- このセクション名は、「雨夜の品定め」としてみました。ご存知かも知れませんが、「雨夜の品定め」は光源氏と彼を取り巻く公達が楽しんだ夜話のことです。若者が寄れば話がどうしてもそこに行ってしまう女性談義です。彼らが、一夜、平安の朝廷をにぎわす女性達の美貌、知性、氏育ち、更には閨房での首尾・不首尾について、夜長の一興として語り明かしたのです。その逸話の例に事寄せて、肩の凝らない、他愛もないジャズ夜話として仕上がれば、、、という狙いです。
- ジャズの名曲・名演だけの話は、どうしてもベタになりがちです。しかし、名曲・名演の話は結構大事です。例えば、かの五味康祐さんの名著にも、多くはない良い演奏を聴き込んで、聴き込んで、自分の中で「名演」として磨き上げていくべきだと主張するこんな文章があります。
- 「私の知人の音楽愛好家は、くり返しくり返し、選び抜かれた秘蔵盤を聴かれているが、いちど詳細に見せてもらったら、驚くほど枚数は少なかった。百曲に満たなかった。そのくせ、月々、、、新譜を取り寄せる量はけっして少なくない。容赦なく、凡庸なのは捨てられるわけである。」
- 「人にはそれぞれ異なる人生があり、生き方とわかち難く結びついた各人各様の忘れがたいレコードがあるべきだ。」
- 「諸君はどうだろうか。購入するだけでなく、聴き込むことで名盤にしたレコードを何枚持っているだろうか?」
- そこで出てくるのが、「来る日も、来る日も、限られた演奏を聴き続けるなんて、ジャズの間違った聴き方じゃないのか?」という杞憂です。そんなこたぁ、ありません(キッパリ)。こんな例を、どう考えられますか。あの館山の直熱管アンプつくりの名人が試聴の際に、いつも「黒いオルフェ(Gettin' around/ Dexter Gordon)」等の極めて限定されたトラックばかりかけるのを、かの寺○さんが「いっつも、似たような演奏を聴かされて、、、」と筋違いの揶揄をされたことがあります。しかし、この名人はこれらの名演を最善の音で再生できるアンプを作ろうとされている人です。狙いがそうなんですから、それを試聴で確認し、聴く人にもそれを理解して欲しいと思うのは、当然のことです。こういう繰り返し聴きは、決して漫然となされているのではありません。Nelsonも、名演は繰り返して聴いていますが、例えばこんな繰り返し聴きも試みています
- "限られた数の名演」と上記しましたが、少しジャズを聴かれるとわかりますが、実は決定的なものに限ってみても、数え方にもよりますが、数百トラックはあります。凄く限定されたものだけを聴くとしても、百トラックは超えるでしょう。連続して聴き続けたとしても、まぁ、10時間以上、一日ではとても聴き切れないほどの多彩さです。Nelsonのように「B級ジャズ・グルメ#の人で、名演だと肝に銘じるものが数百トラックもある人の場合、これらを基本に据えながら、新規に入手した新録音や発掘録音ものを交えて聴いて行くというのが、基本的な生活スタイルです。
- 無論、名曲の演奏にはダメなものもあり、そういう演奏は一回聴くだけで十分で、上記五味さんの言説にならって、「凡庸なもの」として「捨て去る」見識が必要です。例えば、名曲の旋律の良さに寄りかかってしまって内容が無い演奏、誰もがやるその曲を敢えてその演奏者が手がけた意気込み、狙い、組み立てがあるとは到底思えない演奏などが、それです。そういう演奏は、名曲をなぞっただけの駄演であり、名曲の名演では決してありません。少しジャズを聴きつければ、そういうニセモノは見分けが付きます。まぁ、そういうジャズメンの他の作品もタカが知れているはずですから、もう買わないようにしましょう。
- 、、、ということで、「雨夜の品定め」です。一応「百物語」と題して、件数を100程度に止めるつもりですが、恐らく、ある程度やり切るのに2,3年はかかる筈です。まぁ、じっくりと始めることとします。
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