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植草甚一叔父さん
ジャズとPornography
  • 植草甚一さんの沢山あるエッセィでのジャズとPornographyの取り扱いには共通点を感じる、と言うお話です。
    植草甚一叔父さん
  • 植草甚一さんは日本橋小網町の木綿問屋「松甚」の若旦那になる筈が、それを嫌って後継ぎを他に譲られ、映画配給会社の東和に入られて、映画、文学、ジャズ等に健筆を振るわれた方です。ある意味で、ウェスタン日本支社で技術者として名をなされ、真空管アンプの鬼となられた伊藤喜多男さんと似た自由人で、年配も似たようなものですから昔気質の気風の良さも残っていた方たちです。両氏共に今はもう亡くなられております。植草さんのジャズのコレクションはタモリが引き取ったと聴きました。
    植草甚一さんのエッセイ
  • 「雨降りだから、ジャズの勉強をしてみよう、、」というような標題や書き出しで、そのお年からは考えにくい口語体の文章は、思わず惹き込まれる魅力が一杯でした。映画の友、マンハント(ハードボイルド小説誌)、SJ誌等に多くの記事を書かれましたし、一時は月刊「宝島」の頼まれ編集長もされました。ジャズでも、SJ誌等は内容も無いのに、勿体ぶった記事が目立つ中で、既成評論が見逃していた重要な論点を、ド素人を装いながらえぐり出した文章は実に痛快でした。ある時急にジャズに入れ込んで、既に老年と言える年配ながら最初の年に数百時間もジャズを聴き狂った、という逸話も納得できる熱っぽさがありました。当時のジャズはフリーなども盛んな時期で、例の鍵○さんという大学教授などの参入などもあって、異分野からの眼でジャズを見ようという趣向も時代の流れでした。その大学教授などと違い、植草さんは「楽し系のジャズ」も「勉強する」余裕も見せましたが、どちらかと言うと未踏領域に挑むジャズがお好きだったようです。ジャズを頭ではなく、ハートで聴いたことが良く分かる「自分の言葉」で書かれたエッセイは、非常な人気を勝ち得たのでした。得意のネタは、モンク、ミンガス等の一寸変わった味のジャズメンで、「そういうジャズが好きなんだよなぁ」という気持ちが直に伝わる良い文章でした。ジャズ自体、及びそれをめぐる欧米の雑誌記事の紹介を巧く組み合わせて、ジャズに対する思い入れを語る方でした。既成の評論家は植草さんの人気を妬み、「雑誌記事の引用で字数を稼ぎやがって、、、」等と、悪口を言っていましたが、Nelsonから見れば、それ以前にジャズに対する切り口、視点で負けていたのです。
    植草甚一さんとPornography
  • 一方、植草甚一さんはその年齢からして和魂洋才の素地がある方で、フランス語の雑誌など読めないNelson等は、色んな芸術分野の動向の紹介記事は夢中になって読みました。その仏語素養のなせる業か、古本屋を「ふるぼんや」と発音されていたと聞きます。それらの文章は、今も適宜纏められており、書店または「ふるぼんや」で入手可能ですから、少なくとも立ち読みの価値はあります。植草さんらしい話題の一つに、他の人があまり書かなかったPornographyの世界への誘いがありました。当時は、「キャンディ」、「ロリータ」などが翻訳され、ベストセラーになった時期で、どちらかというとそれまで「好色文学」として闇の世界の、あるいは背徳的な読み物として取り扱われてきたPornographyに、文学としての意義を認めようとする動きの真っ最中でした。先ずHenry Millerによる「北回帰線」などの連作が、良質の文学として認識されかけていましたし、ジャン・ジュネ等の著作をいち早く取り上げて、パリでも地下出版に近い形で発行されてきたOlympia Pressの諸作が持つ奇妙な味が、市民権を得始めていました。
    文学としてのPornography
  • Pornographyは、言うまでもなく人間の原初的な欲望を巡る人間模様を描くものであり、恐らく旧約聖書のオナン絡みの記述を源流として、最も古くからある読み物形態です。宗教的にも社会的にも、そういう欲望を抑制する事が求められてきた歴史の流れの中で、20世紀も後半になって、そういう欲望の発現において浮上してくる赤裸々な人間の姿を、読み物ではなく文学として真面目に捉える動きが活発化します。かって、「主義」、「犯罪」、「男色」がそうであったように、原発的な意識の有りようを巡る懊悩と飽くなき探求の中に、人間らしさを見ようとする文学者が多く現れます。既成の道徳、戒律と湧き上がる欲望との矛盾において、更に追及を続けるのか、それとも常識に従うのかが私的な課題であるときに、欲望の実現に全てを捧げるPornographyの主人公の奔放さに、人々は惹かれたのです。(先日もOscar Wildeが世間の常識と苦闘する姿を描いた映画がNHK/BSで放映されましたが、非常に印象的でした)
    矩を超える
  • 名作(^^;)である「Enormous Bed」、「Chariot of Flesh」、「Loins of Amon」、「White Thighs」、「Who Pushed Paula」等の読み物が垣間見させてくれる異界は、「そんなアホな、何考えとるねん」と放擲するのは簡単です。しかしながら、頭を冷やして良く読んでみれば、正常と異常との狭間にあって、遂には、あるいは楽々と、生活者としての矩(のり)を超えてしまう程に人を突き動かす性的情動の偽らざる姿と、眩(まぶ)しさまでも伴った自由さが、溌剌と描写されています。この自由さに関する描写に、植草さんは、旧家を捨てた自らの自由人としての生き方とも通じるものを見出されたのでしょうか、Pornographyを実に優しいまなざしで見ておられました。その同じ優しさを以って植草さんは、ジャズについても語っておられたと思います。かけがえのない自由、という観点で60−70年代頃のジャズメンに引き寄せて考えると、世の中がコード進行のジャズで落ち着いているときに、オレの言いたいことはそういうんじゃないんだけどなぁ、と考えて、音の塊としての旋法あるいはモードでの演奏の展開を試みるとか、更にはそんな約束事全てを取り払ったフリーなジャズが有り得るのかやってみよう、とかいう選択を行う状況に譬えることができます。
    植草さんのジャズ
  • このように、植草さんは、そこに現れる人々の自由な振る舞いの見事さ、という観点でジャズを見、その模索の過程を楽しまれた方です。古くからのジャズの流れを余り崇め奉らないだけに、例え奇態な演奏であってもそれが「心を撃つ」のであれば、「それは、ボクにとって大事なジャズだ」、というけれん味の無い、しかし結構頑固な意見を開陳されていました。Nelsonを含む市井のジャズファンは、旧態依然たるJazz Greatsの逸話などで字数を稼いでいたジャズ評論家が、そういう視点からの植草さんの問いかけにオタオタする姿を面白がっていた、という記憶があります。人とおんなじことをなぞったように書く記事よりも、心に感じた直感的な物言いによる記事は、それまでのジャズ記事にはなかった視点で書かれており、その「、、、と感じたんだけどね」という直截な書き味は、実に痛快な読了感があって、当時の若者は揃って愛読したものです。

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