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「Four Women/ Nina Simone (2)」

  1. 本メモをアップするに当って参考になる動画は、持ち歌に人種・女性差別を唄った曲が少なくないニーナのオリジナルであり、かつファン以外の多くの人にも愛された曲なので、枚挙の暇がありません。その中に、この曲をニーナの娘さんがリードして、4人の女性ヴォーカリスト(奇しくもFour Womenとなっています)が参加して、彼女へのトリビュートの意味を込めて歌っている動画がアップされているのに気付きました。左からLizz Wright(1980)、Lisa Simone (1962 )、Angelique Kidjo (1960)、Dianne Reeves (1956)だと思えます。
  2. ヒット曲と言う範疇には入りませんが、巷間での支持の分厚さを反映して、アクセスが300万回に及ばんとする人気動画です。Lisaが音頭を取って1番の「サラおばさん」から唄い継いで行って、この中では一番名が売れているDianne Reevesがトリを取って、4番の「Peaches」を唄っています。女性4人でニーナを追悼する歌唱を捧げるフェミニスト動画が、他にもいくつかありますね。
  3. ニーナは、「High Priestess Of Soulという呼称を貰ってファン層も厚くなってきた頃に、2番目の夫Andyと再婚し、彼がジャーマネも兼務するようになりました。Andyはハレム在住であり、界隈ではブイブイ言わせていたこともあったんでしょうか、ニーナが夢にまで見たカーネギー・ホール公演を実現してやり、自身で作ったレーベルからレコードを出したりした頃の、寛いだ様子が右のように残っています。
  4. しかし(「Andy Stroud」で辿れるサイトを見れば判るのですが)、暫くすると夫のDVが激しくなって離婚し、ニーナは夫婦間の娘のLisaを連れて、知己を頼って欧州、南米、アフリカを転々とし、そのままフランスに定住しました。
  5. (Lisaの話では)ニーナはこの頃から情緒不安定となり、感情の揺れ幅が大きくなったのに耐えられずに、Lisaは母の元を飛び出しました。米国に戻って空軍に入隊した彼女は、軍務で韓国、西独等に駐在した後、名誉除隊をすると芸能界に入りました。実名のStroud姓を捨て、母の姓を貰ってデビューしたLisaは、ヴォーカリストとして認められて、来日もしています。
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