JBL L200 Studio Master (2)
- 「L200 Studio Master」は、一人で動かせる限界だったというお話です
私事ながら、、、
- 「L200 Studio Master」の60キロという重量は、実は一人で扱える限界の重さに近いものです。少し前に手に入れた時には、拙宅の2階まで一人で持ち上げるのに、一苦労しました。傷を付けないように、下半分にエアー・キャップを巻き付けておいて、階段の一段ごとに休んで、呼吸を整えつつの荷上げでした。しかし、まぁ、少し手間取りはしたものの、丸っきり不可能ではない、丁度ギリギリの重さだと思い知りました。オーディオも、一人で扱える規模、重量でないと、何か気になる音がした時に直ぐに手を入れることが出来ずに、隔靴掻痒の思いをしてしまいます。アンプやADPでも、30キロくらいが一人で扱える限度でしょうから、それ以上の重さのものは、おのずと選択範囲から外れます。
額縁
- 外観から推察できるように、この製品はバッフルが額縁になって居ます。つまり、機器の前面から、バッフルが数センチ引っ込んでいるのです。これは恐らく、その原型のプロ用モニター「4320」シリーズが部分額縁式であったことの名残でしょう。この額縁は、「4330」シリーズ以降は採用されていません。この額縁部分は、誇張して言えば空洞を形成していますから、何がしかの共鳴を伴う筈で、本来は回避すべきなのでしょうが、この時期はそれも含めての音作りしていたと推測されます。額縁の上半分にスリットを入れ、そこにネットを張っているのが左掲の写真から見て取れますが、上半分にある高音部ホーンの音を調整する工夫とも思えます。
「L200」と「L200B」
- 1972年に発売され始めた「L200」は、1975年には「L200B」にモデルチェンジされてしまい、発売期間は長くありませんでした。新発売の「L200B」は、「L200」と外観がほぼ同じで、銘板でも見ない限り、区別はなかなか付きません。変更内容は、(1)ウーファーと(2)ホーンの2か所です。先ず、ウーファーの「LE15B」が、その後の主流である「136A」に変わりました。さらにホーンも、奥行きが深くって、低い周波数から使える「HL92」に変えて、クロスオーヴァー周波数を800Hzにまで下げています。「136A」は、ロックなどの兇悪な低音に対応すべく開発された、悪名高きマス・コントロール・リング付きのウーファーです。これは、130A系のウーファーを土台にして、ヴォイスコイルに数十グラムの金属リングを抱かせたものです。この質量増加により、最低共振周波数が劇的に低下しました。そしてそれと引き換えに、よく弾む低音をあきらめて、ドンヨリとしてはいても、量的に豊かな低音で我慢する路線です。一聴、低音がもりもり出ているようですが、立ち上がり・立下りの悪い低音で、好き嫌いがあります。この「136A」は、「L200B」と同時期に発売された「L300」でも採用されており、そこでは「077(2405相当)」を加えた3ウェイに、システムを発展させています。Nelsonは、136Aというか、プロ用では2235に当たる機種ですが、これがキライですから、これが世にはびこり始めた頃から、JBLへの興味を失っていきました。ホーンが「HL91」から「HL92」に代って、奥行きが長くなりましたので、従来の箱のままでは収まりません。裏バッフルに穴を開けて、外からもう一枚貼り付けることによって、板厚分だけ奥行きを稼ぎ、ドライバーの重量支持も同時に行うようにしたようです。
「Professional Series」
- 「Paragon」や「Olympus」で一世を風靡したJBLは、1970年代に入って、AltecやTannoyの牙城であったプロ用モニターの市場に満を持して参入しました。その辺は「L200」の誕生とも関係しますので、次項で整理します。
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