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Billie Holiday/ Strange Fruits
叙情、叙事そして北條民雄「いのちの初夜」
  • 名唱Billie Holiday/ Strange Fruits ( from 'The Complete Commodore Recordings')をもたらした冷静な眼の大事さについて考え込んだ、というお話です。
    Billie Holiday/ Strange Fruits
  • この名唱は有名でもあるし、適当に紹介するものでもないので、実際に聞かれたときの印象を想い起しながら読んで頂くとして、説明は省略します。というか、このヴォーカルをしっかり説明するのは、ホントに難しいことです。
    冷静な眼
  • そういう同朋の無残な姿を巡る歌なので、さぞおぞましく、また同じAfro-Americanとしての怒りに満ちているかと思って聞かれると、それとも一寸違うと気付かれる筈です。少しの間、「何なのかなぁ、、、」と考えていて思い至ったのが、その視線の客観性、つまり冷静さです。言い換えれば、歌詞、歌唱共に、叙情ではなく、叙事ではないかと思われます。なーるほど、それがまたこのヴォーカルが名唱である所以なんだなぁ、と気付きました。歌詞自体も、よく読んでみると「そこに死体がある。」ということを冷たいと言って良いほど、事実として描写しています。更には、流れる血や、犠牲者の死に至る苦悶の表情等への直接的な言及は極力抑え気味にして、「済んだ」後の現場に立った人の眼で、極力「どのようであるか」を述べるに止めています。また歌唱においても、湧き上がる感情を「怒声」や「嘆き」で表現する方法にだけ頼ることをせず、作詞者の意を汲んでか、「その瞬間」から何年も経った後に、「これだけは憶えておいて欲しい」と、孫に伝承するかのような客観性を持って表現しています。Billie Holidayは、こういう抑制が効いた歌唱では抜群の技量を発揮する人です。
    そして、、、
  • 北條民雄に「いのちの初夜」という作品があります。この小品も、読んで頂くのが一番で、Nelsonの下手な説明は邪魔でしょう。最近、この関連の国の所業を反省し、患者さんの人権回復が図られる事となったようです。これにもBillie Holiday/ Strange Fruitsと共通する面があるような気がします。ハンセン氏病に罹患する事自体が、社会からの隔離を意味した時代の情景を語っており、その事実の重さに丸太ン棒でぶん殴られたかのような衝撃があります。かなりの消化、諦念を踏まえて声高でなく、感情を抑えつつ語られる物語は、やはり「奇妙な果実」と通じる世界です。原民喜「夏の花」、井伏鱒二「黒い雨」も、全く別の災厄について、淡々と、しかし力強く大事な事を伝えようとした作品でしょう。これらの作品では、感情の高揚を叙情で伝えるのではなく、むしろ叙事を重んじる事により、却って逆説的に、「事実の生々しさ」が印象に残るという気がします。
    微妙で、困難な按配
  • 何か伝えたい事があるとして、それを感興の高まりの中で激情として吐露してしまうよりは、少し時間を置いて咀嚼、あるいは発酵さえさせて、少し控えめに述懐する方が却って真意が伝わる事があります。ご飯も、すっかり冷飯となっては台無しですが、はやる心を押さえて、若干の「蒸らし」を行う気持ちの余裕が必要な事と同じと言えば良いのでしょうか。そして、芸術家が一番悩むのが、その「按配」です。その時正にそう感じたという、当人だけが生き証人として感じた興奮が的確に彷彿としうる程度の鮮度が必要ですし、また全体が何であったのかが総括できる程度の熟成も必要です。それには経験も力になるでしょうし、また訓練ではなく生来の才能として備わっていなければならないような気もします。それは個々の素材によりそれぞれ按配が異なるといった、定番レシピなど存在しない世界です。少し叙情を排し、叙事を持ち上げすぎていることは認めますが、伝えたい気持ちがダイレクトに判る叙情ではなく、少し距離をおいた叙事も捨てたものではないどころか、叙事でしか伝えられない重く、心に沁みる感興もあると思います。
    抑えたジャズ
  • どなたも恐らく一度は聞かれたことがあるでしょうが、汗ダラダラ、時にはステージ上でブリッジなんかしながら、スキーク交じりのテナーサックスで絶叫するHonkerと呼ばれるスタイルがあります。大抵は恋歌などの耳馴染みの良い曲をやるのですが、たまに聴くのなら真面目に聴きますが、ワンステージを聞きとおす気には一寸なれません。ステージを見ていると、御本人の気持ちは痛い程よく判るのです。それは判るけど、、、でも吹き狂いっぱなしというのも困ります。このアプローチは例えばセックスと同じようなもので、段々刺激のレベルを上げることが必要になり、「さっきよりももっと」の世界です。そうではなくてもう少し感情を抑え気味にし、時に激情も少し交える位でないと、肝心の言いたいことが伝わらないんじゃないの、と危惧します。その抑制に続く高まりを更に効果的にするために、抑えに抑えた上で、この時とばかりに感情を解き放つ、この手順も大事な事です。例えば、歌舞伎役者が「大見得」を切る前にグッと眼を閉じ、そしてその後カッと眼を見開くことがあります。これも意識の集中を象徴的に表現するに際して、瞑目ー瞠目という手順を踏むことにより、見得を効果的に見せる技です。このように、感動を巧く伝えるには、ただただ感情に流されて演奏するのではなく、「抑制が効いたジャズ」というアプローチも大事だなぁ、、、とまぁ、こんなことを考えた次第です。

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