手癖とストックフレーズ
- 手癖というものがあります。ピアノにしろ、ドラムにしろ、自分にとってもっとも自然だし、こう来ると次はこう行くと言う風に手が動いてしまうものだそうです。一方、ストックフレーズというものもあります。この曲ならば、あるいはこのコードならば、このフレーズで行けばナントカなる、という手持ちフレーズです。この人とレコーディングするから頑張ろうと練習していると、良いフレーズがでてきたので、これは是非本番でも使ってやろう、とでも言う場合なのでしょうか、、、。ライブに行くと、同じ曲で同じようなアドリブ展開をするので呆れる、あるいは感心することはたまに経験することです。
似通ったコード進行
- テ−マであれ、アドリブであれ、旋律でみると千変万化ですが、コードでみると、例えば正調ブルースなどはもう決まったものです。ブルースでなくとも、色んな曲で、コードの展開が似ている部分は必ずあります。だから、ブルースでアドリブをする場合、コード展開は決まっており、ネタは割れているわけです。ジャムセッションで、まだお互いの手の内が判らなくても、とりあえず一曲目にブルースをやって、ピッタリと演奏が決まるのは、展開が決まっているから出来る事です。ですから、ブルースで毎回、毎回、同じアドリブをしたとしても、しっかりコードに沿っている限りは、アドリブとしては正しい訳です。無論、ジャズは演習じゃありませんから、正しいだけでは済みません。それを聴いていて楽しめるかと言うと、それは別問題です。コード展開が決まっているブルースでも、当たり前の事ですが、曲が違えば判ります。
曲を印象付ける断片
- これは、印象に残る旋律(の断片)、強拍や長めの音その他が、その曲を特徴付けているからです。だから、恐らくは何千曲ものブルースが存在する筈です。これをプロは、皆似たようなアドりブで片付けては居るわけではありません。プロの良いアドリブでは、原曲の特徴を生かしながら、でも基本的にはブルースのアドリブをしています。従って、「元歌のウリを上手く生かし」ながらも、「ブルース・コードの基本をちゃんと押さえた」アドリブをすると、喝采が来ます。それは、言い換えれば、その曲のアドリブであるし、同時にブルースを心得たアドリブでもあるからなのです。この「基本をちゃんと押さえた」というところで、手癖や、ストック・フレーズが出てきます。しかも、プロといわれる程の人は、修行中に色々な場面に出くわし、体調の悪い時でも「それなりの」拍手を貰うために、幾つかの、あるいは多種多様な手癖や、ストックフレーズの抽斗(引き出し)を持つようになります。そして色んな曲をやるときに、「これかな」と思う抽斗から、その場にあったフレーズを採り出して使うわけです。
プロの抽斗
- 古手の人とやるときの抽斗、若いもん同士でやるときの抽斗、歌伴の時の抽斗、更にはジャズじゃない営業(結婚披露宴のバンド等)の時の抽斗、その他色々です。そしてその抽斗の中身は、ジャズメンによってそれぞれ異なります。つまり、個性です。個性というのは、その人ならではの特徴、ということもありますし、(失礼な言い方になりますが)それ以外のことは出来ないか、余り得意じゃない、そういう料理の仕方は好きじゃない、ということでもあります。そういう個性的な抽斗を多く持っていた上で、その時の面子、実際にやる特定の曲、場の雰囲気に合わせて、TPOに合致した演奏を披露する、それがプロなのだろう、と思っています。
流派、スタイル
- 手癖であれ、ストックフレーズであれ、あるレベルを超えると、芸術ではないにしても、芸、school(流派)、又はスタイルとなることがあります。卑近に言えば、流行り、あるいは時代の傾向でしょうか。例えば、50年代後半に、peckと言うスタイルがありました。鳥がくちばしでものを突っつく感じ、と譬えられます。その当時には、結構はやったそうで、録音としてもいくつか残されており、ジャケットに「peck聞けます」なんて惹句をいれたのもあります。怒られるのを承知で言えば、偉大なるColtraneの演奏も、時を隔てて俯瞰的に見れば、個別の音に違いはあれ、その演奏の流れは独特の、あるいは偉大なスタイルなのでしょうが、単に一つのスタイルでしかないともいえます。つまり、それがoriginality, identityということでしょう。
TPOに合わせる
- あんまり起承転結の見事なアドリブに出会うと、「ホントに即興かよ」と茶々を入れたくなることがあります。Bag's GrooveのMilesのアドリブがそれだという人がいますが、そこまで言うと一寸違います。それを言うなら、Clifford Brown等は、全てがそれに該当することになります。Nelsonとしては、Brownのあの自由闊達さの遍在を見れば、あれは即興の天才性の具現と言うべきであって、いわゆるprepared soloと見るのは明らかに僻めであると思います。つまり、多分色んな引き出しから既成のフレーズを引っ張り出してはいるんでしょうが、でもその場と曲の雰囲気を実に上手く生かしており、全体としては「素晴らしいアドリブ」に仕上がって居る、ということでしょうか。
御ひいきジャズメン
- ところで、同じ演奏なのに、ある人は「ストックフレーズばっかりだ」と唾棄しますし、別の人は「すごいじゃン」と気に入ることは、よく見聞きします。これは何故なのだろうか、と冷静に考えてみると、こういうことではないかと思います。つまり、手癖、ストックフレーズ等のイチャモンが出る、出ないは、その演奏に対する共感の深さによるという気がします。つまり、そのジャズメンが嫌いだから、イチャモンを付けたくなるのです。また、そういうイチャモンを付けないのは、そのジャズメンが好きだからという場合が殆どです。極端なことを言うと、アノ手癖が聴きたいために、その人の演奏を聞く、ということもたまにはあるじゃ無いですか。これを辛口にみると、そんなものは「贔屓の引き倒し」に過ぎない、とも言えます。
どこが悪いんじゃい
- 「贔屓の引き倒し」というのは、ちょっと批判的な表現ですが、ここで言う「贔屓の引き倒し」は、まんざら悪いものでは無い事も、言っておきます。ジャズが楽しむべきものであるとすれば、入れ込んで、聞き惚れることに何の躊躇も必要ありません。ぶつぶつ言わずに、楽しめれば良い、というのも真実です。
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この辺については、手癖、スタイルそして文体において、実はこういう手癖が文体につながっているという私見をメモしておきました。
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