2006年10月某日: 「ハズレ盤」のこと
- 今日も何枚か買って帰ってきて、次から次へと聴いてみる。良いのが2、3枚あったんで、思わず頬が緩む。それはそれで良いんだけど、中に一枚、どうにも心に響かないのが混じっていた、、、色々と考えた末に買った盤でも、時には、そういうことがあります。その「ハズレ盤」のお話です。
「ハズレ盤」
- どの盤と言上げすると脱線しそうなんで、それは置いといてぇ(^^;、、、その盤が心に響かない理由には、色々ありましょう。Nelsonの場合で言えば、曰く「シャリコマ」、「チャカポコ」、「フリー」なんて感じですか。見当が外れたり、お金を無駄にしたりしたことへの八つ当たり気味に「ノレない」、「○○の焼き直し」、「リズムが軽過ぎる(重過ぎる)」、「何が言いたいんだよぉ」、「メンバーの気持ちがバラバラじゃないの」と口走ったり、更にもっと虫の居所が悪ければ、「何でもかんでも、音を出しゃァ良いってぇもんじゃァ無いだろうょ」とか、「ド下手」とまでののしることもあります。しかし、、、ホントウはそうとばかりは言えないことも、承知しております。
こっちの問題かも
- 買ってきた盤を「ハズレ盤」と感じた場合に時にあるのが、実は聴くNelsonの側に賞味する度量が無いケースです。ジャズを聴く姿勢自体に問題がある場合もありますが、その時の体調が優れなくって、ということだってあります。ですから、演奏の出来が悪いと感じたとしても、非がそっちにあるのではなく、こっち、つまり聴く側にあることも無くはありません。さはさりながら、「芸術は永く、人生は短い」です。いつまでも、気に入らない盤にかかずらわったままで、死ぬ気はありません。そんなヒマがあったら、気に入る別の盤を買ったり、聴いたりすべきなんだろうと割り切っています。そう考えてくると、つまり、「ハズレ盤」は、本質的に「ハズレ盤」なのではなく、たまたま出会いが巧く行かなかった、という場合もあるのです。
出会いを大事に
- 「出会い」ということは、運が良い出会いもあるわけで、余り人が褒めない盤ながら、自分にとってはかけがえの無い盤に出会ったことは、どなたにもおありのことでしょう。ですから、上記のように出会いがたまたま巧く行かず、「ハズレ盤」と出会った場合には、良い切っ掛けを逃したのかも知れません。自分にその盤の良さを見抜く眼力が無く、折角の出会いの機会を無くしてしまったんですから、、、ですから、「ハズレ盤」に出会った時には、サッと「売却盤」の棚に押し込む前に、もう一度考え直してみて、何か気になる点があれば、ちょっと取り置いておくのも、手です。例えば、「未決盤」の棚にでも置いておいて、何か月か後にもう一度聴き直してみるのも、良いかも知れません。世の中にも、「リターン・マッチ」とか、「リカバリー・ショット」なんてのがあるじゃないですか。
ダメなものは、ダメ
- 、、、とは、かのオタカさんの名言です。「ハズレ盤」だけど、何か気になるので「未決盤」の棚に入れておいたのを、取り出して再度聴いてみたものの、殆どの場合、やはり「ハズレ盤」だったなぁ、、、ということになります。それは、致し方ありません。世の中は、そういう風に出来ているのです。あきらめましょう、、、と、それはそうなんですが、稀に「ウーーーン、結構良いじゃん」となることもあります。以前に聴いた時は体調不良でもあったんでしょうか、2度目に体調万全で聴いてみて、「この演奏の一体感は素晴らしい」等と開眼することも、時にはあります。これはこれで嬉しいものです。だって、タダで良盤にめぐり合ったようなものですから。「へ、へ、へ、、、粘っこく迫ったのが良かったなぁ。」と所蔵棚に移すことになり、メデタシ、メデタシです。こういうのは、自分のジャズの世界が広がった気がして、実に気分が良いものです。
蛇足
- このサイトでは、フリーやチャカポコものは扱っていません。自分で聴くことはしていますが、その手の盤の良い聴き手ではないとの自覚があり、人に読んでもらえるようなコメントを書ける気がしないのです。そういう盤は、そういう盤がメシより好きな方が取り扱うべきであり、その方がその盤にとって幸せな筈です。Nelsonのように留保付きで聴いている人がコメントを書くべきではないと思っているのです。その代わりと言っては何ですが、本線モダンジャズについては、これは一家言あります。言いたいことが一杯あり、コメントがダラダラと長過ぎるという苦情まで貰うほどです。
- まぁ、何にしても、「ハズレ盤」と軽々に言い放つ癖があると、世の中を狭く生きることになり、時に足元をすくわれることにもなるようです。
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