「Willow Weep for Me/ Dexter Gordon」(2):家でジャムってるんかよぉ・・・
- 「Willow Weep for Me/ Dexter Gordon」が、旧友再会を際立たせるような良い演奏になったことは、前回のメモで述べました。そこで忘れてならないのが、各人の演奏、特に各アドリブの繋がりの良さです。ジャズにおけるアドリブは、曲の一番大事なアンコであり、テーマ旋律とそのコード進行から浮かんだフレーズが何コーラスも繰り返されます。だから、テーマの解決感に似た音群が使われることになり、それを以て次のジャズメンにアドリブを受け渡す合図とするのが常です。ここでは、その部分だけを見直してみます。
受け渡し
- 先ずはテナーからピアノへの受け渡しですが、自分のアドリブを終えて、ピアノにアドリブを渡す時には、ただ目配せをするだけではありません。
コーラスの終わりが近づいたことを示すように、主和音を使った完全解決こそしませんが、半解決というか不完全解決で「終わりに近いけど、演奏自体はまだ終わりじゃないよ」というコードの構成音の並びでフレーズを作っていきます。テナーのフレーズを聴いているだけでも、テナーがピアノに目配せをしている音群の肌合いが伝わってきます。
- ライブだと、「このアドリブ、良いよなぁ・・・」と思っても、アドリブ中の声掛けや拍手は遠慮しなきゃなりません。ですから、ソロイストのフレーズに解決感を感じると、テーブルにグラスを戻して拍手する準備をして、アドリブの受け渡しが終わって、次のジャズメンがアドリブを始めるのを見て、辺りを見回しながらサッと拍手するのが、聴き好者です。歌舞伎でも、看板役者がミエを切るのを見た時や、船乗り込みの時などに、「よぉっ、成駒屋っ・・・」と大向こうの掛け声が入りますが、あの掛け声のタイミングには、あだや疎かなものではない見切りが要ります。玄人のお客さんならではの、場の雰囲気盛り上げの一つの趣向であり、素人の声掛けは控えるべきです。
- その後ピアノの小気味よいアドリブがあり、ピアニストも同様に、「ヘッド・アレンジで伝えられている通りだと、次はベースだ。」と思い出して、ベーシストの顔をチラッと見てから、
矢張り半解決気味の弾奏でアドリブを渡します。バドもここでは、下降音群によって疑似解決感を出しつつ、ベースにアドリブを受け渡しています。この辺の手慣れた展開は、気の合った仲間達と誰かの家で寛ぎながらジャムっているって感じが出まくりです。
- そしてこのトラックの場合、アドリブはベースの次にドラムスには行かずに、それで終わりに向かい、テナーによる後テーマ提示になります。そこでちょっと小細工がしてあり、
お聴きの通りに、ベースにはコーラスの最後までピチカートさせずに、Bメロのサビの所でテナーが前面に出てきています。だからベースはアドリブを解決させることないままに、リーダー格のテナーに受け渡しています。
- こういうこともアリであり、その辺は演奏直前のヘッド・アレンジで指示されています。またコレは録音セッションですから、大雑把に全部で何コーラスやるから演奏時間は何分くらいになる・・・とリーダーは制作者に了解を取ってある訳です。
- このトラックでのアドリブの受け渡しが実にスムーズなことに気付いたので、練達のジャズメンならではのアドリブの係り受けについて触れてみました。
- こういった例は、ブラウニーやスティットと言った本線モダンジャズを代表するようなジャズメンの演奏なら、いくつも例があることです。時には、前の人の最後のフレーズをそのまま自分のアドリブの出だしでなぞっておいてから、やおら自分のアドリブに入る、と言った例も良くあります。つまり、「お前、今こう言ったよね。でも、そんな風に言うんだったら、こうも言えるんじゃないかい。」てな感じです。
- 「曲の最後と最初じゃコードが違うから、それはダメだろうよ。」と思われるかも知れませんが、それは正しいようでいて、そうでもないのです。ジャズのアドリブはそれ程厳密なものではなく、むしろそのあいまいさが演奏を良くするという面もありますから、良いのです。丁度それの的確な例が今見当たりませんが、気が付き次第にそれもアップします。「それって、この演奏でやってることかい?」とお気づきの例があれば、ご教示くださると嬉しいです。
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