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長岡さんを悼む

  • かなり変わった人ながら、「オーディオ日曜大工」でファンの多かった長岡さんが先頃亡くなられました。
    スピーカー工作
  • と見出しを書いてから、指折り数えてみると、十数台のスピーカーを使ってきましたが、そのうちメーカー品は2台のみで、残りはすべて自作ですねぇ。メーカー製の高級品を自宅で長く使ったことがないので断言まではしませんが、自作でも負けないものは作れます。そして、その自作の手引きは、長岡さんの「オーディオ日曜大工」等の諸著作であり、今も数冊はあるはずです。
    ハイスピードと剛性
  • 長岡さんの提唱する路線は、ハイスピードです。フルレンジ一発を中心に、どちらかといえば簡素なネットワーク部品で構成したマルチウェイの設計例も発表されており、それもこれもハイスピード再生実現のためでしょう。Nelsonも、基本的にハイスピードには賛成で、おそらくオーディオシステムでいくらハイスピードにしても、現実には追いつかないので、それは究極まで推し進めるべきこと、と理解しています。また、アナログ時代から剛性の高いシステムの重要性を指摘し、特にSME式カートリッジ交換可能タイプのトーン・アームの接合部の問題点、スピーカーの取り付けに用いる柔軟なパッキングの欠点等々を洗い出されました。あいまいな音を嫌い、ハイスピードを志向するならば、接点の剛性を高めるべきとした主張は、いまや交換式アームが世界的に減っていることと併せると、先見の明と言うしかありません。一方で制動の重要性も唱え、専用のブチルゴムが売れに売れたのも皮肉なことです。本人はその使い分けを明示していましたが、やたら使って「音が死ぬ」ブチル地獄に陥った人がいたのも事実です。
    「重さ」と「重し」
  • 製品の重さが結構音に効くことを指摘したのも、長岡さんです。更に、鉛塊による重しの効果も提唱されました。メーカーの試作品持ち込み時に自説を実証されたようで、多くのメーカーに影響を与えました。メーカーは相当の投資をして、製品開発をしており、しかも売れてナンボの世界ですから、市井の一評論家の影響が出るというのは大変なことだと思います。部品の良否による音の差を指摘したこともありました。少し冷静に見ると、提唱されていた「物量主義」には若干の疑問もあり、軽くても絶妙の機械設計がなされて良い音を出す方向を否定しすぎたのでは、という気もします。日本のメーカーの能力・姿勢を見切って、そのような高度な製品作りよりも、物量で行けるところまで行くのが当面は得策、という面もあったのでしょう。
    コスト・パーフォーマンス
  • もとがシナリオ・ライターですから、どういう切り口が判りやすいか、あるいは悪く言えば、受けるかを常に意識しておられたようで、これは物書きとして当然の、しかし軽視されやすいことを身を以って体現されていました。その一つが、この「コスト・パーフォーマンス」という用語、あるいは造語です。当初は特殊用語でしかなかったこの単語をだれもが知る位置にまで押し上げ、さらにはCPと略しても通じるところにまで持っていったのは、この人と江川さんの功績でしょう。読者層をよく弁えて、金がふんだんにある人は相手にせず、金欠病でも良い音で聞きたい人の気持ちをよく吸い上げられていたと思います。そこには、「裸の王様」の教訓に通じる、権威の威を借りたこけ脅しや、無責任な文学的音質表現の横行を許したくない、という正義感も読み取れます。そのため、主に高価な輸入オーディオ商社の息がかかっている気がしないでもない既製の大評論家には、受けは良くなかったようです。そちら側から見れば、「安かろう、悪かろう」の廉価オーディオを、その限界についてあまり述べずに「コスト・パーフォーマンス」で簡単に整理しきろうとする長岡さんは、とんでもない評論家になってしまうのでしょう。
    メーカーと評論家との関係
  • ある意味で公然の秘密であり、余りだれも触れたがらなかったメーカーと評論家との(癒着気味な)関係について、それなりの開示を試みたのも、長岡さんらしいところです。試作品、生産ラインに乗せかけの製品、市場で大衆が手にする製品の違いや、さらには発売当初と数か月後の製品の違い、等について業界事情をある程度暴露したのも長岡さんです。メーカーが試作品を消費者の代表として、というか発売後のメディアの反応を観測するために、評論家の自宅に持ち込み、コメントを貰って手直ししたり、あるいはそのまま評論家の求めに応じて無償で置いていったりする様子を、誌上でそれなりに開示していました。無論それにも限界があるわけで、その不可避な不十分さを殊更批判する人もいました。それでも、メーカー名を伏せた持ち込み事情を日記風にした記事が長期間掲載される中で、読者は相当のことを学んだのだから、やはりプラスの営為であった、と言えるでしょう。
    接点への注意喚起
  • オーディオシステムには多様な接点が存在するが、そこで微少電力が伝達される時にダイオード効果が悪さをしていることを大きく取り上げたのも長岡さんです。この効果とは、接合部を微視的に見るとざらざらな面同士の接触となっており、無数の接点が並列的に導通しているので、個別の接点ではダイオードと同様に正逆の電流が迷走して微小雑音の巣となっています。長岡さんは、先ず定期的に抜き差したり、清浄化したりして接触面を新しくすること、接触面積を大きくすること、余計な回路を入出力中に介在させずに、例えばトーン・コントロールの要否も考え直すべきこと等を提唱しました。それに呼応するようにメーカーは反応し、接点清浄化スプレーが売り上げを増し、太線が登場し、今様の潔癖なノー・アクセサリーまたは入出力直結スイッチの付いたアンプが猖獗を極めました。接点に関する指摘は正しいが、またそれでできることには限界があるのですが、兎に角主張が世間に「受けた」ことは間違いありません。
    FMファン、ステレオ、時にラジオ技術、、、
  • FMファンには、週刊でありながら十年以上にもわたって新製品レビューを執筆されており、愛読者も多かったようです。ステレオ誌では、長岡さんのスピーカー日曜大工が人気記事でした。毎年夏の読者自作品大会は、「(日本の)ユーザーの発想は、何と多様であることか」と感嘆させられる年中行事となったのでした。また、ラジオ技術の新年号がやる年間ベスト製品の選定経過記事は、専門誌だけに技術的な掘り下げもあって、他誌を踏み散らす迫力がありますが、そこでも長岡さんの独特の切り口は異彩を放っており、結構他の評論家の賛同も得ていたのが痛快でした。
    箱船ファンクラブ
  • 長岡さんは埼玉の自宅に、インテリアの好悪は兎も角、試聴室としての機能と広さでは評論家でも随一に近い「箱船」をしつらえ、独自のハイスピード再生の研究室としていました。この部屋を使って、オーディオにおける部屋の大事さ、先見性のあるAV再生の試み、自作オーディオの鳴きあわせ等々を行い、その路線に賛同する若者を集めたファンクラブが出来る程でした。

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