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平岡正明もの

  • 平岡正明さんは、41年の東京生まれで、評論家ということになっています。恐らく「韃靼人宣言」がデビュー作で、それ以来、ジャズ、革命、格闘技、歌謡曲、水滸伝、ヨコハマ、映画等々の題材を採りあげています。
    遠投されるテーゼ
  • 平岡正明もの 平岡正明さんは、事実、あるいは論理を地道に、緻密に積み上げていった「あるテーゼ」を提示するというタイプではありません。従って、評論集がいくつか出ていますが、独特の内容となっています。誤解を恐れずに言うとすれば、自分の動物的な嗅覚・直感を信じて、力の限りに遠投した(ある意味でとっぴな)「決め打ちのテーゼ」を先ず読者に提示した上で、その奇妙な遠投の軌跡である放物線、すなわちそのテーゼに達する経路を、「判る奴には判るだろう」といった気ままさで付言する、というタイプではないかと思います。そのテーゼは、例えば「山口百恵は菩薩である」といった語法で語られるので、どうしてもその先を聞きたくなるのが常であり、そのことからも「生来のアジテーター」とよく言われています。その遠投の見事さは、つまるところ平岡さんの「精神の運動」のなせる技なのですから、その脈絡では石川淳、阿部公房らの世界と通底しています。一方で、大山倍達の空手道場で修行したというように、肉体による実践を踏まえた動物的な感覚の裏付けも大事にしており、その意味では坂口安吾、あるいは一寸無理筋ですが三島由紀夫のような感覚を持って居ると睨んでいます。我々読者は、場違いとも思える所に遠投されたテーゼの華麗さ、及びその置かれた位置の異境性に撃たれ、「このテーゼはあそこと、あそこを経由していると言うんだけど、ホントかね」等と言いながらも、そのテーゼの事実性ではなく、真実性を受け止めるという事でしょうか。そしてこういう風に遠投されたテーゼは、受け取る側の精神の運動を刺激して、活発な妄想を誘起するという意味で地雷であり、平岡さんはそれを得意とする扇動者なのです。ジャズに投影するとすれば、Evansのアドリブの見事さに負けじとばかりに、LaFaroが素早く見事なカウンターを決める、というジャズの妙味と同様のIntermodulationを、そこここで起こすのです。
    どういうものを書いておられるか
  • 単行本に限定して拾い上げてみると、平岡さんは次のような本を出されているようです。
    • 韃靼人宣言
    • あらゆる犯罪は革命的である(現代評論社)
    • 歌入り水滸伝
    • 過渡期だよ、おとっつぁん : 喧嘩論集・格闘技編
    • 団鬼六・暗黒文学の世界
    • 筒井康隆はこう読め
    • 野毛的 : 横浜文芸復興
    • 山口百恵は菩薩である(講談社)
    • マリリン・モンローはプロパガンダである : 平岡正明映画評論集
    • 江戸前 : 日本近代文藝のなかの江戸主義
    • 三波春夫という永久革命
    • ジャズ宣言(アディン書房)
    • ジャズ・フィーリング
    • ジャズより他に神はなし(三一書房)
    • ジャズ的
    • チャーリー・パーカーの芸術
    • 平岡正明オン・エア/耳の快楽
    • プレンティ・プレンティ・ソウル : 平岡正明ジャズ論集(上掲、平凡社95年刊、2200円)
    • ボディ&ソウル
    • マイルス・デヴィスの芸術(毎日新聞社)
    • 戦後日本ジャズ史
    • 「DJ」: 平岡正明・佐久間駿対談集
    • チャーリー・パーカーの芸術(毎日新聞社)

    「プレンティ・プレンティ・ソウル」
  • 「革命評論を書くんだから、前衛ジャズ突っ走りか」と早とちりは無用です。例えば、この「プレンティ・プレンティ・ソウル」では、以下のように、しっかりと本線ジャズを採りあげておられます。
    • ダイナ・ショア「サムバディ・ラヴス・ミー」
    • 二上りエヴァンス「愚かなリし我が心」
    • ヘレン・メリル「夜来香」
    • ジャンゴ、Dの聖痕
    • レッド・ガーランド「荒れ模様」
    • ガーランド「セント・ジェームズ診療院」
    • ジミー・フォレスト「ボロ・ブルース」とジミー・スミス「ホーボー・フラッツ」
    • ビリー・ホリデイ「恋は盲目」
    • マル・ウォルドロン「とり残されて」
    • ミルト・ジャクソン「プレンティ・プレンティ・ソウル」
    • オスカー・ピーターソン「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」
    • マイルス・デヴィス「私の前にあなたがいる」
    • セロニアス・モンク「ジャスト・ア・ジゴロ」
    • セロニアス「ラウンド・アバウト・ミドナイト」
    • モンク・ミーツ・コルトレーン
    • 対エリック・ドルフィー目己批判
    • ブラウニーの「デリラ」を封印する
    • シャツキー・マクリーン「センチメンタル・ジャー二ー」

    超光速のアドリブ
  • 平岡さんのアドリブに満ちた文章は、光速を遥かに超える速度で飛び去らんとします。読む我々もまたそれにつられて、アクセルを床も抜かんばかりに踏みつけて、精神の回転数をレッド・ゾーンに飛び込ませてしまう、といった感じです。例えば、森山威男さんが「スタト、テトテト、テントト、テンスト」と挑発するので、板橋文夫さんが負けては成らじと「グリャバ、ビレビレ、ガギャガギャ、グガーン」と、鍵盤コブシ打ちで応えるって感じですかネ。そういう意味で、平岡さんのジャズ評論は、正にそれ自体がジャズであると言えます。また、事物を比較、考量し、未踏の地平を切り開き、その過程で読む人の精神を活性化させる営為の切れ味を見れば、正に言葉の最も厳密な意味での評論家であると思えます。すなわち、この国には珍しい、評論家の名に値する評論家に違いありません。
    「DJ」そして「チャーリー・パーカーの芸術」
  • 少し前に、平岡さんが別掲の佐久間さんとやっているジャズ番組を、そのまま本に起こした「DJ」: 平岡正明・佐久間駿対談が出版されました。後付けで考えると、成る程この二人は息が合うはずで、その通りの面白い本になっています。まだ書店の店頭にあるはずなので、手に取って見てください。芸術分野におけるジャズの位置付けに関心がある方には、絶好の読み物ではないでしょうか。また、このところジャズ人生の総まとめをして置きたいとでもいう心境にあるのか、近作の「チャーリー・パーカーの芸術」等で、ジャズメンの人間像を総括する試みをしておられます。古い本を読んでいる人には再掲に近い論点が散見されますが、それも含めて全体的な視野の下に見直し、再確認したうえでの上梓と思われます。今時、還暦も過ぎた爺サマに、400ページを超える熱い原稿を書き下ろさせるほどに精神の運動を喚起するものなんて、ジャズ位のもんじゃないですか。その本の腰巻に愛情を込めて、「20世紀最高の芸術家にして、最低のルンペン野郎」とあるのも、「らしくて」ピッタリです。

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