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2017年5月某日:サンジェルマン・デュプレ教会でのジャズ祭

  • サンジェルマン地区とジャズとの関係と問われて誰もが口にするのは、右掲した大名盤「Art Blakey and the Jazz Messengers at the Club St Germain 19583枚組でしょう。昭和40年代初めにリアルタイムで小生が入り浸っていたジャズ喫茶でも、この盤の演奏の某所で聴いた人が居て、その素晴らしさに感激したことが伝わって来ており、「何だかスゴイ名盤があるらしいよ。」ということでウワサ話に花が咲いたのですが、Nelsonを含む市井のジャズキチは、現物とその音には中々お目に掛かれませんでした。
  • 米仏のRCAの契約の関係だそうでしたが、この盤が日本のレコ屋に並ぶにはかなりの時間がかかりました。それでも、50年代末の欧州が米国のアフリカ系ジャズメンを歓待したせいで、御大ブレイキー、こと安藤良人はパリの聴衆の前でヒッチャキになって頑張ったと言います。そのライブ盤が録音された場所こそが「クラブ・サンジェルマン」ということで、学生街とも言えるこの文化地区とジャズとは密接な関係があったのです
  • この地区にはレコ屋が沢山あるのでそれらを経巡ったことは既にメモしましたが、同地区のシンボルとも言える「サンジェルマン・デュ・プレ教会」にも当然立ち寄りました。この由緒ある教会の創建は、なんと6世紀に迄遡り、時は正にあの「ダヴィンチ・コード」にも登場した「メロヴィング王朝」の頃だったと伝えられています。上掲した尖塔の下の教会内部には多くの参拝者がいらっしゃいまして、ただ祈りのつぶやきだけが低く聞こえると言う厳かな感じでした。
  • この直前に例の「サン・シュルピス教会」に行って「ダヴィンチ・コード」の撮影場所を見たので、その映画の事が未だ頭に残っていましたが、それに輪をかけて荘厳な内陣には見惚れるばかりでした。一部が改修中の教会の中を見終わって、ふと背後の入り口を振り返ると、そこに仮設の舞台があってその傍にジャズと書かれているのが見えました。どうやら夏も近いし、この教会の片隅で小規模のライブでもやるようです。しかし選りによって、教会の正面入り口をふさいで舞台があり、良く見れば椅子は写真の左手の祭壇の方ではなく、正反対の方向を向いて並らべられているとは、これ如何に!


    (教会入口にある小さな舞台)

  • ・・・と不審に思って近寄ってみると、単なるライブ用の仮設の仕立てではなく、伝統ある「Festival Jazz a Saint-Germain-des-Pres Paris」と言う催しの一環として、この教会のこの舞台上でのライブも、そのスケジュールに組み込まれているようです。


    (パリ市内で初夏に行われるジャズ祭)
    ジャズ祭の会場はパリ市内に11か所もあり、オデオン劇場、この教会、先程触れたサン・シュルピス教会、傍のクリニュー博物館、大型電気店FNACのモンパルナス店とかを含む会場一覧を見ると、かなりの規模と伝統を持つジャズ祭だと判りました。
  • なるほど、このパリ市が数々のライブの名盤を産んだのは、こういう基盤があってのことであり、今を去ること60年近くもの昔に大ヒットした「Art Blakey and the Jazz Messengers at the Club St Germain 1958を産んでいたのも、決して偶然の事ではなかったわけです。ジャズ祭のスケジュールを眺めて、Nelsonの旅程のブランク部分で聴きに行けそうなジャズ・グループを探しましたが、残念ながらチャカポコ界隈のジャズが多くて、本線モダンジャズの人のギグで、聴きに行けそうなのはありません。
  • 「猟盤日録」には該当しない内容になるかとも思いましたが、パリで10枚近い盤を拾ったことでもあり、同じ市内で行われているジャズ祭の話題も決して無縁とも思えません。。

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