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オーディオの文化と文明

  • 今世紀は劇的な進歩の世紀だ、とよくいわれることに対して、イヤ、進歩なんかしていないじゃないか、相変わらず戦争は起こっているし、という言い方があります。同様に、文明としての進展はあったかもしれないが、文化という面での進展はあったのか、とも言います。オーディオ三昧においても同じことが言える気がします。
  • 数十年の昔に、米国にウエスタン・エレクトリックという会社があり、実に上質な音楽再生を可能にする機器を開発し、この世紀末の今でも、それが最高と言って中古品(しか残っていない)を目の色を変えて追い求める人が、結構います。その手の店で試聴すると、これがまた、結構鳴っているから驚きです。実に音楽の骨格を力強く提示してくれ、確かもっと音が入っていた筈だけど、と気づきはするものの、これはこれでキッパリとしていて、少なくとも「丸っきりおかしい」というようなことは絶対にありません。これが、数十年前に既に商品化されていたとは、何度聞いても信じがたいほどです。
  • 一方、最近の評判の良い録音物を、拙宅ではなく(^^;、ハイエンドの機器構成で試聴できるショップで聴いてみると、「イヤ、凄いね」と感嘆します。低能率のスピーカーに、発電機のようなアンプでパワーを突っ込んでいるのでしょうが、力感よりも、その全体像の提示の見事さに唸ってしまいます。余計な音はせずに、しかしライヴで聞こえてくる程度の音は全部出し、弱音はそれなりに、強音は微塵の揺るぎも無くスンナリと出してみせる、それは凄いものです。
  • 上記いずれも、一時間に満たない短時間の経験でどこまでモノを言って良いか、をさておけば、ガチャ耳のNelsonにもわかる明確な実感です。そうであるとしたら、トランジスター化、デジタル化という技術の長足の進歩は何だったのでしょうか。技術的には、現在のハイエンドオーディオはウェスタンをはっきり追い越している筈なのに。技術文明としては進歩しても、音楽文化としては進歩してきたのか、停滞に近いのか。これは、そう簡単には結論が出せないと思います。
  • つまり、これは技術の使いこなしの問題のように思えます。つまり、録音する人、再生装置を開発する人、聴く側に、歌心というか、芸術を解する能力が無ければ、良い音源、それを十全に再生する装置、そしてそれを家庭で鑑賞する環境を開発・実現する器量は無い、ということになりはしないでしょうか。
  • 難しいことを言うつもりはありませんが、しっかりした音源・装置を手に入れるように日頃から努め、その上でジャズ(なり、クラシックなり)をこよなく愛し続ける姿勢が一番大事ではなかろうか、ということのような気がします。

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