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テナーとしての特徴
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- フュージョン期のこの人のことは良く知りません。(そちら方面の話題は他のHPでどうぞ。)以下の記述は、後期のメインストリーム志向になってからのことです。
ロリンズ系の豪放なサウンド
- この人のようなビッグサウンドでいて、歯切れが良く、朗々と楽器を鳴らす、といえば簡単には「ロリンズ系」ということになります。楽器をフルに鳴らしきる中に、ダーティーな単音、重音が紛れ込み、時に見せる「初めは処女のごとく、終わりは脱兎のごとく」に近い高調への持って行き方は、手に汗握る快感があります。しかし、この人は決して亜流のロリンズに止まってはいません。ロリンズにない、暗さ、というよりも重厚さと言える深さがあります。ちょっと誤解を恐れずに勇み足をしてみると、「この人はロリンズができなかった、あるいは失敗したに近いトレーン系の演奏方法の消化がちゃんとできている。」とは言えないでしょうか。
ロリンズとの共通点
- それにしても、ロリンズの良いところを自家篭中のものにしているのは確かです。先ず、取り上げる曲がロリンズのものが多いし、ロリンズならば取り上げそうな小唄を良く録音します。タンギング、というでしょうか、実に豪快な音を歯切れよく、次から次へと湧き出す泉のように切れ目なく繰り出すのが壮観です。昔ロリンズが良くやった、ピアノレスのベース、ドラムとのトリオ構成も好きで、実に爽快に獅子吼するので、マイッテしまう。無意味な音の羅列が少なく、基本的に唄うのが好きな人と理解しました。
トレーン流の消化
- 現在活躍するテナーで、トレーンの影響を受けていない人はいないわけで、この人も曲の解釈に漏れ聞こえてくる。それは、この人の演奏のハーモニィ、ポリリズム性等に現れており、「苦(にが)さ」を伴いつつ感情表現をする現世代の特徴を感じさせる。そして、これが重要なことであるが、それに加えて、ベン・ウェブスター、レスター・ヤングを80年代に相当に研究したと言っているとおり、これら正統派の男性的なテナーの吹き方から会得した、人を魅了する歌わせ方が重層されており、それがワン・エンド・オンリィなスタイルとして、身についている。そういう意味から、トレーン亜流の女々しさ(失礼)は感じられない。
馬力
- ピアノレストリオで、20分近い演奏を平気の平左でこなし、ブッとい音を息切れせずに投げつけ続けて、少しもダレないのは、簡単にいえば馬力があるからでしょうが凄いことです。ロリンズが、ソロで半時間も吹きまくる、というのに匹敵する、品が悪いが「演奏馬鹿」といえるほどの飽くなきアドリブ表現には、圧倒されます。
メインストリーム命
- このような彼の演奏に付き物の飽くなきアドリブには、圧倒されます。しかし、当然、それには技量がついていかねばならず、ましてアドリブの進展に連れて熱っぽく、ますます盛り上がってくる、というのは並みの出来のテナーサックス奏者にできることではありません。ただダダ長いのではなく、アイデアもどんどん出てくるだけの素地がありますから、ただの体力勝負ではありません。その素地というのが先に述べたベン・ウェブスター、レスター・ヤングを十分に研究し尽くした80年代前半の雌伏期の成果ではないかと考えています。これら先達の演奏の消化を経て、正統派の男性的なテナーの本流に賭けた男の姿がそこにはあります。大先達から会得した、人を魅了する歌わせ方に到達するには、「メインストリームこそジャズの王道」、という求道を積み重ねる情熱があったから、とはっきり分かるでしょう。
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