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「装置いじりは、音楽をかなり聴いてからでも遅くはない」

  • 音楽への入りとして、「好きな音楽」があってという場合と、「モノとしてのオーディオ機器」に惹かれてという場合とがあるようです。そして五味さんは「好きな音楽ありき」でなきゃぁ、おかしいんじゃないのかと主張されたのです。
    五味さんの主張
  • 五味さんが、この点について主張されていることは、概ね以下のようなことです。
    • 「オーディオの世界に足を踏み入れるていくにつれ、やれSN比がどうの、高調波歪率がどうのと口やかましくなるが、レコードに刻み込まれた音の再生が目標であるオーディオにあって、なによりも肝心なのは、音を聴き分ける感覚をまず養うことだろう。」
    • 「若いうちは、あまり装置はいじらず、一枚でも多くレコードを聴くこと、音楽そのものに時間をさくことを、私はすすめる。」
    • 「一枚でも多くいいレコードを聴くことは、どんな優れた装置をもつことよりも優先する。」
    • 「装置をいじりだすのは、充分レコードを聴き込んでからでもけっして遅くはない。むしろ、その後に装置を改良したほうが、曲の良否がわかり、いっそう味わいは深まるだろう。」
    • 「くどいようだが、まず名曲と名演奏を聞きたまえ。」
    まぁ、なるほどというところです。
    五味節(ぶし)
  • こういうことを書くということ自体が、五味さんの真骨頂です。今も昔も、メディアの評論では、こういうことは余り書かれないことです。今でも五味さんのオーディオ本が読まれるのは、こういうところに惹かれてということでしょう。そしてこれは、明らかに世の中のある傾向に対する物言いです。つまり、それほどに、世の中ではオーディオを論じるときに音楽を忘却してしまっていることが多いのです。そういう記事を読むとNelsonでさえ、「そうじゃぁ無いだろう。それじゃぁ、お金持ちのオモチャ集めじゃないのかョ。」と感じることが、ママあります。
    名曲・名演とオーディオ
  • ただし、この辺は難しいところです。ある名曲・名演との関係でオーディオを論じると、迫力があります。なにしろ、出てくる音に対する思い入れがありますから、その熱気が読者にも伝わるのです。しかし、それに走り過ぎると、壁があります。話がどうしても一般性に欠け、その曲に興味のない読者を失いますし、話が小さくなりがちです。その反面、クラシック、ジャズといった大きな範疇での一般的なお話にも、カッタルイところがあります。そのオーディオで聴くのは、個別具体的な音楽なのですから、音楽と遊離したオーディオ談義は、やはり焦点がボケてしまうのです。「音楽とオーディオの全き(まったき)合一」と口で言うのは簡単ですが、その実践はた易いことではありません。
    、菅原さんの「重いシンバル」
  • 五味さん同様の、いわゆる専門家ではない書き手の一人に、一関ベィシーの菅原さんがおられます。同氏の造語である「重いシンバル」という語には、上記した「音楽とオーディオの全き合一」に通じるものがあり、世の共感を呼びました。一般に低音は重く、高音は軽いと表現されますが、菅原さんは数々の名演奏を、一年365日、ジャズ喫茶店主として店でかけつづける中で、ドラムスの名手であるRoy Haynesや、Elvin Jonesのシンバルの音が、他のドラマーのそれと違った迫力があることを指摘し、それを「重いシンバル」と表現されました。これには、「ナルホド、言い得て妙じゃないか。」と世のジャズファンが納得したのです。同じスティックで、同じジルジャンのシンバルを叩いても、名手の気合が入った、タメのある打音には、そう表現するしかない「リキがあり、芯がある」というのです。これは、同氏がJBL 075を愛用し、それよりも2405の方が特性的には恐らく良いことを知りつつも、075を使い続ける主張と一致しています。075は、ツイターにしては珍しく、2500Hzから使える強靭さを備えています。その強さは、これを7000Hz以上で使っても変わりはなく、2405とは味わいが異なります。
    075への執着(と言っておきます)
  • こういう075への執着は、正に五味さんが言うところの名曲・名演奏を聴き込んだ結果として、菅原さんの長い経験から生まれた志向です。自身がドラムスも叩く菅原さんにとって、自分が出したいし、他人にも出して欲しいし、そういう音でジャズを聴きたいというシンバルの音は、075の音なのだと思います。菅原さんにとってのシンバルとは、この075から出てくるような音を出す楽器なのだ、とも言えるかも知れません。これは、五味さんがことあげした「機器の音響特性」から出たことなどではなく、自分とジャズとの関係を特徴付ける菅原さんの選択であり、よそながら「天晴れな選択」とNelsonは敬意を表します。一方で、五味さんがタンノィ・オートグラーフに執着し、他方で、菅原さんが075に執着するのは、長く、沈潜した音楽遍歴の末のことと思います。
    、、、ということで
  • 少し菅原さんの件で横道にそれましたが、「先ず音楽、そして次がオーディオ」という点では大事なことと思い、触れてみました。五味さんのいうことには、かなりの市井の音楽ファンを納得させるだけの理があったと思っています。

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