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微に入り細にわたるか、簡にして要を得るか
-- John ColtraneのMy Favorite Thingsにおける模索 --
  • 最近発売されたLive Trane: The European Tours/ John Coltraneについては、Live Trane --Nelsonの場合で詳しく触れましたが、その解説を読んでいて「おやっ」と目に付いた事があり、John ColtraneのMy Favorite Thingsにおける模索について考え込んだ、というお話です。
    John ColtraneのMy Favorite Things
  • John Coltraneが題材を物色していてMy Favorite Thingsに目を止めたのが、その後の彼の重要なレパートリーになるこの曲との出会いのようです。この曲は、言うまでもなくミュージカルの「Sound of Music」で主題歌格の曲なのですが、元はオーストリア民謡なのだそうです。「この曲をやる」と彼が言い出した時に何よりもビックリしたのがバンドのメンバーであったという事です。McCoy Tynerは、「それは確かNYのJazz Galleryでのギグの頃だった」と回想して、その時の驚きについて、「My Favorite Things? Mary Martinが唄ったって? これをやりたいって?」とびっくらこいた、と語っています。しかし、このドリアン・モードの曲、コードで言うと二つのコードしか持たない曲が、その後このバンドの重要な持ち歌となるのです。
    最初は14分、時に一時間余りも、、、
  • 1960年にMy Favorite Thingsという盤でこれをやった時に、既に演奏時間が10分を超えていました。その後、採りあげるたびに、演奏時間は長くなっていったそうです。Live Traneには6回の演奏が入っていますが、十数分から二十分近くなっています。別の名曲、ベースの巨人Paul Chambersに捧げたMr. P.C.は、最初は7分(Giant Steps盤)でしたが、30分近い演奏になっています。Impressionsも同様に、半時間に及ばんとしています。そして、My Favorite Thingsと言えば書き落とせないNewPortでのジャズ祭の記録、Selflessness Featuring My Favorite Things盤も聞き逃せませんし、その後の異境に踏み込んだ演奏とでも言うべき「Live in Japan」では57分、最後のライブといわれる「Olatunji Concert」でも35分に及ぶ演奏で、この曲に挑戦し続けました。まぁ、恐らくはこの辺が、この人としての最終的な到達点なのでしょう。
    Apollo Theaterで
  • こんな風に、自分で納得の行く演奏をすると半時間位はやってしまうのが普通でしたが、ある時、Apollo Theater出演時に関係者から「アンタの演奏は長すぎるょ」とコメントされ、短くする事に関心を抱く事になったそうです。当時、Apollo Theaterでは「3曲20分」というのが通り相場だったようです。その気になってやれるものかどうか試してみると、1時間ものが10分で終われたそうです。そこで考え込んじゃったようなのです。「10分で言えることを1時間かけていたのか。それなら、言いたい事を10分で言う方が良いじゃン」と。そしてApollo Theaterでは、My Favorite Thingsを最初の半分の7分で演奏した、ということです。
    ソロの筋書き
  • このことは彼にとって大いに役立ちました。これまで余り気にせずに(それも凄いネ)、後になってみれば「ちょっち自己満足」気味のアドリブをしており、調子の悪いときはやはりダラダラした感は拭えなかったようです。それもあってか、演奏の手順、筋書きを考え直す気になったということです(^^;)。特にMy Favorite Thingsはその役目を果たし、原曲の曲想が転換する部分を巧く使って、アドリブの展開に区切りをつける手を考え出しました。いつものようにアドリブのコーラス数は特に決めておかないのですが、「決まったネ」と感じた所でソロイストが合図をすると、曲想を切り替える合奏をするという手を使うようになったようです。この手法はMonkに教えてもらったようですが、これにより言いたい事を言いながらも、区切りを付けて、演奏に構造とでもいうべきものを取り入れるやり方を採るようになった、と語っていたそうです。
    その後、、、
  • 彼の演奏は日を追って短くなり、メデタシ、メデタシ、、、とはならないところが現実の結果です。この盤の演奏でもそうですし、場合によっては一時間近い演奏を平気でやりました。つまり、簡潔に物を言うことの意義を考えはしたが、やはりそれは性に合わなかったと言う事なのでしょう。この人には、言うべき事が普通の人よりもズッと沢山有ったのか、あるいは物事を手短に言うのが不得手だったのでしょう。これは、意識した努力とは別次元の話だと思います。それはそれで良いのです。突き放して言えば、「それがいやなら、アンタはJohn Coltraneを聞かなきゃぁ良いんだョ」ということです。他にもジャズメンは一杯います。ジャズは個性です。「長いジャズをやる人もいるョ、あれだけ中身が詰まっていれば長くても良いじゃないか」ということです。ただ、「短く演奏することが大事かどうかなんてことなんかは、全く気にせず仕舞いだったんじゃぁないのかなぁ、この人は」と、Nelsonはこれまで邪推をしていました。それは、はっきり間違っていたようです。こういう事情を知った事で、この人のジャズを聴く耳も変わるかも知れません。(邪推といえば、Sonny Rollins/ Plus Fourのコメントの所で、「雲隠れ」について触れていて、「Coltraneなんかは、演奏中に練習しているのに(バキッ)」とコメントしていましたが、これも邪推の一種ですね。)
    五味川純平、芹沢光治良、大西巨人、住井すえ、はたまた中里介山、、、
  • 日本の文学でいうと、五味川純平の「人間の条件」、芹沢光治良「人間の運命」、大西巨人「神聖喜劇」、更には住井すえ「橋のない川」といった作品が、この手の芸術作品に当たるのでしょうか。どれも、学生時代でなければ、とても手が出ないような大々長編です。どう考えてみても、これらの10冊以上にもわたる長編作品を、簡潔に一冊に書くことは不可能であり、無意味でもあります。長いからこそ、読むのに時間がかかり、その時間(、というか月日の方が正しいかも)の経過の中でじんわりと言いたい事がこちらの体に沁みこんで来る、そういう作品ですから、短くては用を成さないとも言えます。客観的に見て、あるいは読む前ならば、「こりゃぁ、いくらなんでも、長すぎるんじゃないの」と言えますが、読み始めてしまうと作品がこちらの体の中に「住み込んで」しまうので、もしその体臭が好きであれば、あるいはそうでなくともキライでなければ、それはそれで心地よい読書体験となります。上記作品群は、ラブレーの「パンタグリュエル物語」とも、プルーストの「失われた時を求めて」とも長さでは拮抗しています。しかし、その作品世界が異なり、言ってみればColtrane作品と同じく「求道的」であり、あるいは平易には「真面目さ」があり、それは現在でも一定の、確固たる領域を確立した芸術分野となっています。もっと題材的に読みやすい作品では、時代劇仕立ての中里介山「大菩薩峠」があります。これは字面(じづら)ではColtrane世界とかけ離れているようですが、底流にある哲学的な設問に注目すれば、Coltrane世界とも通底しています。ということで、こういう作品に「簡にして要を得る」ことを求めるのは筋違いであるし、またそれでは「角を矯めて、牛を殺す」という逆効果になると思われます。こういう人の話は、腰を折らずに、少しまだるっこしくても、ゆっくり、全部聴いてあげないと、真意が判らないのです。
    じっくり聴いてみて
  • Live Trane全7枚のうち、ダブリが結構あるので、初耳は半分以下です。しかしダブリものも、同じ演奏と言えばそうですが、それなりの24 Bitリマスターがされており、心なしか音質も良くなっているようです。そして、これらの集大成ものを時間を掛けながらじっくりと聴いて行くと、やはり「凄いグループだったんだなぁ」とあらためて感心します。特に、63年までの時期と言えば、Nelsonの不得意なフリー気味な領域には未だ入っておらず、本線ジャズの良さを発揮しているので、一日続けて聴いても(^^;)残るのは心地良い疲れだけです。違った意匠で、ばらばらの編集で、これまでも一部発売されていた演奏を、統一した形で全体として通聴(通覧(^^;)できる事には大いに意義があると思った次第です。

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