(Home - Hear Me Talkin' to Ya / BACK)

手癖、スタイルそして文体
  • 手癖についてもう少し考えてみると、結構この問題は根深いものがあり、スタイルそして文体にも話が及んでしまう、と言うお話です。(しち面倒くさいと思ったらパスしてください)
    手癖
  • 手癖、あるいは特有のフレーズは誰にでもあり、またどの楽器にもあります。どういう演奏かを知らせずに聞かせて推量させるBlindfold Test等で、かなりの方が演奏者名を当てる事ができるのも、この手癖があるからです。手癖とフレーズの違いは人により捉え方に差がありますが、Nelsonは手癖は短い音列で、演奏全体に影響があるものではなく、でもその人が良く使う音列と解しています。それに対する評価が良い場合も、多用しすぎなどで評価が悪い場合もあり、ニュートラルな形容のようです。フレーズは、もう少し長くてもいいんですが、演奏自体の出来を左右する位に印象深いもので、どちらかと言えば、けなす場合よりも褒める場合に使う事が多い用語です。つまり、単に「フレーズ」ではなく、「良いフレーズ」という意味で使っている人が多いようです。Bud Powell、Thelonious Monk、Bill Evans、Red Garland、Wynton Kelly、Keith Jarrettと誰を挙げてみても、少し聴いている人であれば、「あの曲のあそこンとこは良いよなぁ。」というフレーズが思い当たる事でしょう。ジャズでは、当然、文体と言う言葉は使いませんが、その人の様々な演奏に共通した手法の具体的な現れというか、演奏全体のスタイルのようなものが文体なのでしょうから、夫々のジャズメンに固有のスタイルがあるわけです。
    「文体」
  • 文学における文体は、文体論と言う分野があるほど奥の深い世界です。その文体について書くほど、Nelsonは高い見識と、厳密な表現法を心得ていませんから、以下の記述はド素人のたわ言と聞き流して下さい。ある小説は、普通、特定の言語を用いて表記されますが、意思伝達のための語彙、文法等という枠はあっても、同じ客観的な事象を記述するのに多様な表現が可能です。色んな文学者がそれぞれ発表する作品の表現スタイルが、取りも直さず文体なのでしょう。表現ではなく、スタイルをくっつけたのは、個別の作品や特定の部分に用いられた具体的な用語、表現ではなく、その人の作品群全体を通じて共通している様式にも注目しているからです。これ以上深いお話を展開する能力はありませんし、ここはジャズのお話なので少し端折ると、実は文体は字面からすると様式に関する事のようですが、少し深く分析すると実は小説においてジャンル、題材、描写等と切っても切れないものであるようです。つまり、小説を書こうとすると必ずそれを文字で表わす必要があり、文字が連なった文章が示す内容と、それを連ねていくときの様式、即ち文体は表裏一体なのです。文字を連ねて表現する以上必ずそこには文体が表出してしまい、文字が連なって生じた文体は必ず何かを表現しているということです。そして、ジャズにおいても同様のことが言えます。
    ジャズにおけるスタイル、あるいは文体
  • Thelonious Monkは独特のスタイルを持っており、フレーズも他人があまり使わないような音列です。余り音数を使わず、少し奇妙な音選びで、妙なアクセントも付いています。しかし、彼の作品は多くの人に愛され、またJohn Coltraneを始め彼に師事した後輩は多くいます。自作の名曲Round Midnightをやった例が、例えばGerry Mulliganとの演奏や、Blackhawkでのライブ録音などとありますが、独特の打音はOne and Onlyの特徴があります。それが手癖であるわけで、またこの人特有のフレーズであり、音色でもあります。しかし、その弾奏の直接音やその余韻である響きを聴いていると、それは単に「変わった音を出しよるなぁ」と済ましてしまう訳にはいかない、演奏全体を染め上げた色彩となってしまっていることに気付きます。つまり、あの帽子をかぶった叔父さんの引掻くような弾奏、それによって生じるピアノの音は、彼のスタイルであると共に、その瞬間における彼の演奏そのものを特徴付けるものです。あの打音なしにThelonious MonkのRound Midnightは有り得ないし、Thelonious MonkはRound Midnightをあの打音を通じてしか演奏しないのです。つまり、入れ物と中身とは、単純に別個のものと捉えるべきものではなく、もっと密接に連関している、ということです。アノ中身にして、アノ入れ物あり、ということになります。そういう関係にあるので、スタイル(文体)を演奏(小説)から切り離して考えるのは、意味が無い事です。スタイルだけを単独に論じることには限界があるのです。無論、Bill EvansとThelonious Monkのスタイルを比較したりする議論は可能ですが、その時には各自のスタイルが演奏と不可分である事を常に忘れてはならないのです。スタイルだけを比較しているつもりでも、結局は演奏を論じてしまっているのです。繰り返しますが、あの音列がスタイルであり、そのスタイルがあの音列となっているのです。
    実存としてのスタイル
  • ジャズ演奏のスタイルについて、もう一つ指摘しておいたほうが良いことがあります。当たり前の話ですが、ジャズメンのスタイルは、功なり名遂げた段階で固まってしまったり、あるいは出世前に予め決められているのではありません。芸術、特にジャズのように即興性を重んじる分野においては、そのような決められたスタイルが演奏に表出してくるのではありません。これまでの積み重ねはありながらも、演奏の時点、時点で聞くものの面前に現前するものであり、そういう意味において実存的です。過去の蓄積や、未来に向かった約束などとは隔絶して、どんなフレーズを繰り出してもしても良いんですよ、という状況に置かれながら、すぐれて孤独に、そしてその刹那、刹那にそのように選ばれているのです。「Bill Evansのスタイル」というのが確固として存在し続けているのではなく、Evansが鍵盤に触れる毎に改めて選び取られ、音の連なりとなりつつ、そこにスタイルとして現出するわけです。Evansってこういうスタイルの人だよねぇ、と語り合っている傍から、Evansはそれを裏切って良いのです。自分の(真の、あるいはその時の)スタイル、サルトル語では「エクレアを」、手探りで鍵盤から選び取っていたのであり、それがそれ以前のスタイルと連続性があったり、無かったりするのは、偶然の所産に過ぎません。Evansは、過去や周囲からの期待を裏切る事ができると言う自由を持ちながらも、自己の演奏の追及の過程で、いつも新たに自分のスタイルを書き換え続けているのです。
    連続性、惰性そして冒険
  • その、書き換え可能でありながら、しかし連続性が結果としてあったり、なかったりするということ、これが即興芸術としてのジャズにおけるそのジャズメンのスタイルです。過去をなぞるのであれば、それは芸に止まるものです。Evans程の芸術家であれば絶えず「これかな、これかな」と挑戦し続けるのです。聴衆も、「右するか、左するか、Evansさん、それはあなた次第だょ」と心得た上で聴く、本人もそういう中で、ピピッと閃いて特定の音列を弾奏する、というのが本来のジャズの即興演奏です。決められたとおりの、あるいは聴衆が抱いてきたイメージ通りのスタイルで演奏するのであれば、それはただの娯楽です。娯楽からは、飛躍は創造されません。ジャズが実存性を伴っているからこそ、Kind of Blue/ Miles Davis(CBS)や、My Favorite Things/ John Coltrane(Atlantic)のような歴史的な飛躍がジャズに可能であったのです。「そんな大仰なことを、、、」と言われても、芸術である以上、文学でもジャズでも、これは逃れられない枠組みです。「そんな事ないョ」と気楽にアドリブをしているジャズメンがいたとしても、それはその時点でその様にその人が選択したんですよ、ということです。その選択は、本人の意識、無意識にかかわり無く、結果的には「アンガージュマン(Engagement)」となってしまっているんです。
    スタイリスト
  • 和製英語では、スタイリストとはかっこ良い人位いの意味でしょうが、英語では独特のスタイルを持つ人ということです。先に挙げたBud Powell、Thelonious Monk、Bill Evans、Red Garland、Wynton Kelly、Keith Jarrett等は、全員が立派なスタイリストな訳です。上記のスタイルに関する実存的な見方はさておいて、そういう立派なスタイリストがいたとしてその人を敬愛する後輩は、先ずアドリブ・フレーズをコピーしまくります。そういうアマチュア的な過程を経て、その後輩がプロとなる時にはある程度自己のスタイルが出来てきます。それまでは「なぞり」気味だった演奏に、独特の味が加わり、研鑚の甲斐もあり、いわゆる「○○を超えた」新人、ということになります。そういう意味で過去の超克がなされていくことは何とも結構な事です。しかしながら、流行なのか、一世風靡なのか、どう考えてもやはり「あのスタイルだなぁ」と感じる事があります。個々人を超えて共通に感じ取れるスタイル、ということです。Tenor SaxophoneにおけるJohn Coltraneのスタイルがその好例ですが、余り偉大すぎて、一時は誰もがColtraneのように吹いていました。こういうのは流派と片付けるのか、単なる「真似」なのか、それともそれ程に先人が偉大であったことの証左なのか、どうなんでしょう。
  • この辺については、手癖とストックフレーズでも、コード展開、個性、ひいきの引き倒し等のキーワードでメモしてあります。

(Home - Hear Me Talkin' to Ya / BACK)