「Bells/ Albert Ayler」と、インサイド・フォース・キャンセラーの謎
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「無人島10枚」にAlbert Ayler関係の御投稿があったので、「そや、久しぶりに懐かしの、、、」と「Bells」盤を聴き直していると、インサイド・フォース・キャンセラーのことを思い出した、というお話です。「この二つのどこが、どう繋がるんだ」といぶかる方も居られるでしょうし、既に話の展開が読めてしまった方も居らっしゃるでしょう(^^;
Jazzに入れ込み始めの頃
- Nelsonが最初にAlbert Aylerを聴いたのは、「我が名はAlbert Ayler」盤か、「Spiritual Unity」盤のどっちか、あまり自信がありません。演奏も面白かったし、サックスの音色も魅力的に聴こえました。そして、何よりも印象深かったのが、その後に出た「Bells」盤です。当時、つまり1960年代前半のジャズ喫茶では、一日に何枚もこの手のフリー盤がかかりましたから、毎日半日はそこにいるという生活習慣(^^;を持っていると、当然フリーも耳に入ります。いろいろ聴いてみて、というか聴かされてボンヤリ判ってきたのは、フリーにも色々あってハチャメチャで手の付けられない盤の中にも、無調性に近くてもかすかに色というか、土の香りなどがするものや、楽器の音色が魅力的で惹きこまれるものなどがあります。そんなこんなで、Nelsonは入れ込みこそしませんでしたが、フリー盤も結構聴いている、というか「聞いている」のです。
時、正に、、、
- 60年代といえば、わが国でも60年安保直後です。通っていた私立高校でも、「オーイ、これからデモやけど、一緒に行くかぁ。」なんてアジる奴がいました。先物仲買人だったのに、岩波の「世界」を購読するという変わり者だった父と、既に社会人だった長兄とが岸信介の話をしているところに割り込もうとして、「邪魔なんだョ」と軽く追い払われたこと等も思い出します。こっちはその程度の「遅れてきた世代」でしかありません。ジャズの本場、アメリカはといえば、James Baldwinの「The Fire, Next Time」の頃でもあり、フリー・ジャズが支持されてもおかしくない社会状況がありました。
、、、やっていることには共感する
- 個人的にも、血気盛んな学生時代ですから、例えばそれらしき政治ウンドウに対しても、「アイツらの言っていることは支離滅裂で、よぉ判らんけど、やっていることは共感できる。」なんて話し合っていたものでした。何よりも、日頃は歩道で人を掻き分けなければ進めない京都四条大通りの、ダダッぴろい車道のド真中を、護衛付き(^^;で、フランス流儀だとかでゆったりと闊歩できたのは、兎にも角にも爽快この上ない散歩でした。その雰囲気からジャズ喫茶へと流れて行くと、ESPレーベルなどは格好の聴取対象で、「なんや判れへんけど、おもろそうやンか。」と、口直しになりました。フリーのジャズもNelsonにとっては、上記政治ウンドウに対する「アイツらの、、、」と似た受け止めであり、その範囲での共感がありました。しかし、悲しいかな、最初の5分くらいは「こいつ、どんな奴っちゃねん」とまじめに聴くものの、聴く側の理解を演奏者自体が拒絶している気がして、後はフテ寝してしまい、エンディングでしょうか、馬のいななきを聞いた気がして、ハッと目覚めるというのが、常でした。
菜種色の片面盤
- さて、本題に戻って、この盤はESPとしては10番目の発売なんでしょうか、「ESP1010」という番号を持っています。これを速攻で入手した京都荒神口シャンクレールでは、ほぼリアルタイムで聴くことができました。このリンク先にあるようにヴァージョンの多い盤で、シャンクレール盤は、白地に薄墨色で印刷されたジャケット、中身の盤がごく、ごく薄ーーい菜種色というヴァージョンで、「Bells」という文字を2つ、互いに頭をぶつけるように配置して意匠化した図が刷り込まれていました。既に、東芝エンジェルのエバー・クリーン盤で、真っ赤なLPは知っていましたが、菜種色のLPは初見です。恐らく、溶融ヴィニールの素材そのままが、この菜種色なんでしょう。後になって、クリア・ヴァイナル(Clear Vinyl)盤と称されていることを知りました。10年位後のロック盤なんかでは、もっと変わった色が出ており、これは単に材質に染料を加えれば問題は無いことなのでしょう。そして、更に、この盤は片面しか録音されていないのです。そしてノッペラボウの側には、ジャケットの意匠がそのまま、今度は白のインクで印刷されています。透明の菜種色で、紙よりは少し厚みのあるヴィニールですから、その「2つのBells」という意匠が宙に浮き上がって見えて、優れたデザインと評判を呼びました(一部から、「演奏よりも、意匠の方が良い」とのチャチャあり。初版の美品は、オークションでは20万円近く迄行ったことがあるとか。) 演奏が短かったからなのか、この意匠を盤にも刷り込みたかったからなのか、どうでも良いといえばどうでも良いことですが、当時としては斬新でした。この盤がジャズ喫茶でかかると、初見の人は皆、そのジャケットを見に行ったものでしたが、盤の方は再生が終わるまで見ることができないのです。このレーベルの手持ちアナログ数枚を今確かめましたが、レーベル部分にこそ色んな工夫がしてあっても、盤は特に変わったところの無い黒ヴィニール盤です。少し前にCD化が進みましたので、今はこれをCDでお持ちの方が多いのでしょう、、、というところで、話は次に続きます。
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