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McCoy Tyner (2)

  • McCoy Tynerに関するメモの後篇です。前編の(1)はこちらにあります。
    この後編では、87歳の2006年頃に受けたインタビューの概要を紹介します。
  • M:「ピアノの練習は、ママがやっていた美容室の店内でやることが多かったなぁ。我が家は住宅兼店舗だったから、皆が集まって来てジャズを練習出来る程に大きいスペースと言えば、ママが仕事をしている美容室のスペース以外に場所が無かったのさ。当然ながら、同じ部屋の中にパーマをかけているお客さんが居るわけでね。僕たちが練習を始めても、お客さん達はドライヤーのお釜をかぶったりしていて、中には足でリズムを取っていた人も居たっけね。・・・
  • 「僕が通っていたのは西Philadelphia高校で、校内のジャズ仲間でセプテット(7人編成のコンボ)を作って、市内の色んな所で演奏させて貰っていた。その頃に影響を受けた先人は、やっぱMonkが一番だったけど、無論Bud Powellも良かったな。彼の弟のRichieがPhillyに住んでたんだよ。Budは、天才に有り勝ちなことだけど神経質で、誰かが面倒を見てやらないとイケナイ感じだったね・・・この二人のピアノを聴いて、McCoyは左手の使い方の大事さに気付き、元来左利きだったこともあって、その後の彼独特のスタイルを編み出す切っ掛けになったとインタビューで語っている。
  • 「Coltraneは、僕と同じくPhillyの出で、マイルス・クインテットでの演奏はよく聴いていた。ある時、彼がギグしている場に居合わせたことがあった。バンドの休憩時に、客席にいた僕の傍に寄って来て、彼が「今はこうしているけど、いずれは自分のバンドを持ちたいんだ。その時はどうだい、ピアノを弾いてくれないか?」と言ってきたんだ。僕は、「それ以上言う必要はないよ。(Say no more.)」と答えたね・・・
  • 「Coltraneは先生みたいな感じだったけど・・・でも、何をしろとか、どう演奏しろとかなんて言わなかったな。その点、Golsonは、物事を口で説明する方だった。「至上の愛」は、最初はあんなに長い演奏に仕上がるとは思わなかった。Johnはただ、これはマイナー、メジャー、マイナーと進んで行くんだ、位しか言わなかったよ。一晩で録音し終えたんだけど、カルテットはElvinもJimmyも素晴らしい出来で、あの当時にあれほどの演奏が出来たのは我々だけだったと思うね。Johnが先導して演奏を進めていて、僕は彼に付いて行くので精一杯だったよ・・・
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