京都シアンクレールのこと
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ジャズ喫茶通いは色々しましたが、一番回数が多かったのはここ、京都シアンクレールでしょう。何しろ、昭和40年前後のことだから数十年前ではありますが、学生時代、なぜか5年間(^^;)という半端な期間、の殆どをここで過ごしました。当時の京都には、「お獅子の」ブルーノート、ビッグビート等が既にありましたが、下宿と大学に近いせいもあり、音も雰囲気も良かったので、ほぼココが専門でした。
- 先ず店の紹介をしておくと、この店は星野さんというおばさまがやっておられ、河原町通り丸太町を少し上がった荒神口というところ(今はない市電の電停前)にありました。外装は赤レンガで、一階がクラシックを聞かせる店で、その2階が「関西にこの店あり」と知られた「Champ Clair」であります。仏語の「明るい場所」と「思案に暮れる」の引っ掛けと聞きました。付近は、立命、府立大学、同志社、京大、鴨沂高校と学生が多く、若者の多い場所を選んだのは流石です。
- この店は、ジャズ喫茶としては京都でも結構古い方の名店で、その評判の一部は美形のママ(当時)に帰するのでしょう。といっても、ママは同じ市内の熊野にもお店があったようで、ママの顔を見ることは殆どなく、機器の入れ替え等の節目に顔を出されるくらいでした。店内には、その頃絶大な人気のブレイキーと肩を組んだママの写真があり、京都に来れば必ず付合う仲だ、との噂でした。また確かなことは知りませんが、数学の参考書「チャート式、、、」のシリーズを書かれた方の娘さんである、との話です。
- ここは、ほぼ二人制の学生アルバイトでその頃は稼動しており、夜は11時頃までやっていました。普通のジャズ喫茶のメニューですが、コーヒーが独特の苦みがあり、結構いけました。コーヒーといえば、その頃Nelsonは、駆け出しの頃の植草甚一さんと手紙のやり取りをしており、「京都では必ずアソコに寄るが、コーヒーの旨い店だ」と貰った手紙にあったので、そのアルバイトに見せてやると、たまたまママが一階の店にいたらしく、早速床下の業務用階段から下に持って行き、「ママ、大喜びよ」との反応でした。その頃のここのやり方は、「朝一番に一日分の量を濃縮状態で作っておき、注文毎にそれを手早く仕上げるのだ。」と知っていましたから、まぁ、それだけプロの入れ方をしていたということなのでしょう。
- 正確ではありませんが、カウンターの後ろと、店内の欄間に千枚以上のレコードが収納してあり、リクェストによっては客をどかせて取り出すことになります。座席は30以上はあったような気がします。今思い出しても良いコレクションでしたから、恐らくは東京の業者から仕入れしていたものと思います。この時期は、ボックスマン児○さんがミナミのジャズ喫茶でバイトしていた時期でしょう。巷にはまだ輸入盤を扱う店といえば、関西ではヤマハ、ワルツ堂位いしかなく、そういう輸入盤がゴロゴロしていたこの店で、Nelsonはモダンジャズの手ほどきを受けたことになります。
- 店の再生装置は、その頃はまだ学生で詳しいことが分らなかったのですが、良い音がしていました。アルテックのマラガか何かではなかったかと想像します。神戸ヤマハで3千円近かった盤を、無理をして手にいれた輸入盤の「Art Blakey and Clifford Brown at Birdland」の音が、家の装置でも分厚く、濃い音だったので、馴染みの女の子に頼んで、一度店の装置でかけてもらいましたが、流石に音は凄かったです。ただし、ママの方針で「所蔵盤しか掛けない」ということで、モグリでした。プレィヤーはデュアルのオートチェンジャーだった、と思います。
- Nelsonの場合は、大体、午後早くに入店して空腹が我慢できなくなる夜までか、晩飯後に入って閉店まで居る、というパターンでした。少なくとも数時間は粘って、恐らくは10枚くらい聴いていたわけですが、これが当時は普通でした。昼から居る時に、店に結構高校生がいるので不審に思ったのですが、付近の鴨沂高校生らしく、ここは選択制が採用されていることもあって、昼の出入りは当たり前のようでした。中には明らかにラリっているのが居て、フラフラすると追い出されていました。聞けば、予備校生らしく、はやりもあっただろうし、不安の余りという気もしました。
- ここでNelsonは、多種多様なジャズを耳にしたわけで、別項で書いたように、「アスンション」を聞かせられながら不て寝をしていて(^^; 目覚めてもまだやっていて 呆れたこともありました。それにしても、自分からは聴かないものを無理矢理聴かされるのもジャズ喫茶の良さであり、「やはり嫌い」となるか、「へぇ、こんな所もあるんだ」と興味を掻き立てられるか・・・それもその後のジャズ耽溺生活の肥やしになった、と感謝しています。
- 数十年も前の昔話であり、事実に記憶違いがあるかもしれませんし、もう十数年前には閉店された筈です。ひと頃話題になった高野さんの「20歳の原点」(でしたっけ)にも、立命の学生時代に通った時のことが書かれていました。それにしても素晴らしいジャズ喫茶であったことに間違いはありません。神戸:バンビ、大阪:ファイヴスポット、チェック、有楽町:ママ、新宿:ディグ、木馬等々、ジャズ喫茶華やかなりし頃の話です。
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