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借金苦とジャズ
ドストィエフスキー、Chet BakerそしてArt Pepper
  • 芸術家に限らず、世に借金苦にさいなまれる人は多いのですが、それが演奏に影を投げかけるのか、というお話です。
    サンクト・ペテルブルグ
  • NHK/TVの朝の番組で、ドストィエフスキーとサンクト・ペテルブルグの周辺を紹介していました。紹介された彼の書斎を眺めていて、この人の執拗な賭博癖から来た借金苦の事を思い出しました。また、ネヴァ河畔からこの都市を眺めて、「ピーチョルブルグ」と呟く声が脳裏に残った、という埴谷雄嵩の言も納得できる位に、サンクト・ペテルブルグはまことに美しい街のようです。もう一つ、サンクト・ペテルブルグで記憶に残ることがあります。この都市には、かのエルミタージュ美術館があり、一度は訪れたい美術館です。学生時代に京都は岡崎の美術館に、そのエルミタージュの所蔵作品展がやってきたことがあります。その時に見た大きな絵、等身大よりも大きかった「ジプシー女」の緑のスカートが眩しかったという印象が強烈にあります。同じ絵を、東京で友人が、また別個にカミさんが見ていて憶えており、不思議な符合に後で驚いたものです。その絵は結構画集を調べましたが見出すことが出来ないで居ります。
    「去年マリエンバードで」
  • ドストさんは、バーデンバーデン等の賭博場でかなりの借金を作り、その返済を迫る矢の催促の中で、数々の名作を書き連ねていったようです。「賭博者の羞恥」という有名な概念も、この人ならではの造語です。この素晴らしい作家のような、言ってみればインテリがはまり込んでしまう、前世紀の賭博場の魔力がどのようなものかは見当が付きません。いくつかの作品の中に、その片鱗が垣間見える箇所がありますが、時代の雰囲気も含めて、本当のところはどうだったのでしょうか。学生の頃に、例の名画「去年マリエンバードで」という映画で垣間見た、避暑地のホテルのウネウネとした回廊のモノクロ映像などは、恐らくは同様の背景の中でのイメージと思われ、その画面を見て想像をたくましくしたものでした。ドストィエフスキーの作品では、「未成年」が好きですが、御想像通り偏屈親爺としては「地下生活者の手記」も愛読した覚えがあります。「カラマーゾフの兄弟」から、大審問官、森有正もしくは埴谷雄嵩というコースは、今も定番なのでしょうか。ところで、こういう借金苦は彼の作品と何か関係がありそうです。無論、直接にそれを書くほど単純な作家ではありませんが、時々引っ張り出す「作家ノート」や「往復書簡」等に、その連関が読み取れる部分が見受けられます。そういう噂を聞かず、また子沢山で多くの孫に囲まれた感じのあるトルストイは、やはり異なる系列の作品を書いていました。作家の借金苦は書き方にもかなり影響したのでは、と思わせます。
    ジャズメンの借金
  • ジャズメンの借金といえば、薬禍がらみが通り相場です。Lee Morganが奥さんに射殺されたのは、恐らくはお道楽がらみのことで、薬禍ではないのでしょう。ジャズ界でこの悪癖に悩んだ人は枚挙の暇もありません。ABC順でいっても、Sonny Clark、John Coltrane、Miles Davis、Bill Evans、Philly Joe Jones、Charlie Parker、Sonny Stitt、、、
    Chet Bakerの借金
  • Chet Bakerも、借金は絶えなかったようです。管楽器の吹奏者にとって生命線の前歯をヤクザに折られて、入れ歯ができるまで演奏が出来なかった時期があったそうです。その最後も、どうにもこんな所から落ちるとは考えられないような場所からの墜落事故死です。巷間よく言われるように、この人は録音がメッチャ多く、金に困って録音しまくった、と言う認識が定着しています。しかし、そういわれる時期の演奏をよく聴いてみても、どうもそう言った評価だけでは済まない演奏の質の高さがあり、沸々と湧き出る「演奏したいんだよォ」という意欲が無ければ、これだけの量と質の維持は不可能と思えます。正に演奏を聞いてもらうことを生涯にわたって求め続けたのだとしか思えず、「多すぎる」と言われる程の量の創作を可能にした芸術的な才能の無限さに、撃たれないわけには行きません。伝記映画を見ても、無頼、破廉恥とみなされる行為を続けたこともさりながら、楽器を離さずに、しかも共演者が感動するほどの素晴らしい演奏を聞かせ続けた、その才能の氾濫も印象深いものでした。ファンの一人としては、それを才能の単なる浪費とは片付けたくない心境です。
    Art Pepperの借金
  • Chetと異なり、Art Pepperの借金のことは余り話題には上りません。そのことをChetとの違いで見ると、Art PepperはLaurieさんというよき配偶者に恵まれたこと、そして後半生で大きく演奏スタイルを変えたこと、この二つが関係があるのでしょうか。この二つの点では、Chetは無頼を続けて定まった配偶者は目立たなかったようですし、また演奏スタイルにも大きな変化がありませんでした。Art Pepperの場合は、薬禍に伴う隔離状態との対峙が、演奏に影を投げかけてそれなりの変化があったわけです。しかし、Chet Bakerの場合は、薬禍はむしろ完全に生活化されており、それとの対峙ではなく、それとどう折り合いを付けるかという資金の問題でしかなかった、と思われます。
    それにしても、、、
  • 薬禍、あるいは借金苦というようなストレスは、苦悩に満ちた作品に繋がる、と言うほど人間は単純でも、直裁でもありません。恵まれた社会生活を送る円満な人格者の良質のジャズが素晴らしい事は論を待ちませんが、自業自得とは言え苦労続きで、その泥沼に花咲く一輪の花弁の見事さも、唾棄すべきではない筈です。単純ではないにしても、それぞれの事情に応じて紆余曲折があった上で、こういうことかな、という程のストレスの影響があったのかも知れません。だからそのジャズは素晴らしいんだとは言いませんが、逆に、だからと言って、聴くに値しないとも思いません。

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