビューの下記のゴチック部分が、本人の肉声で「Last Date」の最終トラック「Miss Ann」の末尾に収録されています。
- That develops you, because music, regardless of what it is, what label we put on, it's basically music, and basically it's creative, because when you think about it, when you hear music after it's over, after it's over, it's gone in the air, you can never capture it again, so it's pure creation.
- それは自分を発展させる。というのも、音楽自体は、どんなものであれ、どんなラベルが付けられたものであれ、それは基本的に音楽であり、基本的に創造なんだ。音楽について考えている時、音楽を聴いていて、それが終わったら、音楽が終わったら、音楽は宙に消えてしまう。音楽をもう一度捕らえることはできない、だから、音楽は純粋な創造なんだ。
これは、原盤レーベルであるFontanaの制作者が、Eric Dolphyの追悼盤であることを踏まえて、印象的な本人の言葉として付加したものです。発売当時は、いわゆる公式録音としてはこれが最後の録音として認識されていました。その後、色んな録音が発掘されており、例えば「Naima」盤などは、中々良い演奏です。
前後の文脈
- Eric Dolphyの肉声トラックの前後の文脈は、上記のとおりです。すなわち、サード・ストリームを含む、色んな新しい試みに参加することに意欲を見せています。更に、色んなというか、どんな音楽家であれ、共演することが楽しいし、またそれを通じて刺激を受けたいと言っています。そして、創造行為としての音楽は、演奏が終わった時に宙に消えるべき運命にある。だからその瞬間、瞬間が大事だということを強調し、そういう音楽が生まれる瞬間における精神の運動に注視すべきであると指摘したのだと、Nelsonは受け取っています。
「この前、61年後半に当地に来られて、、、」
- インタビュアーが、冒頭に、「この前、61年後半に当地に来られてからのこと、Coltraneとのことについて、少し話して下さい。」と言っています。これはColtraneクインテットが61年秋に訪欧した時のことです。この楽旅では、殆ど毎日コンサートをやっていることが、研究家の藤岡さんの調査で判っており、その演奏の多くがLive Trane: The European Tours(7CD's)として残っています。その途上の11月19日に、Eric Dolphyも入ったColtraneクインテットは、この同じコンセルトヘボゥでコンサートをしているので、その時の来訪を指しています。このコンサートは、記録によれば録音されていないとのことです。
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