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Cliff Jordanの人とその周辺
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- Nelsonの御贔屓の一人、Cliff Jordanの姿は、以下のようです。
誕生
- Cliff Jordan(本名、Clifford Laconia Jordan, Jr.)は、1931年9月2日にイリノイ州都のシカゴで生まれた。5歳の頃から母の薦めでピアノを習っていたが、13歳のときにサックスに転向して、16歳の時に既にテナーサックスでは大先輩のGene Ammonsに呼ばれて、最初のギグを経験したらしい。
名門DuSable高校
- 区域のジャズでよく知られた高校であるDuSable High Schoolで、Johnny Griffin, John Gilmore, John Jenkins, Richard Davis等と同級であった。初期の作品では、そういう気ごころの知れた同窓生との共演が目立ちます。彼等は共に同校のWalter Dyett大尉にジャズを習った仲間である(しかし、こういうのがゴロゴロたむろしている高校なんて、たまげるねぇ。)まじめな性格だったらしく、楽理を勉強してはJohnny Griffin等に注文を付けるので、「こっちは感覚でしか吹いていないから、グーの音も出ずにに降参するしかなかったなぁ、、、」と後年述懐している。
- 1957年になってNYに移るが、それまでは地元でSonny Rollinsの後釜としてMax Roachバンドに入ったり, Sonny Stitt, Wilbur Ware, Chris Anderson等と演奏したり、当時流行のブルースバンドでも演奏していた。(それもあってか、60年代に「僕の根っ子」と題してLeadbelly曲集をAtlanticから出している。)それやこれやで、シカゴで10年近く仕事をしていた。その間には、今は無きBee-Hiveで毎月曜の夜開かれるWardell GrayやSonny Stittが出るジャム・セッションで、二人にしごかれたと言う。それはいわゆる「Sink or Swim、溺れたくなきゃ泳ぎな」というスタイルで、若手がチビる程に二人が締め上げたと言う。その甲斐あってか、先ずJordanを負かす奴はそうは居ない、ということになったらしい。
ニューヨークに
- NYでは直ぐに注目される事となり、Blue Noteに3枚のリーダー作を入れた。そしてその後もHank Mobleyの代わりにHorace Silver(1957-58)に参加したり、J.J. Johnson (1959-60)、Kenny Dorham (1961-62)そしてMax Roach (再び1962-64)等に招かれて演奏活動を続けている。
Mingus, Dolphy ...
- その後1964年には、Charles Mingusバンドに数か月参加し、その間にEric DolphyやJaki Byard等と訪欧楽旅をする。帰国してからは自己のグループでの活動が多くなる。派手に目立つ人柄ではないので、売れ線バンドとはならなかったが、堅実で安定したプレィで定評を得ている。1969には、Charles TolliverやStanley Cowell等のStrata East設立運動に賛同して、主導的な役割を果たした。
Cedar Walton/ Magic Triangle
- 70年代は、主にCedar Walton TrioとのコンビでJordan and the Magic Triangleと称するなどして、多くの演奏をSteepleChaseに録音している。実はCedar Waltonとの付き合いは思ったよりも古く、デビュー間もない1960年録音のSpellbound (Riverside)で既に共演している。80年代には、Art Farmerのグループに、Featured Artisitとして参加して、独特の演奏が人気を呼んだ。1993年3月の死の直前には、Dizzy Reeceと共同でビッグバンド活動を開始し、来日もした事がある。惜しくも1993年の3月にガンで死去している。
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