Charlie Parkerとの共演 -- Jackie McLean/ Cecil Payne/ Duke Jordan/ Roy Haynes --
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偉人、Charlie Parkerと最初に共演した頃の思い出をJackie McLean/ Cecil Payne/ Duke Jordan/ Roy Haynes等が語ったメモを見つけました。追悼公演への移動のバスの中での会話のようです。
Jackie McLean
- Birdを初めて聴いたのは、叔父さんがニューヨークでやってるレコード店でのことだった。それはClyde Hart's All StarsのSPで、「Sorta Kinda」と「Seventh Avenue」が入っていた。それが彼の演奏を聞いた最初の機会だった。その「Seventh Avenue」をかけた途端、何の疑いも無く、「これだ、これだ」と思った。待ちに待ったものに出会ったという感じで、直ぐに惚れ込んでしまったんだ。丁度その時期に、テナーにでも鞍替えしようかと悩んでいたんだ。時を置かずに、その店で更に、「Billie's Bounce」や「Now's the Time」の録音を見つけ、そしてあの「Koko」も聴いたんだ。1946年、僕はまだ15歳だった。数か月も経たないうちに、Birdが僕の目標になった。そしてアルトを続けることにしたんだ。大きな決断だった。その年の内に、BronxのMcKinley Theaterで、Dizzy's Big Bandとやった演奏を聴いたよ。Dizzyが客席からバードを呼び上げて、二人にリズムセクションというクインテットで何曲かやった。それから暫くして、バードがThree Deucesに出ていると新聞で読んで、52丁目に駆けつけたなぁ。まだ15才だったんで、クラブには年齢制限で入れないから店の外で、バードがやってくるのを待ったりしたんだ。まぁ、追っかけの熱烈なファンてところかな。ある夜、地下鉄の出口で掴まえて、店まで一緒に歩いていった事がある。バードが「君達はこの辺に住んでるの」と訊いたんで、「いや、ずっと北のハーレムだよ」と応えた。「でも、音楽は聞けないんだな。よし、どうにかなるかやってみよう」と彼は言って、Three Deucesの店内に連れ込んでくれたんだ。クロークの近くに座らせて、「一曲目を聞くんだよ」と言って、行ってしまった。その曲は「チュニジアの夜」で、リクェストした曲だった。年端も行かないジャズメンにとって、全く感激の瞬間だったよ。バードとやった演奏のことは、全部しっかり覚えているさ。最初に共演したのは、Chateau Gardensにバードのトラに入った時だった。他の仕事が終わってバードが駆けつけるまで、最初のセットを代役でやったんだ。次がBirdlandにMiles Davisのバンドで出ていたときのことで、バードがやってきて聴いてるんだよ。Arthur's Barでも、面白い事があったなぁ。そして一番の出来事は、Miles Davisの録音の時に、僕は初録音だったんだけど、バードが見に来てくれていたんだ。
Duke Jordan
- バードとの出会いは、印象的だった。会う前からバードの評判は聞いていたんだけど、どんな人かは知らなかったんだ。アレは1946年かなぁ、Three Deucesに出ていたんだ。かぶりつきのテーブルに居た男が、「おい、コイツをよく聞けよ」なんて、僕のことを言ってるんだ。休憩で舞台から降りると、奴が傍によって来て、「なぁ、お前よぉ、良いプレイをするじゃないか。俺のバンドでやらないか」とか何とか言うんだな。誰か判らなかったんで、モガモガしてたんだ。そしたらその晩、同じく客席に居たMax Roachがそれを聞きつけて、僕を引っ張っていって「馬鹿野郎め、あの人はCharlie Parkerだぞぉ」と教えてくれたんだよ。無論、直ぐにバードのバンドに入ったさ。
Roy Haynes
- 僕が最初にバードを見かけたのは、Three Deucesで彼がDizzyと演奏している時だったな。僕は1945年からNYに移り住んだんだけど、それまでは週末にボストンから遊びに来てたんだ。だから、あれはその少し前、1944年頃のことだと思うよ。僕もThree Deucesでバードのバンドに入って演奏するんだけど、それはもっと後の事で、1949年になってからなんだ。それまでは色んなグループとやっており、47年から49年まではLester Youngなんかとやっていたよ。1949年ころにはMiles Davisのバンドに居たんだ。彼は147丁目のSugar Hillに住んでいて、僕は149丁目に居たっけなぁ。Miles Davisは、バードのバンドから抜けて、自分のバンドを持っていたよ。9月にBrooklynでの仕事が終わり、僕はバードが出ているThree Deucesの筋向かいのOrchidという店でギグがあった。メンバーがBud Powell、Sonny StittそしてNelson Boydということで、いやぁ熱いバンドだったよ。ある時、Max RoachがOrchidに顔を出して、バードのバンドから抜けたいんで、僕に代わりをやってくれないかと頼みに来たんだ。僕はOrchidで結構人気があったんで、直ぐにと言われても困った。Max Roachは、「君がイヤだって言うんなら、Kansas Fieldsにでも頼むかな」と言っていた。彼は年配のドラマーだけど、スィングはしたんだ。結局、バードが直接僕の所に来て話を持ちかけたんで、彼のところでやることにしたんだ。最高だったのは、1950年にCafe Societyで、Art Tatumと張り合った月だよ。オープニングには、Billie Holidayが来ていたよ。最後に一緒にやったのは、1953年の1月、Open Doorでのギグだったかな。日曜日に始まって、次の週一杯のギグだった。Bird、Monk、Mingusそれに僕が一緒に写ったその時の写真は、ジャズ史上最も有名なショットだと思うよ。
Cecil Payne
- 僕が一番古いバードを知ってるってことかなぁ。あれは1942年末か、1943年初めだったと思うけど、78丁目とBroadwayの交差点にあったTap Roomに出たときのことだと思うな。バードがやってきて座ってるんだけど、楽器は持っていないんだ。僕はまだその頃はアルトを吹いていたので、バードは僕からホーンを借りて、演奏に参加したよ。だから僕は舞台から降りたんだ。僕が、バードが誰かなんて知らなかった頃の事だね。その後、Chateau Gardenで、Max RoachやKenny Dorhamなんかも居たけど、バードと一緒にAll Star Bandで演奏したこともある。二人ともアルトだったんだ。また、Clarke Monroe's Uptown Houseでのジャムセッションでもやったのは覚えているなぁ。彼が「Cherokee」をやるのを聴いたのはその時が初めてだった。彼は普通の2コーラスじゃなく、もっと長くやったよ。Ben Websterが「おい、おい、ありゃぁ誰だよ」と驚いていたのを思い出すなぁ。僕が1946年に陸軍を除隊してからは、彼がアルトを吹き、僕はバリトンにした。BirdとDizzyが一緒にその頃やっていた演奏は、お互いのいいところがよく出ていたな。
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