昔の「アケタの店」
- 昔の様子
ここんところ顔を出していませんから、昔の、と断っておきます。西荻窪の駅を出て、商店街を北に少し行って、左手のビルの地下でした。細い階段を降りて行くと、「おぉ、おぉ、こりゃ良さそう。」、と感じる、如何にも「、、、らしい」感じの良店です。何にっ、汚いって。貴方、ジャズを聴くのは止めたら、どおですか、、、
- (素晴)らしい内装
地階の店内は、ジャズ喫茶等で既に親しみのある、良くある作りです。ビルの内装を全て取り払ってあり、配管・配線むき出しの壁が真っ黒に塗ってあって、正にジャズを聴く以外のことをここでするのは場違いな、絶好のしつらえでした。左手の手前奥にカウンターというか、ワン・ドリンクの受け取り場所というか、があって、そこでチャージも払った記憶があります。席は30席はなかったような感じで、ステージというか、椅子が置いていない前方のスペースにすべての席が向いている。それというのも右手の前方奥にピアノがあるからで、ピアノの椅子よりもこの店での実用(^^;)に適した座布団付きビール・ケースが、確か椅子になっていた。
- 例えば、板橋文夫
当時の板橋さんは、週末など結構ここでやっていたので、何度も通いました。ある時は、日頃ジャズなどは余り聞かない友人夫婦達が、Nelsonが「これから西荻に行く。」、というと、「面白そうだから一緒に行く。」、と言い出したことがありました。「六本木のクラブなどとは違う濃い場所だから勧めはしないョ。行ってから不謹慎なことは口走られても困る。」、と釘をさして西荻に向かいました。入り口の階段を降りる段になって、余り掃除などしていない様子に、「、、、、」と何かを言いそうになって、Nelsonの顔を見て口を閉ざしたので、安心しました。型通り、缶ビールなどを貰って、カブリ付きの席を確保して、暫くレコードがかかっている間は、皆で世間話をしていました。さて、板橋トリオが来店し、店も満席近くになってきましたが、連中はカウンターのところで駄弁ってばかりいて、一向に始まりません。友人が、また「、、、、」となったようですが、今度も口には出しませんでした。しかし、案の定、小半時間もしたら演奏は始まりました。一旦始まれば、板橋トリオの演奏は蒙古来襲の如く、怒涛のジャズでした。悶える、中腰弾き、肘打ち、ドラムスティック破損、(椅子代わりの)ビール・ケース損壊等々がありながらも、演奏は無事に進行し、満場の客は大いに盛り上がりました。その日は、「Blue Bossa」などの得意なスタンダードの他、「Good Bye」などのオリジナルも取り混ぜて、Nelsonの追っかけ経験の中でも結構レベルの高い、聞きごたえのある演奏が続きました。ハネた後、西荻駅に向かう道筋でも、友人達が「久しぶりに、良いジャズを聴いた」などと口々に言ってくれたので、面目を果たしたのでした。そして、休憩の時に、「アノ汚い」入り口の階段のところに、板橋らが缶ビールを持って座り込んでいたので、トイレが使い難かった、という不規則発言も、気持ち良く許したのでした。
- 例えば、田村翼
田村さんは、大阪での学生時代に聴いた後、レコードでは聞いていましたが、ライヴはアケタと横浜くらいで、数度しか生は聞いていません。ある時のアケタでのライヴは、いつもはそうじゃないがというか、いつもどおりというか、数人しか客は居らず、でも翼さんは気にも掛けずに、プロらしく、いつも通りの切れ味の良いジャズを聴かせてくれました。あの真っ暗なアケタでも、グラサンをはずさずに、端正にピアノに向かい、バラード、ミディアムとこなしていきます。名演「For Carl」をリクエストしようと思って、曲名が出てこなかったのは悔しかった。一度もそういう経験がありませんが、翼さんをもっと別の上品なシチュエーション(^^;)でも聴いてみたかった、と思います。そういう場でも、それ風の演奏が出来る人ですから、、、
- アケタのソロ
アケタでは、ある時期、店主本人が深夜にソロをやりつづけていました。彼のピアノは、テク的には実に正統派のピアノで、良いタッチで良い音を出します。演奏はスタンダード、オリジナル、そして歌謡曲を、例えば難しそうなストライド風にやったり、バップ調でやったりしながらも、何とも独特のユーモアをそこにたっぷりと込めるものでした。Nelsonの聴いた機会があまりにも少なく、しかもソロであったので、何とも評価しにくいピアニストだ、というのが正直なところです。
- 再び、素晴らしい雰囲気
アケタでは、上記の人の他、向井滋春、梅津和時、古野光昭、古沢良次郎、望月英明、等々を見聞きした記憶がありますが、国安や、阿部薫は聴いていません。でも、機会を作って、そのうちにまた顔を出してみようと思っています。 |