「昔カートリッジ、今ケーブル」
- 「好きな音」というとはばかりがあるのであれば、「良い音」でもいいんですが、その小道具のキモは「昔カートリッジ、今ケーブル」なんて感じが、何だかするなぁ、というお話です。
五味さんの主張
- 五味さんは、ブラームスやワグナー等をマッキンの275で、タンノィのオートグラフを鳴らす毎日でした。ある時、EMTのカートリッジを聴かれたようです。これは、ドイツのプロ・オーディオのブランドです。そこは、原盤カッティング用の機器も作っており、その原盤検聴用にカートリッジを作っていて、市販もしています。今でも、特にアジアの一部に熱烈なファンがいるカートリッジです。五味さんは、そのEMTのカートリッジの音を聴いて驚嘆されたようです。EMTは、他の製品のような優れた特性は持っていないけれども、「音楽として美しい」音がすると感じられたようなのです。同じ盤が、たとえばサテンや、シュアとは違う音楽を奏でていたようで、その音のたたずまいに感じ入られたようです。そして、五味さんらしく「カートリッジなんかで音が変わるもんか」という人を一刀両断しておられます。そして、卑近な例として、「4kHzのピアノの音が実際に違う。その一音が出ることだけに狂喜するファンが居る」と述べておられます。五味さんは、こういうファンの心情に暖かい視線を送るかのような書き方が、商売柄巧いのです。こういうクスグリは五味さんの手管の一つとわかっていても、実にアジ効果がありますネ。また、返す刀で「4万ヘルツまで再生できるというカートリッジ」の問題も採り上げています。まず、「15kHz以上は聴こえる筈が無いから、無意味だ。」という理論派には異論があるようで、「実際に音楽を聴けば、そこはかとない雰囲気の差があるじゃないか」と実感の大事さを指摘しています。また逆に、EMTのようなナロゥ・レンジのカートリッジにも捨てがたい魅力があることを指摘して、再生帯域やダイナミック・レンジの優秀さ一辺倒もどうか、と書かれています。そしてその背景にある「最新の科学・技術の成果」とは何なんだと、警鐘を鳴らしてもいます。
カートリッジ
- 五味さんが健筆を振るわれた時代は、ソースがアナログでしたから、入力の初っ端にあるカートリッジは、システムの再生音に大きな影響を与えるものであり、「これで音が決まる」と言って、皆が好みの音を出すカートリッジ探しに専念したものでした。一関ベィシーは、「替え針が10個に9個は使い物にならないけど、シュアのType III一本槍で」という路線のようです。ちなみに、Nelsonの好みは、サテンそしてEntreeでした。今でもアナログだけで事が済むファンも居られるようで、Roksan、Lin、光悦等を比較試聴する、濃い世界が残っているようです。まぁ、アナログは聴くのに一定の手順が必要とされるので、その手順を追いつつ、聴く盤の世界にゆっくりと入って行くというのが、魅力でもあります。それを、「手間がかかる」といって切り捨てるか、「じっくりと聴けて良い」と感じるかは、人それぞれでしょう。別に仕事じゃぁないンだから、次々と効率的に聴けることが、ジャズを聴くのに決定的とは思えませんが、、、
ケーブル
- 五味さんの書かれたことや、昨今のメディアの記事を見ていると、上記のカートリッジに関わるお話がケーブルの話とどうも似ている気がしてきました。上記の「カートリッジなんかで音が変わるもんか」という(1960年代の)言説は、そのまま、「ケーブルなんかで音が変わるもんか」と(40年後の現在では)置き換えられることに、お気付きの方も多かったはずです。実際にも、「カートリッジやケーブルによって、音が変わる。」のは事実で、好きな音で聴きたいという欲求の強い人は、昔はカートリッジの選択に、今はケーブルの選択に大いに迷っているとも思えます。これ、即ち、「昔カートリッジ、今ケーブル」に他なりません。カートリッジの場合は、起電方式、アームとの相性、針圧等が音に効いてきます。しかし、ケーブルの方が、素材、縒り方、被覆、接続端子と悩む要素が多くて、その上に外観の色め等まで気にするとすれば、電線マンさんは日夜悩み苦しんでおられる筈です。
いじりやすさ
- どうもこの辺は、いじりやすさとも関係してる気がします。カートリッジは、買うお金さえあれば、後はシェルに取り付け、針圧を調整する位で、品定めは簡単です。アナログ時代のカートリッジは、高くても2、3万円でしたから、まぁ、何とかなるお金で、今の20万円くらいは当たり前という世界とはちょっと違っていました。ケーブルは、昔は並行ケーブル、同軸もの、いずれも品数はそれほどなかったですし、値段も数千円でした。今は百花繚乱、ハイエンドなら数十万円は驚くに足らず、百万円を超えるものまであります。「ヒャッ、ヒャクマンエンッ、、、」等と驚いていたら、店員に馬鹿にされかねません。まぁ、それにしても、この両者共に、交換が比較的容易です。簡単に結果が出るのが、「昔カートリッジ、今ケーブル」の一因かも知れません。一番大事だ、と言われて久しい「部屋」の問題なんかを記事にした日には、「コンニャロウゥ、都心のマンションがいくらすると思ってんだ。」と反感を買いますから、鬼門なのかも知れません。でもケーブルならば設置できないなんてことはありませんから、読者から怒鳴り込まれる心配はありませんからねぇ。
ということで
- 「オーディオは、何をいじっても、音が変わる。」という世界ですから、五味さんがカートリッジの大事さを採り上げられたのは当然ですが、それが30年も前のことでしたから、当時はそれなりの見識でした。
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