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田村翼の人とその周辺
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- 一時、ミニ追っかけをさせてもらった田村翼の姿は、以下のようです。
誕生
- 田村翼は、1940年5月26日に和歌山市に生まれた関西人です。声楽をやる気があったらしく、クラシックを勉強後に、大阪音楽大学で作曲科に入り、指揮者の勉強もしていたという。声楽をやっていたこともあり、タンゴのバンドで歌をやっていたがものにならず、何か他に出来ないの、と言われてピアノなら、といった時期もあったらしい。ジャズの9ピース・バンドでバイトしていた頃に、人の忘れていった盤「Bags Opus/Milt Jackson」を拾い、Tommy FlanaganのWhisper Notにおけるアドリブが気に入った。その後、Back Coutry Suite/Mose Allison, Plus Four/Sonny Rollin等を手に入れたが、なかなかモダンジャズは難しかったと言う。そして、在学中に、自己のジャズ・グループを作っている。
デビュー前後
- 63年に大学中退後、沖至等とプロ活動を始めたが、主としてピアノトリオで北の新地の高級クラブなどで演奏していたという。そんなことで、直ぐに、当時としては有名な歌手であった故・武井義明が田村の才能に気づき、上京させた。この後間をおかずに、同僚の沖至、池田芳夫も上京している。武井の歌伴を3年ほどをやりつつ、ラジオ、テレビで仕事をしていた。この頃に、銀座のギャラリー8でライヴを盛んにやっていたという記録がある。65年にHerbie Mannが来日し、この興業を主催したAll Art Promotionの石塚氏(トリオやTBMに録音のある歌姫峰純子の夫君)が、かねてから目をつけていた田村に声を掛けた。そしてJimmy Owens, Reggie Workman等とともに、田村はその全国ツアーに参加した。翌年、在京3年で、事情があって大阪に活動の拠点を移した田村は、その後10年近く、近辺のホテル、クラブで活動した。この間、来阪したArt Blakey, Jimmy Cobb, Harold Jones, Freddie Green, Bill Hardman, Johny Coles, Blue Mitchell, Sarah Vaughan等とのセッションを経験している。その後、Art BlakeyのJazz Messengersの日本公演で、トラに入ったり、上京してラジオ、ライブハウスで活躍したり、全国ツアーをしたり、結構名を知られるようになった。プロの間での田村に対する認識は依然として高く、関西でもベースの宮本氏とデュオを組んで演奏活動を盛んに行っていた。
本格的なリーダー盤
- 1977年に再度意を決して上京した田村は37歳になっており、旧友の池田、岡山らと組んだトリオは、東京のライヴ・シーンで注目された。やっと遅咲きのデビュー盤がトリオから発表されることになり、表題を敬愛するHawesにちなむBallad for Hampとした。この人の盤を発売する企画をしたのが、当時トリオ・レコードで事業部長をやっていた藤井、編成をやっていた前田の両氏であり、その後も一貫してこの姿勢を取り続けた慧眼に敬意を表したい。この盤の解説では、名古屋の名物男で、お医者さんのドクトル内田が、「、、、とあるジャズ喫茶で、「田村翼出演」と張り紙してあるのを見たら、ためらうことなく、お入りなさい。きっと、その夜の酒はおいしいですよ。」と特記して絶賛したことは有名である。
そして、Sweet AMAMI、Blue Wing
- 78年には、Barney Kessellのバンドで全国ツアーし、翌79年には次のアルバム、Jazz Prestigeを出した。この時付き合ったのが前記石塚さんの主催興業であるMonty Alexanderの来日公演で来ていたAndrew Simpkins, Frank Gantであり、それもあってこの盤は石塚さんが制作に当たっている。同じ年には、Red Mitchell, Donald Baileyの共演を得て、3枚目に当たるYou and Meを録音した。この時期、Red Mitchellは長期滞日しており、Contemporaryの名盤でHampton Hawesとの付き合いが長かっただけに、偶然ライヴでの田村のピアノを聞いて即、共演する気になったという。80年には全国ツアーを行ったが、7月末からは西日本ツアーとなり、岡山から九州に渡って水俣まで行き、徳之島、奄美と来たところで、名瀬市では中央公民館が札止めとなった。その大いに気に入った奄美大島でのライヴがマニアにより録音され、これが後に発売されることになった盤がSweet AMAMIである。81年にはSonny Stittの来日公演に付き合っており、また、5枚目に当たるBlue Wingが出た。これは、Jazz Prestigeで気が合うことが分かっていたAndrew Simpkinsが、たまたまSarah Vaughanの公演で来日していた機会を捉えた録音である。82年には、別府国際ジャズ祭で、Paquito Deriverraと共演している。
途絶えた消息
- その後、実は仕事が忙しかったせいもあり、Nelsonはこの人の消息を聞かなくなるのですが、ジャズ界全体でも報告が希であったようでもあり、記録としては90年代始めに、六本木でハウス・トリオをしていた、とされている。
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活動再開、そして、、、
- というところに、急に、でもないか、でも12年のブランクを置いて、93年にソロ・アルバムLove Balladsが発表された。ソロという田村としては珍しいセッティングながら、活動再開を象徴する好演盤であり、これを持って全国を回ろうという狙いであったという。その後、名古屋でのライヴの録音Sweet and Lovelyが出たが、これは今までどおりのトリオ構成のもので、再起後の気力の充実を如実に物語る好演盤です。特に、ビリー・ホリディのメドレィが素晴らしい。恐らく、(現時点で)彼の最後の録音(1995)となったのが、次に出されたHere at last(「さぁ、遂にやりました」とでも訳すか)と「旅立ち」Departureです。Here at lastでは田村が「長年共演したかった。」、というアルトの五十嵐と、もう一人ギターの名手小西をフロントに迎えた、彼としては唯一のコンボでの録音となっている。ここに示された円熟の境地は、そこいら辺のプロでは真似の出来ない上質で、寛いだものであった。「旅立ち」Departureのほうは、久留米でのトリオライブで、最近ご親族の方から恵贈を受けて、その出来の良さにびっくりしました。
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