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「ふるさとは遠きにありて、、、」 : Tete Montoliuと板橋文夫のピアノ
Tete Montoliuの'Catalan Suite' from '
Tete a Tete/ Tete Montoliu Trio'
(Steeplechase SCCD 310549)を聴いてみると、、、
Tete Montoliuも「指力」では、板橋さんに負けない、精の強さを持っているピアニストです。'Catalan Suite'は、彼の名演の一つで、いつも「カタロニア人(Catalan)」であることを前面に出したこの人の根っ子とも言えるカタロニア古謡をアレンジした題材を料理しています。というと、「渡良瀬」、「利根」、「紙風船」等を採りあげた板橋さんと比較しようという狙いがお分かりでしょう。
しかしその比較が難しい。というのも、このスペイン、というと怒られるのか、カタロニア旋律は独特の、しかも強烈な体臭を伴っており、鼻が麻痺してしまって、当方の農耕・豆腐文化との比較は困難です。しかし、板橋さんの好物が足利納豆であるので、これに気を取り直して聞きなおして(^^;)みると、民族性に根ざした旋律を題材に、それを愛でながらもジャズのイディオムでそれを展開し、時にゆったりと、時に急速調で演奏を敷衍していくアプローチは、板橋さんと共通する狙いがあると感じます。
もうひとつ、これはこの次のDerek Smithにも言えることですが、TeteもDerekも、どうやら「細かいフレーズ」が好きなようです。板橋さんの場合は、無論時に細かいフレーズがこぼれますが、むしろ「大掴みなフレーズ」が身上であり、そのチョコマカしない悠揚とした音の流れが、「うねり」のように聞くものの体全体を強烈に揺さぶり、板橋ワールドへ拉致するという特徴があるという気がします。その間(ま)というか、ダイナミズムは、少なくともDerekにはなく、Teteにはかなりある、と思います。素人ゆえ巧く書けませんが、少なくとも聞いていてそう感じます。
それにしても、Tete Montoliuのスタイルには詠嘆はあるものの、則を超えない律儀さがあります。それに対比すると、板橋さんのスタイルは逸脱を敢えて回避はしない、という無頼の様相を伴います。例えば「ふるさと」への回帰においても、その底に流れるものは、本人にも説明できない、あるいは誰にも説明の要がない根源的な愛着であるような気がします。そして、それに立脚しながらも、現代の世界共通の文化であるジャズに身を投じた日本人演奏家として、土着と世界文化との乖離、融合、自己統一、母性回帰等のいずれにも安住せずに、日々新しいジャズの模索に向かう音楽家を生業(なりわい)として選び取っている姿に、我々は鼓舞されるのではないでしょうか。(かなり、筆が滑り始めました。要注意。)
ということで、これは使う音がまるっきり違うのでブライドフォールドテストでやっても、「板橋さんだ」という人など居ないでしょう。
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