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スクィーク (Squeak、Dirty、Freaky、Growl)

  • スクィークは、辞書を引いても「キー、キー」という音とされており、普通は出してはまずい音です。しかし、ジャズでは「ダーティー(Dirty)」とか、"フリーキー(Freaky)」とか、「グロウル(Growl)」とか言って、下手をして出てしまった音ではなく、意図して出す異音を指す用語がありますから、ご用心。
    Sonny Rollinsのスクィーク
  • 前記した恥ずかしいスクィークを出している「It's only a Paper Moon」の補足です。ここで出ている音は、下手ッピに近い音なんですが、無理からぬ理由があったそうです。伝えられているところでは、このトラックの録音の際、Sonny Rollinsは何らかの理由で自分の楽器が使えずに、スタジオ入りの直前に借り出した楽器を使っていたんだそうです。マウス%ピースは自前ながら、借り物の楽器ですから使いにくく、恐らく楽器自体も余り良くなかったんでしょう。Miles Davisのアドリブに続いてアドリブを取りますが、お聴きのとおりのスクィークの連発です。ド素人と違うのは、アドリブのフレーズ自体は実に立派なハード%バップのイディオムを駆使した、素晴らしいバラード・プレイであることです。しかし、耳障りな音であることには相違ありません。普通なら、録り直しをするんでしょうが、ここではそのまま発売されており、50年近くもそのままです
    フリージャズとテナーサックス
  • 話は変わりますが、フリー・ジャズの模索において、テナーサックスがシーンを牽引した、とよく言われます。そして、これとスクィークとは、下記するように、結構深い関連があるのです。フリーに限らず、新しいスタイルを模索するジャズメンは、「新しい音」を模索します。手垢に汚れていない、「ウブな音」が皆欲しいのです。サックス系は、楽器の性質からしてスクイーク音が出しやすくなっているようで、フリー時代になって、これが「新しい音」に積極的に援用されました。つまり、マズって出したスクィークではなく、それに近い汚い音を意識的に使い始めました。これらは、「ダーティー」とか、"フリーキー」とか、「グロウル」等と呼ばれています。Albert Aylerしかり、John Coltraneもそうですし、Phaloah Sandersなんかのフラジオ音も、堅い頭で捉えれば、この部類に入る音と言えます。しかし、これらの人が発する汚れた、耳障りな音群は、たしかに不協和音でもあるんですが、なぜか心にしっくり来ますし、新鮮ですらあります。これらの音は、正に「意図して出している、積極的な異音」なのです。
    バラード演奏なんかでも、、、
  • バラードといえば、おとなしめに、しっとりと歌い上げるというのが、60年代以前の相場でした。しかし、それ以降のバラードの名演の中には、フリーキー%トーン交じりでありながら、人を撃つものが多くあります。Archie Sheppがここ20年近くの間に、一杯出しているバラード盤において聴ける音は、その嚆矢ともいうべきものですし、Dave LiebmanSteve GrossmanJ.R. Montroseなどのバラードも、その好例です。これらの演奏は、一聴して、異音が多く混じっていることに気付かされます。そして、それらは決して不快ではなく、従来のスタイルのバラード演奏と異なるリアリティーが不思議にあります。「これは、これで好きだ」という方が、多く居らっしゃいます。例えて言えば、藤村の定型詩などの端正さ(従来のバラード演奏)を愛でていた人が、吉本隆明の「固有時との対話」などの苦味(フリーキー%トーン交じりのバラード演奏)を新鮮に感じて、のめり込んで行くのと似た面があります。掟破りでありながら、確かに多くの人の心を撃つのです。このように、芸術家には、既成の枠を絶えずブッこわして行く越境性を持ち続けて貰いたいものです
    禁じ手の市民権
  • 「スクィーク」と言えば、一昔前には立派な(^^;)禁じ手でした。昨今のジャズでは、そういう固定観念を超えて、異音の領域に踏み入ることも辞さない姿勢が、市民権を得ています。「ダーティー」とか、"フリーキー」とか、「グロウル」とかいう呼称さえ、既に確立しているのです。自由なアドリブを通じて、自分らしさを積極的に表出するジャズメンを聴けば、「ジャズは死んだ」等と見当違いのことをのたまっているヒマなど、無い筈です。

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