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MICHEL SARDABYの人とその周辺
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- 色んな所で調べましたが、どこにも公式バイオがありませんから、手探りです。
誕生
- MICHEL SARDABYは、1935年9月4日に、仏領西インド諸島にある「海外県」のマルティニック島の首府フォール・ド・フランスで、父Bernard Antony Isaac Sardabyの子として生まれた。マルティニックでは、いわゆるカリブ海の陽光溢れる環境において、フランス、米国の音楽を含む文化が土着のそれと融合して、独自の花を咲かせている。父は手広く商売をしており、宗主国フランスの文化も取り入れた、それなりに裕福といえる家庭であった。生家はカフェもしており、地元のミュジシアンが集まるところであったから、ミシェルが音楽に親しみやすい環境であったという。
渡米
- 1947年(12才)に、第2次世界大戦後の混乱の中で、ミシェルは渡米し、ニューヨークのロングアイランドで、少年時代及び青年時代を過ごすことになる。独学でピアノをマスターしたというが、確かに基礎的な、正統的な訓練を受けたというよりは、必要なことを身に付けたという感がある。
フランスへ
- その後に、ミシェルは故郷に大きい影響を持ち、文化的な繋がりも強いフランスへ渡る。そして60年代に入って米国から移住してきたDexter Gordon, Art Taylor, Chet Baker等との演奏活動をこなすようになっている。
録音活動
- そして別項にあるように、68年のFive Cats Bluesを皮切りに、多くはないが、着実な作品発表が始まる。この頃に、ディグの中平氏は既にパリでミシェルの演奏を聞き、写真も取っているというから、かなりのものである。また、この時期の70年前後に、美人歌手のクレモンティーヌにジャズピアノを教えていたという情報がソニーのHPにある。ちなみにクレモンティーヌの親父は、万余のジャズレコードのコレクションを持つジャズキチであるという。最初の3作はパリで録音されたが、次にニューヨークに乗り込んで、In New York他2作を吹き込む。ここまでが、Debsや、Mantraというマイナーレーベルである。その後、Harmonicというレーベルにパリ現代美術館でのライヴを2作入れている。
現在
- 何回か日本にも来て演奏しているし、その際に録音してもいる。現在までに発表された作品は恐らく12,3作と思う。若干、特異な人と見られており、KUDOさんのディスコグラフィーがある程度で、インターネットでの取り扱いも多くはない。
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