Keith Jarrett、降りしきる雨、そして伊藤左千夫
- Keith Jarrettの新録音、「Up for It」を、発売日の前日にゲットして、帰宅後に聴いていくと、「なるほどなぁ」と感じ入る出来事がありました。
Keith本人のノート
- 本人がライナー・ノートを書いており、仏ジュアン・レ・パンにおける夏のジャズ・フェスでの出演当日のことが特記されていました。ここには、Charles Lloyd Quartetでの初出演が66年、自己名義での初お目見えは1974年で、もう13回以上も出ているんだそうです。そこから先は、メモに沿って行くと、以下のような悪条件下での演奏だったようです、、、
もぉ、やだョ
- 「当地近辺は、少し前から季節外れの荒天で、連日の雨です。降り止まないし、ジトジトするしで、3人とも、何だか出演に気が進まないようです。ボクが57歳、Garyが67歳そしてJackが59歳。それぞれが何かの不調を抱えていて、「ドシャブリの中で、喜んでもらえるような演奏が出来るかなぁ」という感じでした。会場に向かう車の中も、何か乗らない雰囲気です。控えの部屋で、皆にどうするか聴きましたが、「これじゃァ、やれないな」という返事です。会場に着いてしまっているので、ジャーマネが、「そろそろ結論を出してくれ」と頼んでいます。売り手市場の大物トリオ側からの契約条件として、「天候等の悪条件の下では、ジャズメン側の判断でのキャンセルが可能」という条項が、入れてあったようです。「ドタキャンあり」という含みでここまで来たものの、もう結論は出さないと手遅れになります。その時、ふとボクはエスプレッソを頼み、海に面したデッキに椅子を持ち出しました。それを待っている時に、偶然なのでしょう、一瞬のことですが、沈む夕陽がヒョッと顔を出し、直ぐにまた雲間に隠れました。(雲の後ろでは、お日様が光っている。) それが、すべてを変えてしまいました。何か感じるところがあり、「ぼく達には、治療が必要だ。今必要なのは、音楽だ」と決断し、そう決めました。ボクがゴー・サインを出して、舞台に向かったのですが、不慣れな豪雨に対する主催者側の対応が不十分です。雨除けのビニールからはしずくが洩ります。雨の会場から動かせなかったピアノの音も湿っていて、良くありません。冷えが体にこたえるGaryの居場所は、特に雨漏りがひどいみたいです。手早くサウンド・チェックをしたものの、雨がますますひどくなってきます、、、、」
、、、にもかかわらず
- 「ポロン、ポロンと音を出していると、こんな悪条件にもかかわらず、突然、何か変化が起き始めました。ボクが顔を上げると、GaryとJackがニッコリとしているじゃないですか。瞬く間に、我々はハマッてしまっていました(We were "in the zone")。こうなればもう、止まりません。さっきの夕陽の輝きのように、雲の後ろには太陽があるサ、です。こんなふうに障害を乗り越えて行くのは、年の功なのか、それとも音楽への内からの欲求なのか、、、そんなことで出来上がった録音ですが、これをそのまま、20年以上にもわたってサポートして来てくれたファンに届けたい。舞台上でジャズがやれるのであれば、他には何も要らない。我が家に居るようなもんだから、、、」
(、、、というのが、キースの自筆メモの概要です。「やりたくないなぁ」と感じ、口に出していながらも。ピアノの音を聞いてると、「ここはこう付けると面白いなぁ」とか、ジャズ屋の性(さが)でしょうか、自分の楽器でも音を出し始めてしまうものなんですねぇ。皆、色々ある中で、ジャズ稼業をやっているということでしょうか。「やっぱ、好きだからジャズをやっているんだなぁ」と納得です)
池水は濁りににごり、、、
- 話がガラッと変わりますが、伊藤左千夫の短歌に
池水は濁りににごり 藤なみの影もうつらず 雨ふりしきる という名歌があります。左千夫が、雨に煙る亀戸天神の藤の花を読んだものです。写生ではありますが、この時点で、左千夫の眼には水に映える藤の花は、見えていません。それ以前の晴れた日に見た、池越しの藤の花が水にきれいに映えている情景を想い起しつつ、「今はそれが見えないなぁ、藤もきれいな所を人に見て欲しいだろうなぁ」という情感を込めています。写生から、感情が溢れ出てしまう、それが短歌の素晴らしさです。不快な雨のなかで際立つ藤の美、ちょっと違うかも知れませんが、「不昧公のキレイさび」の情景に見えました。濡れそぼってしまった裾を気にしながら、もっと言えば、じめつく不快感の中でも、歌人にはこういう歌を読み上げてしまう業(ごう)というか、性根があります。降りしきる雨も、歌人の創作意欲まで湿らせることはできなかったようです。まぁ、あの自殺した某小説家と結び付けられることの多い歌ですが、この歌に罪はありません。歌は、歌自体で鑑賞するものでしょう。
例によって飛躍すると(^^;
- 悪天候の中で、サウンド・チェックで音を出し始めたのを契機に、この盤の、例えば「My Funny Valentine」のような素晴らしい演奏をする羽目になってしまうジャズメンと、降りしきる雨に滅入りがちになりながらも、濁る池と藤の花との対比を切り取って名歌を作ってしまう歌人と。同じ「降りつのる雨」を相手にしたとはいえ、別の分野の芸術家の対応です。しかし、Nelsonは、両者の対応に、違いよりも共通点を強く感じざるを得ません。この両者は、自分をかけた芸術への精進と、その芸術に絡めとられてのこととはいえ、つい本気を出してしまう業(ごう)とにおいて、間違い無く通底しています。
こいつら、ホンマに好きなんやなぁ
- 演奏してくれているジャズメン、この場合ではKeith Jarrett、Gary PeacockそしてJack DeJohnetteが、体調や悪天候などが色々とあった上で、ここまで本気になってるんですから、聴く方も心して聴かないと、それこそ「罰(バチ)、当るでェ。」、というものです。
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