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STEVE GROSSMANの人とその周辺
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- お分かりのように、Nelsonはこの人の後期、というか自己を確立した80年代中期以降の盤しか聞きませんし、持っていませんが、取りあえずバイオグラフィーは以下のとおり。
誕生
- STEVE GROSSMAN(実名)は、1951年1月18日に、ニューヨークのブルックリンで生まれた。8才で、アルトサックスの練習を始めており、その後ピッツバーグに一時転居したが、再びNYに戻り、15歳になるとソプラノサックスにも手を出し、16歳になったときに生涯の楽器となるテナーサックスに手を染める。
ニューヨークのクラブでの武者修業
- 10代後半には、ニューヨークにゴマンとあるクラブに出入りするようになり、名前も知られるようになった。この当時は、Gerorge Cables, Lenny White等とグループを組んでいたらしい。その頃一緒に仕事をしたことのあるジャズメンとしては、Kenny Dorham, Woody Shaw, Cedar Walton, Clarence Sharp, Wilbur Ware, Philly jo Jones, Jimmy Garisson, Charles Tolliver等がいるという。この時期に、最初の録音がある。
マイルスバンドへの参加
- 1969年に、一方でジュリアード音楽院に通いつつあった頃、マイルスのバンドからショーターが抜けたときに、この名誉ある席の後がまに座ったのが、グロスマンである。この時、弱冠18歳という若さで、結構キツイことを言われたらしい。非常に勉強になった1年だったそうであり、演奏音域の拡張、重音の活用、リズムの細分化、ピッチの自在な変幻、等を学んだと思われる。彼は、69年末から、70年の9月まで在籍したようである。その時期のマイルスのライヴでは、相当にアヴァンギャルドっぽいことをやっていたそうで、そこでもグロスマンの馬力が他を圧倒するようであったという。その後20歳になって、ロニー・リストン・スミスのバンドを経て、エルヴィンのグループに移り、名作ライトハウス・ライヴで限界を超えたかのような超絶的なソロを繰り広げて、人々の度肝を抜いた。そして、70年代の後半は、ジーン・パーラのStone Allianceグループにおいて活動した。その後、10年近くこの人も悪癖に悩まされて、体調不十分な時期が続き、公演もドタキャンが結構あったらしい。ここまでが、彼の前期に当たる。ここで落ちきってしまうのが普通だろうが、この人はそこから這い上がってくる。すなわち、80年代後半に入って、苦難の底から不死鳥のように復活し始める。その後は、Nelson好みのメインストリームのモダンジャズまっしぐら、の人となったのです。
演奏活動
- 十代で初録音があるらしいが、聞いていません。しかし、ニューヨークを中心に色んなメンバーで演奏活動をしていたようで、数枚の記録があります。そして、マイルスバンドに参加したわけですが、この時代には十枚近い録音に参加しています。退団後のいわゆる後期の録音は、エルヴィンとのライトハウスでのライヴ盤が有名ですし、これが皮切りとなっています。75年に菊池・日野の東風に客演して来日しており、そのときの録音があります。悪癖との戦いの中で、彼は世界中を旅して、多様なジャズメンと交流しています。特に、彼のスタイルは、テナー一本でどこへでも行き、地元のミュージシアンと他流試合をするというものであり、その中で自己の志向を確立していったようです。後期のメインストリームに立脚した演奏が評価されるようになったのは、80年代半ばからです。最初の頃の演奏は、Redと、日本のDIWが録音を続けています。同時に、86年には、11年ぶりの来日を果たして、多くの公演と録音をこなすなかで、理解者が増えて行ったようです。そして、90年代に入ると、彼に対する評価は確立し、さまざまなシーンで演奏を行うとともに、仏Dreyfusが専属にして録音が多く出てくるようになりました。
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