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不自由さから個性の輝きが浸み出す瞬間

  • 名のある建築家の処女作にして出世作が、実は、「狭い敷地、少ない予算」といった厳しい制約から生まれたんだ、という話はよく聞きます。目の前の無理難題に呻吟しつつ捻り出した、苦し紛れでもある弥縫(びほう)策が、結果的に見ると起死回生の妙案であった、、、という逸話には事欠きません。そこには、人知れず苦労したことと、(神の御業とも言える)巧まざる偶然との出会いがあり、その不思議さに人は撃たれるのでしょう。「禍福は、糾(あざな)える縄の如し」と言いますが、人間には災い転じて福となすような可能性があるようです。
    能、狂言、文楽、歌舞伎、、、
  • 定法というか、決まり事が何よりも重んぜられる伝統芸術にも、制約というか、約束事が目立ちます。しかしここでも再び、、その制約を逆手にでも取ったかのように、恋に焦がれる懊悩が、表情などある筈がない仮面からにじみ出てくるのを、あまり見巧者ではないNelsonなどでも、何度も目撃しています。地の語りと人形の仕草の絶妙な暗合、憤怒の心を見事にシンボル化した大見得、、、なども制約を軽々と乗り越えさせる仕掛けでしょう。
  • むろん、「もっと自由に、、、」と思った役者も居たわけで、その時々の名人上手が、新手法を携えたり、他分野と手を組んだりした「新作」に挑むことがあります。それはそれで、話題になりはしますが、年月をかけて練りに練られた(陳腐な筈の)「旧作」程に心を撃たないということも、ありがちです。
    本線モダンジャズ
  • ブルージーでスィングする本線ジャズも、コード進行準拠とか、フロントとリズム・セクションの役割とか、取り上げるのは主にオリジナルとジャズ・スタンダードとか、、、と制約があります。それだけガンジガラメなんだったら、「新味が無いし、誰がやっても同じだろうに。」と早呑み込みというか、早合点されて、唾棄される方も多いようです。しかし、Stan Getz、Zoot Sims、Sonny Stitt、Milt Jackson等々の名人上手と言われるジャズメンが、「まだまだ、やるべきことはある。我々は、バードを超えていない」と挑んだ本線ジャズを聴くと、そんな制約なんぞ、どこ吹く風とばかりに、才気溢れる演奏を聴かせてくれていて、こんな風な解釈があるんだと感嘆させられることが多いのが、不思議です
    フリーだって、ファンクだって
  • こういうことは、本線モダンジャズに限ったことではありません。Nelsonは、フリーやファンクの良い聴き手ではないので、ピッタリの説明はできないので遠慮しておきますが、そっち方面でも、「うん、うん、コレだよ。」と感じるジャズは一杯あります。
    自分に誠実にジャズに立ち向かうこと
  • 大事なことは、本線ジャズであれ、フリーであれ、それが自分の言いたいことなのであれば、それを正直にジャズとして表現することでしょうし、我々が聴きたいのは、個別のスタイルなのではなく、その人の人と成りの赤裸々な発現です。その表現のスタイルにあまりこだわり過ぎると、横道に逸れてしまいます。ここでも、人間性は、どんな制約をも乗り越えて、自ずから滲み出るものだという理解というか、信頼が大切です。
    不自由さから個性の輝きが浸み出す瞬間
  • この、不自由さと言って悪ければ、約束事と言っても良いのだと思いますが、それを抜け出て輝くその人の個性、、、それを我々は何よりも聴きたいのであって、その表現スタイルがフリーであろうが、無かろうが、その輝きの前では、どうでも良いことです。Nelsonは、一番自分にしっくり来る本線モダンジャズを、日夜聴き続けていますが、聴くべきはそのジャズメンの個性の発露なのだ、ということを忘れることはありません。

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