メロディと著作権 キー、コードそしてアドリブ
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メロディに付随する著作権と、キー、コードそしてアドリブの関係が気になった、というお話です。
メロディと著作権
- ジャズが成立するずっと以前から、ある楽曲の著作権らしきものを尊重するという慣習があり、法制化されていました。名画「アマデウス」でも判るように、作曲者モーツァルトは依頼に基づき作曲してその作曲料を得ると共に、その楽譜を特定の楽譜頒布店が写譜し、販売することを許し、その楽譜の写譜権料とでも言うべきものを得て、生計の足しにしていたようです。
レコード会社の著作権稼業
- 著作権制度が確立されてくると、レコード会社はヒット曲の著作権管理が儲けに繋がる事に気付き、ジャズの世界でも作曲者としてのCreditが重要視され始めます。やがてジャズメン側でも、レコード会社に権利を渡すのではなく、自分で登録する人が出てきます。CDをよく見ると、John Coltrane作曲ならJowcol Musicが著作権者であり、ASCAPとか、BMIとかいうのが著作権管理団体と判ります。名曲は著作権料が馬鹿にならない収入になるので、「Take Five」の作曲者Paul Desmondは左団扇で晩年を過ごしたとか、Nardisの権利をMiles Davis御大が取っちゃったので、Bill Evansは内心穏やかでなかったとかいう話があります。レコード会社はメンバー以外の人の曲を録音する際には気を使い、オリジナルであれば演奏者自体を作曲者にはするものの、その著作権の管理を自社でやるように誘導します。
楽器・ヴォーカルのキー
- Nelsonも実は詳しくは無いのですが、個々の楽器にはそれなりの通常演奏しやすい音域があります。楽器ごとに一番運指が楽なキー(基音とでもいうのか)があるようです。合奏部分では、各楽器がどういう風に音域を分担するかは自然に決まってしまい、編曲者などはそれを踏まえて、各楽器の和声や、入りと出を考えているようです。ヴォーカルもそうです。男女の差異がありますし、人によって声の高低があります。カラオケ機で、つまみをいじって「もう一寸低く」なんてやっている、アレです。キーを変えると、恐らくは五線譜上を上下に旋律が平行移動するのだと思いますが、言ってみれば別の旋律を奏でていることになります。しかし、原曲がアルトサックスの演奏なので、これをバリトンサックスでクラブで演奏した場合に、キーが違うから旋律は違ってしまうから、著作権料を払わなくて良いってことは無いでしょう。つまり、キーを変えるのは日常茶飯事ですから、どのキーで演奏しても、そして恐らくはメロディを相当にフェイクしながら演奏したとしても、著作権には引っかかるのでしょう。余談ですが、Lester Youngの演奏を正規ではない、早い回転で再生するとCharlie Parkerになるとかいう話も、今は通じなくなりました。これはLPの回転数と、演奏のキーの高さとが関連しているから出来たお遊びでした。LPなら回転数をヒョッと変えられますが、CD時代ではそれは無理でしょう。
Diz'n' Bird
- バップ期に、Charlie Parker、Dizzy Gillespie等はコード進行に基づくアドリブ展開において、ジャズの新境地を限界まで追求しました。その営為は徹底しており、その過程で過去のジャズ曲のコード進行を完膚なきまでアドリブし尽くす試みを多く行いました。その中で生まれ、録音されたアドリブには、原曲よりもずっとジャズらしい雰囲気を持つものがありました。その素晴らしさに注目して、そのアドリブそのものに、Ornithology(原曲はHow High the Moon)とか、Donna Lee(原曲はIndianna)とか別名が命名され、新曲扱いされたものが多くあります。新曲であれば、アドリブを曲にしてしまった人が著作権者になります。この現象は制作者にとっても好都合であり、みすみす大作曲家に著作権料を持っていかれるハメにはなりません。レコード会社が演奏者らにそういうやり方をけしかけた理由は、原曲の著作権許諾に関する手続きをしなくても良いからです。ここで判ることは、次のようなことです。その新曲は原曲のアドリブなのですから、コード進行はほぼ原曲の通りな訳ですが、それでも新曲扱いになるのです。そして著作権は、曲の旋律そのものには及ぶが、その曲を構成しているコード進行に迄は及ばないらしい、ということです。
EvansやHancock
- コレは余り自信が無いことなので、真偽を保証しかねますが、取り敢えず書いておきます。ハードバップが定着した頃からなのか、と思いますが、原曲の旋律を新しい眼でみて、より複雑で、でも新味のある進行解釈をEvansやHancockが始めた気がします。高校の音楽程度の知識しかないNelsonの言葉で言うと、同じ旋律でも通常の和音の当て嵌めではなく、もっと解釈の自由度を広げて、その人がマッチすると考える別の和音進行でアドリブすることは可能であり、それを推し進める動きが出始めました。恐らくコレには、トレーン一派の小節の微細分割や、モード・ジャズや、ロックを取り入れたフュージョンといった流れも影響していたのだと思います。兎に角、同じ曲からもっと新しいコード進行を編み出すことに、多くのジャズメンが取り組んだのではないか、と思っています。それで結果が面白くなければなんてことは無いのですが、そういう風に解釈した進行でアドリブを組み立てると、かなり面白い事が起こったようです。それが、今までのハードバップ風のジャズとは違う、別の魅力を持ったジャズ、70,80,90年代のメインストリームになって行った気がします。上記Diz'n' Birdに続く流れとして、通常のコード解釈では早晩行き詰まる定めのアドリブが、そういうやり方で更に新しいジャズに発展すると言う事が、どうもあったようです。そしてこれは、当時の音楽界の動きに影響された流れのようで、そういう時代の中でストレートなジャズをやる人が気付き、EvansやHancockに代表される人達が工夫した事(Re-harmonization、リハモと略される手法)ではないかという気がしています。(余り自信なし)
ということで、、、
- 楽曲の著作権の世界では、原旋律及びそのキーだけを変えたものは、もろ著作権絡みになりますが、どうやらそのコード進行を借りた好アドリブに曲名を付けちまえば、著作権が新たに発生するという事のようです。Stan Getz等がよくやるように、曲名を言った後、テーマなんかやらずに、いきなりアドリブに入る演奏形式があります。CDのCredit部分にはIrving Berlin作曲なんて明記してありますから、結構いい加減というか、鷹揚だなぁとも感じます。このジャズ特有の現象、アドリブで新曲を作ってしまうと言うのは、ズルイようでいて、実はジャズの本質を反映した裏技なんだなぁ、と納得した次第です。
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