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大きい声ではいえないがCD等は安い、のかも
  • 毎月というか、頻繁にソフトを買いに行ってます。暫く行かないとウズウズして、「CDが店で俺を待っているらしい、行ってやらなきゃマズイ」なんて屁理屈をつけて、出かけます。行けば買うのは当然で、そのために行っているんですが、結構なお金がかかることも、事実です。「しかし、一寸したことで十万円以上はかかるオーディオに較べればチョロイもんじゃないか」というお話です。
    ソフトの値段
  • Nelsonは、数十年前にソフトを買い始めました。ワルターのザロモン・セットとか、エルヴィス・プレスリィとか、記憶にウッスラあるものを想い起すと、LPで3千円、SPが4百円、EPが7百円位だったでしょうか。中学生には凄いお金でした。当時の大卒初任給が一万円前後でしょうから、今の初任給の十分の一以下として、物価としても全般的に十分の一前後だったかと思われます。逆に今は昔の10倍と考えると、ソフトは上記したように、殆ど値段が変わっていないに等しいですから、ソフトの価格は十分の一に値下がりしている、という事になります。ラーメンでやってみると、当時30円位のが今はどうでしょうか、まぁ5百円前後と言って良いんでしょうから、十数倍になっています。こうしてみると、恐らく、ソフトは卵、本等と並んで、物価的には優等生だと思われます。この状態を続けてもらいたいものです。
    当時のオーディオ
  • 昔のオーディオは、今とは比較にならないほど性能が悪かったのだと思います。当時のオーディオ機器は、いわゆるコンポで10万円前後だったでしょうから、今と値段はそう変わりません。Western、JBL、Altec、Tannoy等の輸入物は高かったようで、それこそお医者さんでもない限り、輸入ものを持っている人は居なかった筈です。今は昔に較べれば、大きく円高ですから、まぁ国産との価格差は縮まっています。
    現在のオーディオ
  • 当時から現在に至るまでに、Nelsonは音楽に対する態度を大きく変え、自分の稼ぎの中である程度の割合を、良い音を出すことに掛けています。子供の時と違い、スネかじりから脱却して、自分で才覚しなければならないことにはなりました。その後、秋葉原で子供を抱きながら彷徨し、「ミルク代も馬鹿にならんのよネ」等と、ショップで部品を値切りまくっていた時期もありました。今は、子供が独立している事もあり、その辺の自由度は増しています。「本当に良い音がする」と確信できれば、時に数十万レベルの金を工面することが不可能とは言えません。趣味の相場も、当時から見ればかなりインフレになっています。現にアノ菅野大先生は、「大人の買い物なんだから数百万円は当たり前でしょう、車がいくらすると思っているんですか。」と煽っておられます。まぁ、大人の趣味としては、それが相場なのでしょう。
    ピンキリの激しさ
  • しかし、オーディオは自宅で鳴ってナンボのものです。そして、これがなかなか簡単ではありません。何時の世もそうなのかも知れませんが、その手の雑誌のいう事など聞いているわけには行きません。特に、雑誌で言っている事を鵜呑みにすると、DACで百万、スピーカーで数百万の世界です。アンプをグレードアップする、という卑近な例をとっても、今時、数十万円の出費は当たり前のようです。ショップにいって試聴すると確かに、よく調整された高位のシステムは、ピシッと良い音がしています。しかし店員によく聞いてみると、そこまで行くには2,3百万円が必要なようです。「ホントに、それが相場なんかね」と、面食らいます。
    それに較べて、、、
  • オーディオはソフトが鳴ってナンボのものです。良いソフトが必要です。そして、ソフトとオーディオでは、価格構造や時代による価格の推移が大いに異なるようです。どんなに良いソフトでも、オリジナル盤でもない限り、現在では必ず複製の工業製品ですから、一枚数千円足らずです。オーディオで効果があるとされる数十万円が手元にあると、ソフトは百枚も買えてしまいます。百枚のソフトと言えば、そこに秘められている音楽的な感興は保証されている、と言っても良い位です。しっかり選んだ百枚であれば、どんなミスをしたと言っても、一枚位は琴線に触れるじゃないですか。ソフトはそういうものです。しかし、一方のオーディオでは、音楽上の感興の向上等は保証されていません。これは、出て来る音の評価がかなり主観的である事によるのだと思います。それでも、殆どの場合にグレードアップはうまく行くものです。しかし、結果として得られる音楽的な感興の向上は、数十万円程度の追加では、飛躍的では恐らく無く、薄皮一枚程度のものでしょう。無論非常に巧く行くときもありますが、概してそういうことです。「おーい、どうなっとるんヤ」と、Nelsonでなくとも言いたくなる筈です。これが正しい社会なのでしょうか。不思議でなりません。ソフトもオーディオも同じように、優れて主観の世界の事なのに、どうして必要な資金がこれほどにも違うのでしょうか。Walter Benjaminに「複製芸術」に関する本があった筈です。学生時代に、独文の講師から読めと強いられて、目を通した憶えがあります。もう一度、息子にでも借りて読むべきかなぁ、と思っております。ということで、オーディオで浮気をしたくとも、そうは簡単に行きそうに無いんですが、ソフトの浮気は気楽に出来るし、その甲斐もあるようです。当分は、ソフトにマンセイ、ということなのでしょうか。どっか、おかしいけど、、、

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