JBL(James B. Lansing)製品の型番
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1927年に創業したJBL社は、誕生後間もなくはアルテック社に吸収されたり、ウェスタンの下請けをやったりしていましたが、46年に一本立ちして、社長のJames B. Lansingが先頭に立って、次々に新製品を開発しました。かの名器D130の発売は、それまでのウェスタン、アルテックへのOEM供給により培った当時としては高度な技術により、世間をあっと言わせたものです。現在に至るまで、数多くの製品を送り出していますが、ここではその製品型番について、備忘のために記述しておきます。
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まず、全体として述べておくべきことは、JBLには完成品とユニットとがあり、後にコンシューマー用とプロ用の区別ができたことです。これらについて順を追って述べていきます。
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先ず第一に取上げるのが、完成品です。初期にウェスタンの下請けで作成した名器「アイコニック」があるのを別にすれば、製品番号は当初はユニットと共通でした。記録に残る最初の製品は、D1004/D1005であり、38センチウーファー2本と175DLHを組み込んだものです。これについての記述が、一関ベィシーの菅原さんの著書にあるので参考になります。その後のD30085の頃から、製品には愛称が付けられ、これは例えば「ハーツフィールド」と呼ばれる人気商品でした。オット、過去形は良くないか。設計者の名前を冠したこの製品は、現在でも美品なら300万円近くで、中古品が取り引きされています。その後も、「レンジャーパラゴン、同ミニゴン」、「ハークネス」と製品化が続き、評判となった木工技術の極致とされる美麗な組み格子が印象的な「オリンパス」、「サヴリン」、「アポロ」が発売されたのが、60年のことでした。
- その後の製品は、時代の流れで、大き目の家具調のものから、ブックシェルフ型に移行し始め、基本的に共通の「ランサー」という呼称に番号を付加したものとなり、「L33」(60年発売)などと呼ばれるようになりました。「ランサー」の呼称は長く使われ、82年の「L250WX」まで使用されました。現在では、一貫性のある呼称へのこだわりはあまり見られず、適当にS、Ti等の記号を使ったり、山シリーズでエヴェレストやプロジェクトK2等という型番もあります。以上が完成品の型番の概要です。
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次が、ユニットです。ここでユニットとしては、箱も含めておくべきでしょう。というのは、製品価格が高かったこともあり、またDIYの国柄からでもあり、箱が独立して製品として売られていたからで、後記する「推奨組み合わせ」との関係からも重要だからです。
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そこで先ず、スピーカーユニットですが、これはD(ドライヴァー、駆動器)という接頭記号が使われました。前記したように最初の製品は、38センチフルレンジのD130でした。この時点では箱は密閉式を考えており、いわゆるバスレフ式はまだ世の中には普及していません。ウーファーも、中高音も、ホーンに装着することが普通であったためでしょうか、後のように低、中、高音のユニットに呼称の差はなく、D131、D175等と呼ばれていました。
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最初は、フルレンジですが、前記したように最初の製品は、38センチフルレンジのD130でした。未曾有の10センチヴォイスコイルと極浅型コーンにより、「1ミリワット以下でも音が出る」という宣伝文句もあってか、その能率の高さが大評判になりました。この形式では、30センチのD123があり、Nelsonもかって愛用しました。これらに共通するJBLの特徴は、その時点では冒険であった大口径のアルミ・センタードームの採用でした。これにより、高域再生限界を広げることが可能となりました。そしてフルレンジでは書き落とすことの出来ない型番が、LE-8(T)です。ウェスタンや、アルテックの同口径の755型に、能率では譲るものの、再生帯域と音質でこれらを凌ぐ性能と人気を誇りました。
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そして、ウーファーです。D130を改造して作ったウーファーは、130Aと命名されており、この「13」が38センチ、「12」が30センチ、「11」が25センチ以下となっています。そして、より低域再生を重視した「linear efficiency series(LE)」の出現後は、製品番号に口径のインチ数を採用するようになり、LE15A/14Aなどと命名されました。ちなみに、Aは公称インピーダンスが8オーム、Bが16、Cが32を示す細分化記号ですが、出力トランスとの関係で高インピーダンスでよかった、真空管時代の名残です。また、バスレフ初期には、パッシヴ・ラジエーター方式にも力を入れており、各口径にPRの記号を冠した製品を出しています。これは磁気回路を持たないユニットで、コーン紙中心部に数枚の金属板をネジで加除するようになっていました。ウーファーが振動して箱の中の空気を揺すると、ある周波数でパッシヴ・ラジエーターが共鳴して低音を出すのです。この枚数を加減すると、最低共振周波数を調整することができました。このような路線での開発は、70年代のプロ業界への進出と時を同じくして、停止状態に入りました。
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次に、ホーン・ドライヴァーに移ります。正しくは、ホーンは拡声のためのラッパ状の器具であり、ドライヴァーはそこに装着する発音器です。従って、ホーンだけでは、あるいはドライヴァーだけでも音は出ません。ドライヴァーは、当初3桁番号が付され、375等と呼称されました。「3」は4インチ・ダイアフラムで2インチスロートのもの(重量11キロ)を示し、「1」は2インチダイアフラム(重量4キロ)を示します。「2」は、「1」の強化版であり、ことほど左様に175の高音は可聴上限までは伸びていません。この強化版は、LE期に入ってからはLE85(以前の275にあたる)のように呼称されて、家庭用では最高峰の製品でした。ホーンでは、当然Hを頭文字として、例えばH5038Pといった型番が使用されました。別に、1217-1290,537-509などという暗号のような(入り口と出口の口径ではないか)型番も一部にありました。分類的には、コーニカル、ラジアル型が多く、最近になってバイラジアル等も採り入れられています。JBLは「音は良いが、理論を無視した」に近いホーン設計を得意としており、レンズ(L)を付けたり、有孔板を重ねたりした小細工も売り物で、それらには「HL」という組み合わせ番号も使用された。ウーファーと同様に、70年代以降の新規開発はあまりありません。K2におけるアクリルホーンは、久々の新規物とききました。
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次は、トゥイターです。得意のホーン形式のものでは、当初は、上記175と同時期に発表された075しかなかったようです。これは、異例の2.5キロヘルツから使えて、10キロヘルツ近くまで再生できました。更に、ジャズで重要なシンバルの音が魅力で、現在も、2402の型番で発売されています。広帯域化の波に乗って、やっと70年代に20キロ辺まで出る077が出ました。これは、プロ用2405の民生版といえるもので、中心部の拡散器をアクリル材にした、味のある製品でした。一般的なコーン型ツイターでは、LE25等の型番があり、これは口径を採用した呼称です。
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さて、箱です。前記したように箱も単売されていました。つまり分割して買えるという利点があった訳です、例えばハーツフィールドでは、手許不如意であれば、先ず箱とコーン型ユニットを取敢えず買っておいて、しばらく聴くことができました。そして、余裕の出来たところで、ホーン型に換装すれば良いんですヨ、という売り方もしていたようです。そのとりあえず買う「途上品」を称して、「poorman's Hartsfield」といったそうです。著名なオリンパスの箱は、C50というように、箱はCを頭文字とする型番を持ています。組み合わせ表を別掲しましたが、箱毎に入れるべきユニットが決まっていました。今でも、JBLの木工技術に惚れて、中古を探す人が多くいます。C50なら、ユニット入りで7、80万円位しています。
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そして上記の箱の販売を支えるものが、推奨組み合わせの選定です。JBLが発売している、20近いユニットとネットワーク(ユニットの分担を設定する)の推奨組み合わせが、例えば「001は130Aと175DLHの組み合わせ」というように、30通りくらい推奨されています。さらに、その表では、その時に使うべき箱までが、指定されています。現在の、いわゆるティールらの計算方法の無かった時期であり、どんな決め方であったか不明ですが、そこは後光のさすJBLであり、疑うことは失礼であったのです。このような発売の仕方は、他のメーカーはあまりやっていないことです。ファンは、この表と値段表とを見て、夜も眠れぬ(^^;機種選定を楽しむ(に苦しむ)という仕掛けです。
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JBLは、70年代に入って、プロ用機器の開発を本格化させており、これにも完成品とユニットがあります。
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プロ用完成品の最初の製品が、4310と4320であり、日本でも一世を風靡しました。「1」はコーン型による、「2」はホーン型による製品であることを示しています。73年には、38センチ・ダブル構成の、超弩級の4350を発売し、この時に、前記した超高音が出せて、指向特性の良い2405が登場しました。翌74年には、3ウェイで4333が、4ウェイで4341が発売されて、「3」が3ウェイ、「4」が4ウェイを示す記号となりました。次の変化が80年代で、従来のラジアルホーンの欠点を改良したホーン技術が出始め、他社に倣ってバイラジアルホーンが開発されました。高音再生の容易化がこれを使うと実現するので、2ウェイへの先祖帰りとなる4430等が発売されました。この場合の「4」は、新規の2ウェイを示す4です。今では型番も、44を通り過ごし、4600,4700へと進展しています。
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プロ用のユニットは、実に整然とした命名に従っています。ドライヴァーは基本的に2000番台を占めます。2100がフルレンジ、2200がウーファー、2300がホーン、2400がホーン・ドライヴァーとトゥイターとなっています。ネットワークは3000番台、箱は4500番台となっています。そして同じプロ用でも、楽器用は一頃Kシリーズと呼ばれ、更に今ではEシリーズと呼称されています。公称インピーダンスについては、今はHが8オーム、Jが16オームを示しています。
- 以上、JBL製品の型番について記述しました。一昔前に、元気だったサンスイが日本でJBL製品の販売を本格化させるまでは、日本では福音電気等々の国産メーカーしか、ファンには知られていませんでした。最初にJBLのカタログを見た時は、従って皆がヨダレだらだら状態であったことを懐かしく思い起こします。冷静な人達は、「音色が余りにも直裁で味が無い」とか、さらには「使っている素材は変らないのに、べらぼうな値段を付けてケシカラン」等々とおっしゃっていました。
- Nelsonが最初に買ったJBL製品は、D123と175DLHでした。その後も時に入手したことがあり、最近もヤマハの名器0506を引退させて、2405に交換したばかりです。それにつけても、この会社の工業デザインの重視は先見の明があったと思わざるを得ません。現在でも、中古品市場で高額のJBL製品が流通していますが、その理由の一部には、その優れたデザインによるところが大きいのだと思います。
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