1954年2月21日バードランドでの歴史的な夜(テープ起こし中継(^^;)
Nelsonのジャズ狂いの原点であるBlue Noteの「BLP1521: A Night at Birdland with the Art Blakey Quintet Vol. 1」、及び「1522: A Night at Birdland with the Art Blakey Quintet Vol.2」は、ライヴの魅力に溢れた名盤ですが、ここにその司会進行も含めた全貌を記録しました。
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Pee−Wee Marquette(座付きの司会):「さて、皆様、お分かりのように、今夜のバードランドは特別の出し物になっています。ブルーノート・レコードのための録音セッションです。皆さん、出身は色々でしょうが、後日、発売されたレコードを色んな場所、機会にプレイャーに乗せて聞くことになったら、「よぉ、このレコードの拍手には俺のも入っているからな、丁度その現場にいて、このジャズを楽しんだんだょ」と自慢してください。
それでは、舞台に皆を呼び戻すことにしましょう。偉大なるアート・ブレィキーと素晴らしい仲間達で、とりわけ、新しいトランペットのセンセーションであるクリフォードブラウン、ピアノにホレス・シルヴァー、アルトがルー・ドナルドソン、ベースはカーリー・ラッセルです。それでは皆さん一緒に、グレイト。アート。ブレィキーを舞台に呼ぶことにしましょう。どうぞ大きな拍手を! アート・ブレィキーです。どうも有り難う。」
、、、ということで、Split Kickが演奏されます(以下同じ)
- Art Blakey:「皆さん、クリフォード・ブラウンでした。(拍手) 次に、彼をフィーチュァする乗り物として、ワンス・イン・ナ・ホワイルです。」
Once in a While
- Art Blakey:「クリフォード・ブラウンでした。さて、今度は我々のピアニスト、ホレス・シルヴァーが作曲した曲をやります。皆で名前を付けました。「急げ! シルヴァー」、です。」(Nelson注: 「Quicksilver」とは「水銀」、あるいは「移り気な奴」のことで、同時にかの西部の英雄ローン・レンジャーが愛馬「シルバー」に拍車をかけるときの掛け声とのシャレになっています。)
Quicksilver
- Art Blakey:「ワォー。さて続いて、ご存知ディジー・ガレスピーが書いた曲をやります。私はこの曲には格別の親しみがあります。それは、彼がごみバケツに乗っかりながら・これを作曲した時・・・テキサスでしたが・・・その現場にいたからです。ホントの話ですョ。では皆さん、チュニジアの夜です」(後に本人が児○さんに語ったところでは、当夜、ガレスピーが舞台の真ん前に座っていたので、冗談でこう言った、とのこと)
A Night in Tunisia
- Art Blakey:「トランペットはクリフォード・ブラウンでした。」(そして曲目紹介なしで、次に行く。)
Mayreh(それが終わってクラブのテーマ曲「Lullaby of Birdland」でフェィド・アウトして、第1巻は終わり。続いて、第2巻です。)
- Pee−Wee Marquette:「さぁ、盛大な拍手を。アートブレィキー。
アートブレィキーと素晴らしい彼のオールスターズです。」
Wee-Dot
- Art Blakey:「ワォー、録音セッションが楽しいのは初めてのことだょ。
では、ここでサキソフォン奏者をフィーチュァします。素晴らしい、可愛いバラードで「イフ・アイ・ハド・ユーです。 皆さん、ルー・ドナルドソンです。」
If I Had You
- Art Blakey:「、、、、」(紹介なしで、次の曲に行く。)
Quicksilver(別テイク)、続いて「Now's the Time」
- Art Blakey:「皆さん、この場を借りて、一言、自信を持って申し上げます。
今、そしてこれが永遠に続けばと思いますが、私はこんにちの、この国のジャズ界で最も偉大なジャズメンと共演しています。 ホレス・シルヴァー、カーリー・ラッセル、ルー・ドナルドソン、そしてクリフォード・ブラウンです。どうぞ拍手を。 (店内が拍手と歓声にどよめく) そのとおり。私は、こういう若手と一緒にプレィします。年を取っても、もう一度若返れます。 生き生きした気分でいるためにも。」
Confirmation(それが終わってクラブのテーマ曲「Lullaby of Birdland」でフェィドアウトしつつ、Pee−Weeが締めの司会をする。
- Pee−Wee Marquette:「さぁ、もう一度。お楽しみになったのはアート・ブレィキーの演奏で、ブルーノート・レコードへの録音です。皆さん一緒に、アートブレィキーを応援しましょう。
大きな拍手を、アートブレィキーに。 そう来なくっちゃぁ。」 (ということで、おあとがよろしいようで、、、)
蛇足 1
- Blakeyは、トランペッターを探している時に、Charlie Parkerから「Philadelphiaに行くのに、こっちからトランペットを連れて行く必要はない。凄いのがあっちには居る。」とBrownieのことを教えられた。Brownieも加わった地方公演を通じて、Blakeyは彼を大いに気に入り、その後勇躍、このNYでのギグに臨んだという。噂が飛び交って、Brownieは相当に注目されることとなり、このBirdlandにもガレスピー他多くのジャズメンが偵察に来ていた、という。
蛇足 2
- クインテットの演奏も凄いが、フロントの二人をフィーチュァしたshowcaseのバラード2曲も素晴らしい。Brownieの「Once in a While」は、正に正統派トランペットとしての技量を惜しみなく発揮したアドリブが展開されており、聴衆を魅了したに違いない。Lou Donaldsonの「If I Had You」も、彼の畢生のバラード演奏になっており、ハード・バップ・アルトによるバラード解釈でも・トップレベルにある演奏と信じる。しかし、Louは兎も角、Brownieの方は、後ろから煽り続けるブレィキーのスタイルにはあまり合わなかったのがこの編成が短命な理由、と言う見方もあります。すなわち、後に夭逝までの残り少ない時期を一緒に過ごした、音楽性と小技で優る(^^;)Max Roachとの共演の方が、性に合っていたようなのです。
蛇足 3
- Blakeyは、音楽の路線は他人に任せて、自分は運営に専念していたようで、この直後にグループ名も Art Blakey QuintetからArt Blakey and the Jazz Messengersと変え、バンドの路線をゴリゴリのハードバップに据えて、このバンドの名を轟き渡らせました。この時期は、音楽的にはHorace Silverがリードしていた模様です。後に、Silverはメンバーを引き連れて独立し、Blakeyは「ジャズの伝書使(Jazz Messengers)」という商標を承継しました。BNの現在のリストでは、カフェボヘミアのライヴの方が若い番号が付いています。これは10インチ盤と、後にそれを編集した12インチ盤とで、発売の順が違ってしまったことによる。
蛇足 4
- Blakeyは、ドラマー自体としても素晴らしい演奏スタイルを持っており、
ベルを多用すること、 肘をドラムの皮に擦り付けながらずらして行って音程を変化させること、 量と持続時間で有名なナイアガラ・ロールを確立したこと、 ソロイストを鼓舞し続ける(し過ぎるくらいの(^^;)手数の多いオカズを入れること、 「そら、そら、もっと燃えろ」などと声でも合いの手を入れること、 エルヴィンほど顕著ではないが明らかにマルチ・リズムの感覚を持っていること等々、後のドラミングに大きな足跡を残しています。
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