ウォーキング・ベース(Walking Bass)
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ウォーキング・ベース(Walking Bass)という位ですから、人が歩く程度のテンポで心地よいビートを効かせて、グン、グンと演奏を引っ張っていくという魅力があります。
4ビート
- さて、基本的に4ビートというリズムをもったジャズの演奏の場合に、リズムセクションの項でも触れましたが、ドラムス、ベースそしてピアノがリズムをキープします。そしてそのリズムをベースがピチカートで弾く時に、旋律楽器ですからある音程を持ってしまいます。その音程は、曲のコード進行に準拠した和音を構成する幾つかの音を主体にして選ばれます。その時に、大雑把にいって3度づつ飛んでいる分散和音を弾くのではなく、和音を意識しながらも、余り音程を飛ばさずに、上昇あるいは下降旋律を弾くと、丁度人が歩いている様子に近く聞こえる訳です。
先に例に挙げた、、、
- The Last Concert/ Modern Jazz Quartetは必携盤ですから、もう一度取り出してPercy HeathのWalking Bassを聴き直してください。冒頭1の「Softly as in a Morning Sunrise」は、ノーリズムのイントロで、ベースが一際大きな音で録られていて、「こりゃぁ、良さそうな演奏だな」と予感させます。こういうので「エエなぁ」と唸らなければ、ジャズを聴く資格はありません(キッパリ)。この演奏は結構長めですが、その後もPercy Heathの堅実なWalking Bassが楽しめます。7 Confirmationで一言言っておくと、これ位のテンポがWalking Bassの上限です。これより速くなると、せわしなくなります。もう一つ有名な例を挙げれば、Somethin' Else/ Julian Cannonball Adderleyの枯葉におけるSam Jonesのベースがそれです。これは古い録音なんですが、Rudy van Gelderの驚異的な技術によって、ふやけずに、しっかりと録られており、加えてこの人の粘っこいビートは有名ですから、実にしっかりと演奏全体を下支えしていることがお分かりでしょう。余談ですが、散歩のペースメーカーとして、この演奏のテンポは実にピッタリであり、正にウォーキング・ベースの好例です。
Leroy Vinnegar「Jazz's Great Walker」
- さて、Walking Bassを専売にしているLeroy Vinnegarです。その人が、題名に「Walk」を含む曲ばかりを集めて演奏した有名盤があります。そのLeroy Walks/ Leroy Vinnegarから冒頭の「Walk on」を聴き直してみます。8分という50年代にしては長い演奏時間ですが、全編歩きっぱなしじゃないですか。ベースの音を楽譜に起こすと恐らく、5線譜ではデコボコの無い、滑らかな音符の動きになっている筈です。よく聴くと不思議なことに、一寸上り坂があったり、下りになったり、穴ぼこや小石を時に避けたり、とも聞こえます。上下動を階段の昇降に例えると、一段飛ばしはせずに、足取りがしっかりとしていると言えます。これらを「Walk」、つまり歩行に見立てたということです。従って、これはベースのアドリブで使うというよりも、あくまでもメインの演奏の裏でサポートする時の演奏の仕方となるのが普通です。なお、Leroy VinnegarにはVeeJayに、「Jazz's Great "Walker"」というニクイ命名で、彼のベースがリーダーになったピアノトリオ盤もあります。演奏者ナビで見てもらえれれば、サイドメンで良い盤に参加していることもお判りでしょう。
テンポ
- ウォーキング・ベース (Walking Bass)はあくまでその名のとおりに「歩行」であり、Running Bassではありません。丁度人が歩くのに近いくらいのテンポで使うものであり、それより速くても、遅くてもウォーキングはしません。上記したThe Last Concert/ Modern Jazz Quartetの7 Confirmationがテンポの上限といったのは、そういう意味です。そういう快調なテンポの時に、しっかりとしたビートでウォーキングすると、「クーッ、堪まらねぇナァ」と唸ってしまうのです。Leroy Walksでも、3曲目の「On the Sunny Side of the Street」もそうです。途中でストップタイムが入るとき以外は、全編Walking Bass一辺倒です。Walking Bassでも、時に予期しないものを避けることがあり、キッチリしたビートをちょっと外して、アクセントを付けることが多いようです。
安心できる
- こういう風に聞いてくると判るように、Walking Bassには何故か安心感を与える面があり、いつの間にか首を振ってスィングしている自分に気が付いたりします。そして、こういうWalking Bassさえあれば、「何があっても大丈夫だ。矢でも鉄砲でも持って来い。」なんて気になるのです。若干粘りはするもののビートはしっかりしていますし、曲のどの辺に居るかもピチカートの分散和音ベースのコードでバッチリです。裏のサポートとしてこれ以上は必要無いと言っても言い過ぎではないでしょう。Leroy Vinnegarの発言を読むと、「イヤ、別に考えてやり始めたんじゃないんだけど、こういう弾き方をしていたら、それ良いから次の曲もそれでやって、なんてメンバーがよく言うもンで、自然とこうなったンだけどね。」とあります。脇でやっている人も、聴いている我々も「良い気分」になるんですから、やはりそこにジャズの要諦が有るに違いありません。
そのままアドリブ
- もう一度Leroy Walksで「Walk on」や、「I'll Walk alone」等を聴くと、アドリブもWalking Bassでやってしまっています。これも時々あることです。Percy Heath等も良くやりますし、確かMilt Hintonなんてのもそうです。超有名盤で言えば、例のCool Struttin'盤の標題曲のCool Struttin'をよくお聴きください。ベースのアドリブの番になっても、Paul ChambersはWalking Bassで通しています。これはこれで、なかなか味わいのあるものです。こういう耳で、色んな演奏を聴き直してみると、かなりの演奏でWalking Bassが使われています。恐らく、ベース奏法の基本なのでしょう。
今様では、、、
- ところで、今様のベースは、やたらテクのひけらかし(失礼)が過ぎて、Walking Bassを味わうどころではなくなってきました。ペケペケとそりゃぁ凄いのは判るけど、でも肝心の曲想を堅実に、大地で支えるような安心感はありません。もっと別のものを求めているんだ、と言えば聞こえは良いんでしょうが、ヒョッとして人を感動させる心根が無いからやたらペケペケやってんじゃないかとも思います。おっと、言い過ぎか。
ということで、、、
- Walking Bassなんて古いと言わずに、名人のWalking Bassをもう一度その気で聴き直して貰うと、また面白いんじゃないかと思います。
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