(Home - Hear Me Talkin' to Ya / BACK)

JATP: Jazz at the Philharmonicの誕生と、Norman Granz
  • Norman Granzが、如何にしてJATP: Jazz at the Philharmonicという卓抜な興行の実況録音のレコード化を実現に持っていったか、というお話です。
    第2次世界大戦の終戦当時
  • 逆説的な言い方になりますが、1944年当時、最も大きなレコード会社は、国防省だったそうです。レコード会社の各社が労働争議に明け暮れていた頃、陸軍はどんなコンサート、ラジオ番組であっても、それをレコード化する白紙手形を持っていました。それを、駐留軍放送として、世界中で鳴らしていたのです。Norman Granzが始めたJATP: Jazz at the Philharmonicの慈善興行も、このようにしてLos Angelesで録音されました。司会は、Jimmy Lyonsでした。そのSP、当時はそれをTranscription(放送用録音)と呼んで、スタジオ録音ものと区別していましたが、それがNorman Granzの所にも送られて来ました。それを聴いていて、Norman Granzがトンでもない商売のネタに気付く事になったのです。
    Norman Granzの回想
  • それを聴いていて、これは売れるな、と思いました。このTranscriptionを、録音セッションとしてではなく、何の制作意図もない、起こったままの出来事の記録として見たのです。ジャムセッションの自然発生的な面を記録しておきたくなりました。じっくりと聴いていると、スタジオのような管理された場では、得られない雰囲気を感じました。ということでNYに出かけて行って、この道の先達であるColumbiaのManie Sacksに会いました。一寸変わった物だけど、売る気になるんじゃないかと思ったからです。でも、彼はそれを聴くと、渋い顔をしました。「ミスが多いし、会場はうるさいし、メンバーの声も大きすぎる。これは売り出せる代物ではない」というのです。私は説得に努めました。「一寸その話はおかしいよ。それだからこそ、売り出すべきなんだよ。君は記録写真に手を入れたりはしないだろう。」でも、彼にとっては、音は悪いし、会場がうるさいとしか聞こえなかったのです。DeccaやRCAにも持ちかけましたが、皆が発売なんて考えられないと応えました。その時点では、殆どあきらめてしまいました。その後、Ella Loganの録音の件で、Moe Aschに会いに行ったことがありました。でも彼は、その頃、フォークソングに目が行っており、彼のレーベルであるDisc Recordsでは扱えないということでした。他に何か無いの、と聞いてきましたから、先ず駄目だろうとは思いながらも、JATPの録音を聞かせました。ところが、驚いた事に、「これは発売する気はあるの」と訊いてきたのです。「勿論、その気さ」と私が答えて、これが始まったというわけです。
    Les Paulの回想
  • あれは、最初のJATPコンサートの時だったよ。まだ陸軍に所属していたんで、Meredith Wilson少佐に出演の許可を貰いに行ったな。彼はThe Music Manの作曲者だ。Nat Coleも出演していたが、彼とはシカゴでジャムセッション仲間だった。あのコンサートでは、二人が掛け合いをやるようなことになったんだ。なかなか良い展開だったと思うよ。ふと会場に目をやると、皆が椅子に乗ってしまってるんだ。「ワオーッ」て感じだったよ。でも演奏のほうがてんてこ舞いだったんで、会場を見てる暇は無いよ。叫び声が上がったりしたのを聞きつつ、こりゃ受けてるなぁと感じていた。それで最高潮に来た時には、帽子が舞い飛んでいたネ。キャーキャー言ったり、掛け声をかけたりしてるんで、まぁこんな事たァ一生に一度のことだなァ、と良い思い出になっているよ。
    レコードとして発売
  • 上記のLes PaulとNat Coleも参加した演奏は、「Bugle Call Rug」という曲で、最初のJATPでのことです。この録音は発売まで、3年間は寝かされました。都会の聴衆は若くて、Benny GoodmanがParamount Theaterを7年前に沸かせた時と基本的に同じであったようです。1945年には、もう毎月このJATPが開催されました。2月12日の興行では、「How High the Moon」や、「Oh, Lady, Be Good」がGene Krupaのグループにより演奏され、上記のMoe Aschが初めて「JATP第1巻」として発売したのです。照明を落とした、小さなナイトクラブでやるジャズではなく、数千人の観衆が居るコンサートの舞台が、それからのジャズの大舞台となったのです。1945年の半ばには、既に10回のJATPがあり、翌年には西海岸でのツアーが企画されました。営業的にも成功で、ギャラ等の支出が1回あたり1500ドルで、チケットは1.2から3ドルというところでした。ジャズメンは一回当たり最低で40ドル、Nat Cole等は例外でもっと高かったそうです。
    とまぁ、以上のような事で
  • とまぁ、以上のような事でJATPは軌道に乗っていったということのようです。

(Home - Hear Me Talkin' to Ya / BACK)