それぞれの音色:音色(3)
- ジャズにおいては、楽器の音色が結構大事なんじゃぁ無いのか、というお話の続きです。
- 役者や映画スターは、容貌、声色、そして仕草等が、その人の個性となります。ノドを含む体調や体型の管理には気を使っている筈です。しかし、ジャズメンというか、音楽家は「音を聴かせて、ナンボ」の世界です。ジャズメンは、自分の音色を作り出し、それこそ一生かけて練り上げていくのです。自分の出す音、それが自分の最大のウリであることを認識しているからです。あるフレーズを聴いただけで、その人が誰か判るのも、そこにそういう苦労があるからでしょう。
- 一見卑近過ぎるとも思われる「音色」ではなく、コルトレーン・チェンジ、重音、循環呼吸などの(華麗な)キー・ワードを持ち出す方が、話としてはカッコ良いのでしょう。でも、しっかりと足元を見れば、(表現が悪いですが)そんな人眼をごまかす専門用語よりも、「音色」こそが、その人の一番の魅力ではないか、とNelsonは信じます。彼らの出す音、その音色を通してしか、彼らの音楽は聴く側に伝えられることは無いのですから。
- 「手癖、スタイルそして文体」にも、「音色」が非常に重要ではないかとかきました。ここでは、Bill Evansの名演、「You must Believe in Spring」を例に取ってみます。何とも、透明感がある音であり、それが彼がテーマ提示及びアドリブを通じて選んで行く音群を色づけしています。「こういう演奏には、こういう音が一番良く似合うなぁ、、、」と感じさせられます。その通りなのであって、彼は長い演奏生活を通じて、自分の伝えたいことを表現するのに一番合った音、その音色を探り当てて、それに日夜磨きをかけて、あの高みに到達したのだと思います。単に、Bill Evansのファンは、テーマや展開だけに惹かれているのではありません。それが、あの音色、あのタッチで演奏されることこそが、彼の演奏の魅力そのものだと思います。
採譜したって、、、
- 当たり前の話ですが、お気に入りの演奏を採譜(トランスクリプト)したものが手に入ったとして、眼光紙背に徹してそれを読み込んでも、元の演奏が外面(そとづら)は判りますが、その演奏を聴いた時の感動を体感できるわけがありません。ちょっとした音の揺れや装飾音符などを無視するとしても、どんな音色なのかは譜には表わせないからです。サックスでいえば、John Coltrane、Roland Kirk、Dexter Gordon、、、と素晴らしいサックス奏者がおり、それぞれにその人の音色があります。油井さんがいみじくも「墨痕淋漓(ぼっこんりんり)」と形容したSonny Rollinsを初聴きした時の、あの豪快な音の圧倒的な迫力、あの迫力は採譜では捉えきれませんが、でも、彼の魅力はあの音色にあります。
- ただ残念なことに、一言で「音色」と言うものの、それを言葉で的確に表現することは困難です。いわく、「荒々しい」、「絹のように滑らかな」、「氷のように冷たく、鋭利な」、「柔らかく、包むような」、、、何ともはや、「言語明瞭、意味不明」とならざるを得ませんから、余程言葉遣いに自信がある人でないと、ツッコミを恐れて、言葉にしません。そういう曰く言い難いものでありながら、しかし、大事なもの、、、それが音色です。
- 友人がイチャリ氏にロコレを習おうとしたら、ひと月もアフリカ音楽に合わせて踊ることを命じられたり、亀井・田中両家元の3人の子息たちが「12歳までに一通りのことを教え込んでいないと、先はない」と、3,4歳ころからシゴキ抜かれ、また彼らがそれに耐えて頑張ったり、Sonny Rollinsが自分の音を探して、Williamsburg橋の上で一人サックスを吹き続けたり、、、音楽家が音、自分の音色を出すために、労を厭わないことを見聞きしても、楽器の音色の大事さを痛感しました。
- 、、、たまたま手元に舞い込んだアフリカの民族打楽器、ロコレで遊んでいたら、こんなことを考えてしまったという次第です。
|