「Autumn Leaves/ Keith Jarrett」と「 Nardis/ Bill Evans」:一寸字余り(orz)
- 「Autumn Leaves/ Keith Jarrett」と「 Nardis/ Bill Evans」との、イントロでの「掴み」に共通するアプローチについて、これまでの(1)と、(2)でメモしましたので、先ずはそっちをお読みください。その(2)のメモで最後に次のように書きました。
- (以下、前回のメモの末尾を引用)「しかし、Jarrettの「The Standard Trio」の、「この枯葉」の場合は常軌を逸していて、Jarrettが、神がかりのように憑依したピアノを披露しました。決めリフは、一つでもあればそれだけで決まりキマリとなるのに、ここでは上記したように怒涛のように決めリフが連発されます。よほど沈着冷静な方でも、こんなにスゴイ演奏をライブで聴かれたら、絶対に我を忘れて起立し、拳を振り上げてしまうに違いありません。」
と書いた上での蛇足です。このNYCのBlue Noteという「小体なハコ」で、幸運にもこのライブを聴けたお客さんの反応について、少しメモします。
小さなハコでの「拍手と手拍子」
- ジャズメンがいつもよりもリキが入ったのか、「こりゃ、スッゲェやぁ・・・」という演奏をしてくれたと感じた聴衆は、手が痛くなるくらいに拍手をせずには居られません。時には、聴衆が総立ちになる「Standing Ovation」になることだってあります。それが、快演を聴かせてくれたジャズメンに対する礼儀というものでしょう。このライブでも,
この3日目は特にノリが良い演奏が続いたので、素晴らしい演奏を聴かせてくれるトリオの面々に、盛大な拍手(Big Hand)が何度も起きました。
- 同じライブで、「枯葉」の3曲後でやはり20分以上と長い「君恋」(Vol.3:4)の演奏が終わり、トリオの3人が多分タオルで汗など拭ったりなんかしている間も、歓声とともに拍手が鳴りやみません。そして途中で観客の一部が手拍子をし始めて、それに気づいた他の聴衆が息を合わせてきます。すると自然発生的に
拍手は全員の息が合った手拍子となっていきます。これは欧州の会場なんかでは良くあることで、更に皆で足踏みをする音まで録音されていることがあります。まぁ、その辺が最大限の賞賛表現で、「そうせずには居れない・・・」という自然発生的な出来事です。無論、そこにはそれでも自制というか、限度があります。ベイシーの菅原さんがよく言う通り、「風呂には温度、モノには限度」です。
- コレを聞いたNelsonがふと想起したのが、「コレは良いんだけど、アレはどうなんだろうなぁ・・・」というはしゃぎ過ぎの例です。Nelsonは古い人間なんで、「拍手は良いけど、演奏の邪魔になったり、聴き取れなくなるような拍手はハッキリ言ってはた迷惑だよな。」、と感じる派に属します。つまり、演奏後とか、アドリブの変わり目なんかに掛け声をかけるのなら、アリでしょう。演奏のノリが良くなって来ると体も揺れてきますし、ツイ声が出ちゃったんでしょうが・・・
- しかし、例えば「Communication- Live at Fat Tuesday's New York/ Tommy Flanagan」盤なんかで聞ける
これ見たいに、その女性一人が浮いてしまう程の悪盛り上がりはどうなんだろう、と首をかしげてしまいます。聴く人によっては、「演奏の邪魔になるから、歓声はタイミングを選んで欲しいなぁ、今良いアドリブをしてるとこなのに、邪魔になって聴こえないよぉ・・・」と文句が出ます。無論、こちらの方のように、「5曲めレッド・ミッチェルの曲ですが、ライブも佳境に入りつつあり、フラナガンのソロが熱くなってきてお客の掛け声のテンションが上がっていきます。」と掛け声大いに結構派の方が多いんです。心の狭いNelsonなどは、、まだ演奏が続いているんだから、自分の感興をなりふり構わず誇示する掛け声には時に辟易としてしまいます。(でもその場にいて、少し酒が入っていたら、演奏が素晴らしく良いから、やっぱりはしゃいでしまうかもなぁ・・・)
- いや、これがロックだったり、ジャズでもThe Crusadersとか、Ramsey Leiws TrioだったりLes McCanなら判らないでもないですが、「これはTommy Flanagan(p)、Red Mitcthell(b)、Jerry Dodgion(ss)らによるドラムレス・トリオの秘術を楽しむギグなんだから、そう騒がれても・・・」とNelsonは思うわけです。
もっとネチっこい表示を試みると・・・
- この辺を可視化できないかなぁ・・・と今作業中であり、それは来週にでもアップします。
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